海との一体感得られるガラススクリーンの駅舎
明治時代、JX金属の祖となる日立鉱山が開山。鉱山機械の修理工場を起源とする日立製作所が誕生し、日立グループを中心とした工場が集積する工業都市に発展した。以来、日立市は日本有数のものづくりのまちとして名をとどろかせる。
日立市は関東平野の北端、茨城県の北東部に位置し、南北25・9㎞、東西17・9㎞、面積は225・7㎢を有している。西は阿武隈山系に連なり、東は起伏に富んだ太平洋の海岸線に臨む。ロケーションの良さもあって宿泊利用率が全国1位の「国民宿舎鵜の岬」が日立にはある。28年連続1位を更新し続けている。
「日立」の名は、水戸黄門として親しまれる水戸藩第二代藩主徳川光圀公がこの地方を訪れ、海から昇る朝日の美しさに「日の立ち昇るところ領内一」とたたえたという故事に由来するといわれている。東京からJR常磐線特急で約1時間半、常磐自動車道を使うと2時間ほどで到着する。
市の玄関口であるJR日立駅にまず目を見張る。建物全面が透明なガラススクリーンという特徴的な外観。日立市出身の世界的建築家、妹島和世さんがデザインを監修した。2012年にはグッドデザイン賞、14年には鉄道の国際デザインコンペティション「ブルネル賞駅舎部門」で最優秀賞を受賞するなど、世界の最も美しい駅舎の一つとして高く評価されている。また、駅舎のあらゆるところから海やまちを眺められ、開放的な空間を創り出している。中でも、駅東口の「天空のカフェ」からは海岸線をすぐ近くに見ることができ、海との一体感を得られる。
また、市内を走る国道6号と245号の渋滞緩和を目的に整備を進めている6号日立バイバス(日立シーサイドロード)。特に晴天の日には真っ青な海を見渡すことができ、最高の眺めだ。
駅や道路に加え、港も壮大だ。茨城港日立港区は、自動車や石油製品など、北関東地域の海上物流の要となっている。メルセデス・ベンツの国内最大の輸入港であるとともに、日産自動車の北米東海岸向けの完成自動車の輸出港である。自動車物流拠点としての機能も高まっている。
このような日立市は、駅や海岸、かみね公園レジャーランド、奥日立きららの里なども、映画やドラマのロケ地としても使われている。有村架純さん主演で現在放映中のNHK朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の舞台にもなっている。
さくらまつりと6カ所の海水浴場
四季折々の表情を楽しめる日立市。地元で生まれ育った日立商工会議所の秋山光伯会頭は「穏やかな気候に恵まれ、豊かな自然と産業が調和するなど、さまざまな魅力に満ちあふれるまち」と、日立市を評する。
現在夏真っ盛りなだけに、日立市の誇れるものの一つとして、秋山会頭は海水浴場を挙げる。35㎞に及ぶ長い海岸線に点在する6カ所の海水浴場。伊師浜・河原子・水木の3カ所は環境省選定の「快水浴場百選」に、伊師浜海水浴場は「日本の白砂青松百選」にも選ばれている。水質や海水浴場までのアクセスの良さから、群馬県や栃木県など県外からも大勢訪れ、週末は海水浴場近くの道路が渋滞することもある。
そして、春ならなんといっても桜。市の花でもあり、「かみね公園・平和通り」が「日本のさくら名所100選」に認定されている。平和通りは日立駅前から国道6号までの1㎞に約120本の染井吉野が植えられ、樹齢30~60年の大木がそろい、見事な桜のトンネルとなる。かみね公園は広さ約15 haで鞍掛山の山裾に続いているなだらかな丘陵地に広がっている。園内には、染井吉野など約1000本の桜が植えられている。
平和通りとかみね公園、十王パノラマ公園を会場に繰り広げられる「日立さくらまつり」。満開に咲き誇る桜の中で行われ、日立市の春の代名詞となっている。昭和38年に始まり、例年4月上旬に開催され、天気が良い年は30万人以上が訪れるという。日立商工会議所が行政などと協力して実施。日立さくらまつり実行委員会を組織し、その会長を秋山会頭、委員を担当副会頭や観光委員長が務める。花見茶屋の出店など数々のイベントが催され、多くの人でにぎわう。中でも、この時に一般公開される伝統芸能の「日立風流物」は見応え十分だ。日立風流物は高さ15m、奥行き7m、幅3~8m、重さ5tの山車でからくり仕掛けの人形芝居を披露するもの。ユネスコ無形文化遺産で、国指定重要有形・無形民俗文化財になっている。
こうした事業を盛り上げようと、平成20年度から実施しているご当地検定「ふるさと日立検定」中級合格者約20人によるボランティアガイドも好評だ。「来街者に日立さくらまつりや日立風流物を説明することで、日立市への理解を深めてもらいたいという思いから始めた」と秋山会頭は顔をほころばせる。
桜と日立鉱山発展の大いなる関係
実は、日立の桜は日立鉱山の発展と大いに関係がある。日立鉱山の創業、煙害の発生と対策を抜きには語れない。
