北海道北部の自然豊かなまち
士別市は北海道北部の中央に位置しており、同市の歴史は、1899年の屯田兵の入植に端を発する。平常は農業を営みつつ軍事訓練を行い、いざ戦争が始まったときには軍隊の組織として戦うことを目的とする屯田兵など、先人の開拓精神とたゆまぬ努力により農林業を基幹産業として発展してきた。現在の士別市は、2005年に旧士別市と旧朝日町が合併して誕生。人口2万人ほどのまちである。市名の由来は、「本流、親川」を意味するアイヌ語の〝シュペッ〟であるという。市内を流れる、日本で4番目の長さを持つ天塩(てしお)川が同市の発展の源であったことを表している。
JR宗谷本線や北海道縦貫自動車道などが接続し、同市の交通網は良好な条件にある。北海道の中心都市である札幌市まではJRで約2時間、車では約2時間半の距離。気候は、四季のはっきりした内陸性気候で、夏の気温は最高30度以上にも達する。一方、冬はマイナス30度を下回ることもあり、積雪は100㎝を超える。
地域資源として「羊」に注目
「士別市の良いところは、第一に自然が豊かであることです。その特色を生かして、官民一体となって各種事業を進めています」と語るのは、士別商工会議所の鈴木勉会頭。豊かな自然を生かして、農林業を主な産業として発展してきたが、近年は「羊」にスポットを当てている。羊毛製品をつくるとともに、牧場や毛刈りを一般に開放するなど、観光客の誘致に活用。数多くある羊の品種の中でも、黒い顔を持つなど見た目にも特徴がある「サフォーク種」に注目し、「サフォークランド士別」として対外的にアピールしている。
同市とサフォーク種の関わりは、1967年にオーストラリアから100頭を輸入したことがきっかけだ。1979年には、同市開基80周年の事業としてまちづくりに関して市民に意見を募ったところ、サフォーク種をまちの資源として活用してはどうかとの意見が寄せられた。さらに、全国的に一村一品運動が推進され、特産品づくりの機運がさらに高まり、サフォーク種に付加価値をつけた地場産品の開発などを行う市民組織「サフォーク研究会」が1982年に設立され、地域活性化に向けて取り組みを行ってきた。1983年には羊毛を活用し、手つむぎで手袋などの小物をつくるサークル「くるるん会」が組織化され、また、1985年には同市の特産品を販売する株式会社サフォークが設立された。
1980年代には羊毛を使った手編みがブームとなった。そのため、繊維業者が同市の羊毛に目をつけ、通信販売などで取り扱うようになった。手編みブームが去った後は羊毛の売り上げが落ちたが、士別市役所が中心となって販路開拓の取り組みを続けた。次第に取り組みが実を結び、同市の羊毛を使用した製品が百貨店の物産展で取り上げられるようになった。
「新宿の伊勢丹や大阪の阪急百貨店の北海道物産展に出展したところ、売り上げが良かったことから他の百貨店でも取り上げられるようになりました。各百貨店の支店に至るまで全国的に取り扱いが広がり、士別市の羊毛の知名度が向上しました」と株式会社サフォーク代表取締役の前田仁さんは語る。
同市の羊は、羊毛だけでなく、観光資源としても魅力を発揮している。羊の観光牧場を併設し、同市の豊かな自然を感じることができる「羊と雲の丘」では、サフォーク種をはじめ、世界各国の羊と触れ合うことができる。また、羊毛でつむぎ、織りなどを体験し、マフラーやセーターなどの製作体験ができる施設もある。さらに、食肉用としても活用され、近年では域外にも出荷されている。
同市の羊というと、文学に詳しい人であれば、『羊をめぐる冒険』などを執筆したベストセラー作家の村上春樹氏の名前を思い出す人もいるかもしれない。自らの著書で、村上氏は同市を2度訪れたことを明かしている。
スポーツ合宿の受け入れを推進
全国の市町村がスポーツ合宿の招致に力を入れている中、士別市は豊かな自然や気候を生かしている。その結果、日本有数の合宿地として指導者や選手に定着した。
「合宿受け入れによる交流人口の拡大は、地域経済の活性化に加え、陸上競技場や総合体育館、宿泊施設などの有効活用、士別市の認知度向上など大きな効果を生みます」(鈴木会頭)
旧士別市では1979年に「健康都市」を、また、旧朝日町では1990年に「生涯スポーツのまち」を宣言し、それぞれ市民の生涯スポーツに力を入れていた。合併後に現在の士別市が誕生してからも、一人一人が健康に気を使い、生涯を通してスポーツに親しみ、健やかなまちを築くために、2005年に「健康・スポーツ都市」を宣言し、生涯スポーツの振興や「スポーツ合宿の里」づくりを推進してきた。
