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まちの解体新書 交通の利便性を生かした 歴史・文化の薫るまち

清流の鮎川

藤や冬桜が咲き誇る山紫水明のまち

春本番を迎え、桜前線もすでに北上中のようだ。日本各地にはお花見スポットは数多くあるが、花や自然を満喫できる名所が多数ある群馬県藤岡市をお花見におススメしたい。

藤岡市では市花である藤や冬桜をはじめ、ツツジ、アジサイ、ロウバイなど、一年中花めぐりを楽しめる。中でも、冬と春に二度咲く冬桜がシンボルの「桜山公園」と、藤が咲き誇る「ふじの咲く丘」は2大スポットとなっている。47haの広大な桜山公園では全国的にも珍しい約7000本もの冬の桜を鑑賞できるとあって人気が高い。そしてこれからがベストシーズンの藤。4月下旬~5月上旬に見ごろを迎える。23haの広さのふじの咲く丘にある250mの藤棚、45種類の藤は何とも言えず圧巻だ。この時期にはふじまつりを開催しており、夜間はライトアップされ幻想的なムードに包まれる。庚申山総合公園内にある藤をテーマにした資料館「ふじふれあい館」にもあわせて足を運びたい。写真や香りなど、藤をさまざまな視点から味わえる。

藤と冬桜は、藤岡市の「ご当地ぐんまちゃん」にも使用されている。藤をテーマにした「ふじの里」づくりのイメージキャラクターであるふじ娘に扮(ふん)している。その背景には天然記念物に指定されている冬桜があしらわれている。

藤岡市は総面積180・29㎢で、群馬県の南西部に位置している。昭和29年に藤岡町と神流村・小野村・美土里村・美九里村の隣接している1町4村が合併して市制を施行。翌年に平井・日野両村を編入、平成18年に鬼石町と合併し、現在の藤岡市となった。

この地に昭和22年、当時の藤岡町を中心とした産業人300人が集まり、多野商工会議所として創設されたのが藤岡商工会議所の始まり。戦後の群馬県南西部の経済再建を目指してのことだった。翌年法人化され、今年で創立70周年を迎える。地元で生まれ育ち、長年監事として商工会議所を支え、昨年会頭に就任した矢島諭会頭は、藤岡市を「住みやすいまち」だと胸を張る。

「清流である鮎川、三波川、三名川が流れ、山間地が市域の7割を占める藤岡市は山紫水明のまちといえます。また自然災害もほとんどなく、四季を通じて非常に過ごしやすい土地柄です。このような自然環境が良い影響を与えているのかもしれませんが、住民もとても穏やかだと感じています。行く先々で人の温もりを感じることができ、心地よく過ごせるまちだと思います」

藤岡商工会議所 会頭 矢島 諭 氏

道の駅「ららん藤岡」が関東で7年連続1位

藤岡市の特徴であり、かつ強みは、大きく3点が挙げられるのではないだろうか。

一点目は交通の要衝であること。矢島会頭は「関越自動車道と上信越自動車道の分岐点であります。また、北関東自動車道との分岐点も近く、立地上大きな利点になっています」と捉えている。藤岡市は日本海から太平洋まで日本列島を縦横に走る高速自動車交通の結節点だ。東京から約70㎞に位置し、群馬県の陸路の玄関口として産業・文化・観光など、さまざまな面で人とモノが行き交う上で大きな役割を果たしている。

この立地の良さもあって、幅広い層からの支持を集めているのは平成12年にオープンした「ハイウェイオアシスららん藤岡」。関東好きな道の駅ランキングで7年連続1位に輝いている。藤岡ICに隣接し、高速道路PAからも一般道からもアクセス可能。食事や買い物はもちろんのこと、中央のふれあい広場にある大きな噴水で水遊びができ、また休日にはさまざまなイベントが開催されている。商工会議所が運営する群馬県内82社の名産品を扱う観光物産館をはじめ、農産物やお土産品を扱う店舗、観光案内所、飲食店、観覧車やメリーゴーラウンドのあるミニ遊園地などがあり、老若男女の心をつかんでいる。

二点目は三大偉人を輩出した地であること。算聖とうたわれ、ニュートン、ライプニッツと並び世界三大数学者といわれる関孝和(寛永14・1637年生まれ)と、養蚕の教育機関、高山社の創始者である高山長五郎(文政13・1830年生まれ)がいる。そして、ゼロ戦の設計者として有名な堀越二郎(明治36・1903年生まれ)だ。

