鷹山公の改革で礎を築く
米沢市は山形県の最南端に位置し、最上川の源である吾妻連峰の裾野に広がる米沢盆地にあり、福島県と県境を接している。現在の人口は8万5000人。四季折々の雄大な自然景観が楽しめ、豊富な温泉群があるほか、登山やスキーなどが手軽に楽しめる自然の恵み豊かな都市だ。
米沢のまち並みは、平安末期にこの地に地頭が置かれて以来形成されてきた。その後、室町時代には伊達氏が領し米沢城下が整備された。伊達政宗も米沢城に生まれ、青年期を過ごした。江戸時代には、上杉景勝が越後から会津を経て米沢に入封、重臣・直江兼続の指揮で城下が拡張され、現在の米沢市街の基盤が築かれた。以後、米沢は上杉氏(米沢藩)の城下町として発展し明治維新を迎えた。
その中で、第9代藩主上杉治憲(鷹山)による藩政改革が有名だ。財政が逼迫していた米沢藩に、縁戚の高鍋藩秋月家から迎えられた鷹山は、率先して大倹約を行うとともに、数々の殖産振興政策を展開。そうした中で養蚕と米沢織物が特産品に発展し、藩財政と人々の生活が立ち直った。また、藩校・興譲館の設立など教育にも力を注いだ。困難な状況の下、「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」の精神で改革を成功させた鷹山は、現在も理想のリーダーとして高く評価されている。
現在は、昭和30年代から企業誘致を進めてきたことや、「米沢八幡原中核工業団地」の整備などにより、県内はもとより東北地方でも有数の工業のまちとなった。近年は、山形大学工学部を中心として産学官が連携した有機エレクトロニクス関連技術の研究開発が加速しており、工業用地「米沢オフィス・アルカディア」には、有機エレクトロニクスの実用化研究施設などの整備が進んでいる。
大火でも上杉の歴史が残る
米沢商工会議所の吉野徹会頭はまちの魅力についてこう話す。
「米沢は上杉の城下町として歴史的な伝統があり有機エレクトロニクスなど最先端の技術もあるまちです。そして学園都市でもあります。この人口規模で市内に山形大学工学部、米沢栄養大学、米沢女子短期大学の3大学があります。また、城下町ですので、外部の方には閉鎖的だと思われがちですが、決してそんなことはありません。住めば、米沢から離れたくないと思っていただけるほど人付き合いが親密にできる人が多いまちです。その理由の一つはこの地域の人々の人間性、そして米沢牛など高い食文化を誇るためそこに魅力を感じていただけるのだと思います」
歴史、伝統、最先端技術、学園都市と他地域にはない特色をもつ同市だが、良いことばかりではないという。
「米沢のまち並みは大正6年・同8年の2度の大火によって残念ながら歴史的な建造物を焼失してしまい昔の面影を失ってしまいました。歴史的なまちなのですが城下町の風情がほとんど残っていないのです。しかし、その大火の中残った観光地には歴史を感じていただけると思います。おすすめの観光スポットは上杉謙信公を祭っている上杉神社です。それと是非、見ていただきたいのは上杉歴代藩主の墓所がある上杉家廟所(びょうしょ)。市街地から離れているため、なかなか足を運びにくい場所にあるのですが、おすすめですね」(吉野会頭)
あの大統領が尊敬する日本人
ジョン・F・ケネディ氏は米国大統領への就任時、日本で最も尊敬する政治家は誰かとの質問に対し、「上杉鷹山」と答えたと言われていた。その話を聞いた当時青年部で活動していた吉野会頭は市政100周年時の記念にケネディ家から関係者を招こうとした。当時、米国にも行き画策したが、実現しなかったそうだ。しかし、それから20数年たちそれが実現する。娘のキャロライン・ケネディ氏が駐日米国大使に就任したのだ。
「各機関と連携し歓迎委員会を立ち上げ、官民あげてさまざまなところへアプローチを行いました。そしてキャロライン大使の訪問が実現したのです。ご来訪の記念碑も立てました。念願が叶い大変光栄でした」(吉野会頭)
同市を訪れたキャロライン大使は次のようにスピーチした。
「父が敬愛していた上杉鷹山は、領民に対して力を尽くし、教育に献身し、そして、一人ひとりに世の中を良くする力があるという信念を貫いたリーダーです。その姿は何世代にもわたる人びとに影響を与えてきました。皆さんが鷹山から受け継いだ遺産を讃え、そして次の世代にその教えを伝えていらっしゃることは素晴らしいことです。父は、『人は一人でも世の中を変えることができる、皆やってみるべきだ』とよく言っておりました。しかし、鷹山ほど端的にそれを言い表せた人はいません。『なせばなる』と……」
伝統の米沢織
上杉鷹山が行った代表的な殖産振興政策は織物の製造を下級武士などに奨励することだった。これが現在の「米沢織」の起源となっている。米沢織物業は、糸づくりから意匠、染色など多くの関連工程も産地内で行ったことから、長く米沢の経済を支えてきた。先進地だった新潟県小千谷より技術者を招き「縮布」の生産に成功し、以前からあった青苧(あおそ)を原料とした織物から、養蚕業を基礎とした絹織物製造に移行し、出羽の米沢織として全国に名を馳せた。