同市が合宿地として注目されたきっかけは、1977年の順天堂大学陸上部の合宿だ。その後、1987年からは士別ハーフマラソン大会を開催するとともに、1999年には「スポーツによるまちづくり全国自治体サミット」を開催するなど、「合宿の里士別」をアピールしてきた。現在では、陸上競技をはじめ、ウエイトリフティングやトライアスロン、スキージャンプなど多くの種目の選手を受け入れている。特に、オリンピックやアジア大会、世界選手権などに出場する日本選手の直前合宿をはじめ、年間約17000人を超えるアスリートが士別で厳しい練習を積み重ね、国際舞台で活躍している。日本陸上競技連盟の合宿地にも指定されており、女子マラソンのオリンピック代表であった有森裕子さん、高橋尚子さん、野口みずきさんなどが同市での合宿を経験している。
同市では、今後も「スポーツ合宿の里」づくりを継続・発展させ、2020年東京オリンピック・パラリンピックを契機に、各種施設や宿泊環境、受け入れ態勢のさらなる向上を目指している。
「ラブ士別・バイ士別運動」などで地元での消費を促進
同市では、域内経済の好循環を生むために、地元での消費を促進する取り組みを行っている。その名も「ラブ士別・バイ士別運動」。同所が事務局を務める「ラブ士別・バイ士別運動推進協議会」が中心となって活動している。同所では、地元での買い物を呼び掛けるため、会報に「ラブ士別・バイ士別運動 ~お買い物は地元で~」というスローガンを毎号掲載するなどの取り組みを行っている。
さらに同市では、日常的な買い物だけでなく、建物を改修する際などに同市内の業者を活用する仕組みづくりを行っている。その一つの例が、同市の助成事業「商店街活性化事業」である。本事業は、店舗の改修などにおいて、市内の業者に発注した場合に限り改修費や設備費などについて助成するものである。本事業は、そもそもは1年限りの事業として約10年前に実施されたもの。鈴木会頭は、市内の事業者を活用することが域内経済の活性化につながると考えて市に働きかけを行い、その結果、本事業の恒久化につながった。本事業に加え、住宅の新築や改修についても域内消費を目的とする同様の助成事業があり、それらの事業によりもたらされた総事業費の累計は45億円を超え、域内に大きな経済効果をもたらしている。
住みやすいまちづくりへ 市民が地域医療を応援
持続可能なまちづくりのためには、域内産業の活性化なども重要であるが、信頼できる医療が充実している必要もあるだろう。特に、全国的に高齢化が進む中で、高齢者が居住地を選ぶ際には医療が充実していることも条件に入るかもしれない。
士別市では、市民が地域医療について理解を深めるとともに、地域医療をより充実させるための支援を行うことを目的として、同所が事務局となって「市立病院応援隊」を組織している。鈴木会頭が同応援隊の代表を務めており、現在77会員を有している。
同応援隊では、士別市立病院の現状について理解を深めるために、年に一度、同病院の見学会を実施するとともに、同応援隊の活動をまとめた「市立病院応援隊だより」を同市内で全戸配布している。また、同応援隊は病院への支援も行っており、昨年度には大判バスタオルを寄贈するとともに、同病院の職員と協力して花壇整備を行った。
少子高齢化の進行に伴い、同病院において、高齢の患者が圧倒的に多くなり、また、長期間にわたって入院する患者の割合が増えているという。医師や看護師不足などに悩まされつつも、同病院ではこのような状況に対応するために体制を整えており、一方で、市民の側も可能な範囲で病院に対する理解促進および支援活動を行っている。病院の永続を目指す仕組みであるとして、同応援隊は他地域からも注目されるモデルケースとなっている。
ITを活用した農業に挑戦
士別市は、天塩川によってもたらされた肥沃(ひよく)な大地の下、農業が盛んなまちである。収穫される農作物は米、麦、ジャガイモ、豆類、テンサイ(ビート)、タマネギ、カボチャ、ブロッコリーなど多岐にわたる。北海道の他地域で収穫される農作物の多くは同市でも収穫可能であるため、同市の農業は北海道の縮図であるとも言われる。
同市では、ITを活用した先進的な農業にも挑戦している。国営農地再編整備事業の一環として、GPSを搭載したトラクターやコンバインなどによる稲刈りなどの作業を検証しており、将来は無人化の実現を目指している。実用化されれば、作業の効率化や夜間の作業も可能になるなど、農作業の負担軽減につながる。
同市は、豊かな自然を生かした農林業を基幹産業としつつ、市民、産業界、行政が協力して数多くの特徴ある取り組みを行っている。
「地方がおかれた状況は非常に厳しいものがありますが、商工会議所としては、地域経済の中心でありけん引役の中小企業の発展に加え、地域振興を推進していくことが望まれます。また、人口流出を食い止めるためにも、安心・安全が担保された魅力あるまちづくりを目指して、市民の意見をよく聞きつつ、今後もさまざまな取り組みを行っていきます」(鈴木会頭)
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