明治38年、久原(くはら)房之介が赤沢銅山を買収し、日立鉱山として開業した。数年後には四大銅山の一角を占めるまでに急成長したが、昭和56年に閉山し、76年の歴史に幕を閉じた。現在はJX金属グループに引き継がれている。
日立鉱山の近代化が図られていく過程で、銅の精錬の際に排出される煙の中に含まれる亜硫酸ガスによって、近隣の農産物や山々の木が枯れるという公害が発生。地域住民や日立鉱山にとって大変な試練の時期を迎えた。
荒廃した環境を何とか回復させようと、煙害対策の中心となった日立鉱山庶務課長の角(かど)弥太郎は、伊豆大島の噴煙地帯に大島桜が自生することに着目して苗木を調達。明治41年に試験的に社宅周辺に大島桜を植栽した。
当時は、煙をできるだけ薄くし低い煙突から排出して、狭い範囲にとどめることが、煙害を減らす最良の方策であると信じられていた。しかし、日立鉱山創業者の久原は、煙を高煙突方式により高空に拡散し煙害を軽減することを考案。大正3年12月に、当時世界一の高さ155・7mの大煙突を完成させた(大煙突は平成5年に3分の1を残して倒壊)。その後、煙害は激減し、問題の解決をみる。
また、農事試験場では大正4年、大島桜の苗木の生育に成功。以降18年間にわたり耐煙樹種の植林を行うとともに、周辺地域に500万本以上の苗木を無償配布し、計1000万本以上(うち、大島桜は約260万本)の植林に貢献した。
大島桜がうまく育つようになると、この苗木に染井吉野を接ぎ木して、桜の苗木を大量につくった。角は6年ごろに社宅や学校、道路などに約2000本を植えさせた。これが染井吉野群落のルーツだ。引き続き農場では、大島桜をはじめとする耐煙樹種と染井吉野の苗木が生産され、市内各所に植えられるようになった。
平和通りは戦後の戦災都市復興計画により、昭和26年に全線開通。国土緑化運動の一環として植えられた桜が契機となり、地元の人たちの協力で75本の染井吉野が植栽された。桜のもう一つの名所であるかみね公園は、28年に神峰公園整備促進会が結成され、献木運動などにより108本の桜が植えられた。どちらも、市民による記念植樹運動がその後も続いた。
新田次郎氏は、日立鉱山をモデルに小説『ある町の高い煙突』を執筆。日立鉱山が地域住民との共生のもとに発展してきた歴史を描いている。
「これら市民と企業の努力が日立市が誇る桜の原点。まちが桜でピンク色に染まるのは本当に見事です。桜を見てはものづくりの礎を築いてきたまちだと再認識します」と、秋山会頭は感慨深く語る。
41回目を迎えるまちの象徴・産業祭
ものづくりのまちを象徴する事業の一つとして、例年11月に開催される「日立市産業祭」がある。市内産業の生産品を広く市民などに紹介し、産業の振興と市民生活の向上を目指すもの。行政と連携して日立市産業祭実行委員会を組織し、さくらまつり同様、秋山会頭が実行委員長を務めている。日立商工会議所は主に商業者の出展関係を担当し、昨年度は116社が工業製品や最新エコ家電などを展示販売した。41回目となる今年度は、さらにスケールアップしたものにしようと準備を進めている。この一環として東日本大震災後新たに避難所としての機能を併せ持ち、生まれ変わった「池の川さくらアリーナ」に会場を移す。
産業振興においては、地元の茨城大学工学部と茨城キリスト教大学との産学連携の関連で、試作品を開発したり、日立商工会議所の会員企業が客員講師を務めたりしている。そのほか、ものづくりに携わる人材を育成しようと、小学生に各種職業を見て聞いて体験させる「職業探検少年団」や工業高校へのインターンシップ事業に力を入れている。年齢に応じたさまざまなメニューを用意し、長期間にわたる支援が特徴だ。
各自のなりわいを続けることの大切さ
秋山会頭はものづくりの大切さを説く。
「地味だけれど基本であるものづくりをやってから、プラスで観光振興などに取り組む。明治、大正、昭和と脈々と受け継がれている本業を決しておろそかにしてはいけない。人間の大事な、それぞれのなりわいでつくりあげる喜びを忘れないようにしたい。世の中つくるものが変わっても、ものづくりの再活性化を目指していきたい」
日立商工会議所はものづくりのまちというプライドを持って、派手なことで一発当てようとは考えていない。昔から地域の商工業者が必要としてきた、経営・金融・税務などの相談に丁寧に対応している。相談件数は県内有数だという。
「日立はよい人が多く、安全・安心のまち。夏は涼しく冬は比較的暖かい過ごしやすい気候で、教育・文化水準は高い」と、交通渋滞の解消が課題としながらも、秋山会頭は日立の住みやすさに自信をのぞかせる。
日立は決して浮ついていない、足腰のしっかりしたまちである。日本のものづくりの原点はここにあり―。日立のシンボル的存在の大煙突にそれを見た。子どもの校外学習にはもちろん、大人の社会科見学にもぴったり。これからも老若男女の心をひきつけるまちであり続けるだろう。
最新号を紙面で読める!