大正時代に米沢高等工業学校(現・山形大学工学部)の秦逸三教授が日本で初めて人絹の生産に成功。同市内に米沢人造絹糸製造所(現・帝人株式会社の前身)が創設され、全国に先駆けてレーヨンなどの化学繊維の生産を開始。これは、米沢織が合化繊維物へとシフトしていくにあたり、土台形成の役割となる。戦後の洋装化に伴い、昭和30年ごろより合化繊糸を使用した先染婦人服が主流となると米沢産地は呉服部門と服地部門の両面産地として評価を得るようになった。現在では海外へ輸出を図っている。このように、米沢の織物業は伝統的な絹織物から発展し、産地内に織元とその関連業種である撚糸(ねんし)、染色、織物仕上げ、意匠、紋彫(もんはり)部門、また流通段階での原糸商、織物買継商をもち、縫製、ニットを含めた全国で類を見ない繊維の総合産地となっている。
米沢織の現状について米沢繊維協議会の近藤哲夫会長は語る。
「機屋(はたや)の件数はピーク時に比べ約9分の1程度の規模になりました。 売り上げは昭和50年にピークを迎えた後、その5分の1まで落ち込んでいます。日本市場の96%が海外製品で国内製品はわすか4%という繊維産業の状況です。しかし、上杉鷹山公が残してくれたのが米沢織であり、私たちの仕事がこのまちの歴史ですから後世に残していくことは使命であり宿命です。現在、観光客向けに着物のレンタルを行うなど着物の入門者に向けた提案や需要の掘り起こしを行っています。米沢織の着物が目に触れ、着たいと思ってくれる人が増えてくれればと期待しています」
最先端技術が描く未来
有機エレクトロニクスは、電気を光に変える「有機EL」、電気を制御する「有機トランジスタ」、光を電気に変える「有機太陽電池」、電気を蓄える「蓄電デバイス」など有機半導体をベースとした電子の性質を利用する技術のことである。米沢という地域になぜ有機エレクトロニクスという最先端技術が根付き発展しているのか。その状況と可能性について山形大学の松田修教授はこう解説する。
「発展の根幹にあるのは鷹山公が藩政改革を行い、外部から人を招き人材育成に力を入れ藩全体に新しい波を起こすイノベーションを起こしたことです。これではいけないという危機意識が米沢に芽生えたのです。山形大学では白色有機ELの開発者として知られる城戸淳二教授と有機トランジスタ研究の第一人者、時任静士教授が研究しています。現在、山形大学工学部には4000人学生が在籍し、学生と教員の半数が有機材料関係について学んでいます。有機エレクトロニクスの目標は創エネ・省エネ・蓄エネの実現です。有機トランジスタの場合、特徴として軽くて薄く、曲げ伸ばしができ繰り返し使用可能。また、印刷技術で生産するため少量・大量生産どちらでも安価に対応できるのです」
山形大学有機エレクトロニクスイノベーションセンター(INOEL)では、先端技術の実装研究を行っている。また、その成果を社会実装するための場として「スマート未来ハウス」が建設された。
「まちの活性化にはインバウンドだけでなく、ビジネスマンが来たくなるまちにする必要があると考えています。スマート未来ハウスでは有機トランジスタ技術と印刷技術をもとに、バイオ技術、センサーとRFIDタグなどのIoT技術を融合した次世代多機能システムデバイスを使用し、ビッグデータ解析とリアルタイム監視をすることで健康状態を知ることができるなど未来の生活を展示しています。世界中から年間1000〜2000人が見学に訪問されています。まさにビジネスマンが来たくなるまちですよね(笑)」(松田教授)
これからのまちづくり
東北中央自動車道の福島JCT〜米沢IC、米沢IC〜米沢北IC間が平成29年度に供用開始が予定されている。
「福島から米沢間の移動で40数分かかっていたものが20数分に短縮され交通事情が大幅に変わります。また、その大半がトンネルですので、雪の影響を受けません。それに伴い物流・観光面が変わるでしょう。また、米沢を中心に4つの県庁所在地(山形、福島、仙台、新潟)に2時間以内で行くことができるのです。物流の拠点になりえるまさに交通の要所といえるでしょう。これはチャンスだと思っています。また、新しくできる道の駅にも参画します」(吉野会頭)
東北中央自動車道の開通により経済効果が期待される米沢。これからの商工会議所の在り方とまちづくりについて吉野会頭は「会員をサポートし、会員とともにあるのが商工会議所の一番の根幹です。会頭就任以来、経営指導に力を入れてきました。当所は事業が多いため職員のスキルも上がってきております。また、行政などと連携し長年の懸案である市街地の空洞化を解決し再活性化していきたいと考えています。今後、山形大学から出てくるであろう新産業・ベンチャー企業にも期待しています。米沢のこれからの成長をけん引していくため産学官の連携を推進していきます。そうすれば米沢はまだまだ伸びていく地域だと思います」と未来を見据えた。
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