三点目は平成26年に世界遺産に認定された「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の一つである「高山社跡」を有していること。「富岡製糸場と絹産業遺産群」は富岡製糸場、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴の4資産から構成されている。生糸の品質向上と増産を可能にした富岡製糸場、通風を重視した養蚕法「清涼育」を大成し飼育試験を行った田島家、繭の品質向上と養蚕指導をした高山社、蚕種貯蔵技術を生かし養蚕の多回数化を支えた荒船風穴。それぞれが技術革新に貢献し、相互に関連して絹産業の発展と絹の大衆化をもたらした。

高山社跡には江戸期の長屋門や設立当時のままの蚕室が残されている。矢島会頭は「藤岡市には古くから蚕と絹市で栄えてきた歴史があります。養蚕技術の教育機関としての髙山社は藤岡市民の誇りです。高山社の歴史的価値は世界遺産にふさわしく、その価値を市民が再認識できたと思います」と語る。

4月下旬〜5月上旬に見ごろを迎える藤。その時期に「ふじまつり」が開催される

日本の近代化に貢献した養蚕の教育機関「高山社」

古くから養蚕が盛んだった繭のまち・藤岡。高山村の名主だった高山長五郎は村の収益を上げるために、現金収入が期待できる養蚕に着目した。さまざまな研究を重ね、試行錯誤の末に近代的な養蚕飼育法「清温育」を確立させた。「清温育」は温度、湿度などを調整し、細かい部分まで飼育管理を徹底する指導法だった。これにより、蚕の飼育が天の虫といわれるほど当たり外れの大きかった時代に、繭の量を安定させ、品質を格段に向上させた功績は大きいといえる。

高山長五郎はこの方法を普及・拡大するために明治17(1884)年に高山社を設立し、初代社長になった。昭和2年に廃校になるまで国内外から生徒を受け入れ、分け隔てなく安価で養蚕技術を教えた。さらに高山社で学んだ優秀な人物が全国に指導員として派遣されるにつれ、この方法が全国標準の飼育法となり、日本の近代化が進展した。

歴史的に見れば、平安時代にはすでに伊勢神宮に「藤岡絹」が奉納されるなど、上質な絹の産地として知られていたという。下仁田街道と十石街道が交差する交通の要だったこともあり、江戸時代には江戸や関西方面からも大勢の買い付け人が集まった。中心部の通りでは絹市が月12回開催されるなど、生糸取引市場として大いに栄えた。当時名だたる呉服店や呉服問屋が数々出店してにぎわっていた。代表的なのが三井越後屋(現、三越伊勢丹)であり、絹市は三井越後屋に莫大な利益をもたらした。三井越後屋はその繁盛に感謝して、諏訪神社に一対の大神輿(みこし)と大提灯(ちょうちん)を奉納したという。

「会遊亭」亭主の田口宣雄さん(右)と高野しのぶさん

情報発信施設を開設し往時のにぎわい復活へ

商工会議所では、絹市が開催されていた当時のにぎわい復活を目指し、活性化の核として市街地に「会遊亭」を5年前に開設した。矢島会頭は「交通の利便性を生かして市内外から足を運んでいただきたい。この『会遊亭』を拠点にまちを回遊してもらうことで、にぎわいのあるまちにしていきたいと思います」と抱負を語る。

「会遊亭」は大正時代の蔵を活用してつくられた情報発信施設。施設の外には三大偉人ののぼりが立てられ、中に入ると三人の写真が飾られている。藤岡の各種パンフレットがそろっているため、観光案内所として利用するもよし。カフェもあるので休憩に使うもよし。予約しておけば、月替わりで提供される、地元産の麦や季節に合わせた旬の食材を使用した料理の詰め合わせ「麦府御膳」を食すこともできる。カフェに併設のギャラリーで絵画・書・写真展やクラフト作品の展示販売やコンサート開催も可能。繭や蚕をモチーフにした小物、桑やシルクを使用したグッズ、「高山社跡」関連商品、各種地酒など藤岡ならではの商品もそろっている。会遊亭の田口宣雄亭主は手応えを感じている。「年々来場者は増えており、平成29年度の来場者数は約8000人です。ギャラリーのスペースを希望があれば貸し出していますが、展示販売は出展者からもお客さまからも好評です。ここをもっと交流の場として使ってほしい」と話す。

神流川に建設された「下久保ダム」

交通の要衝ゆえのまちづくり目指す

藤岡も他と同様、人口減少や少子高齢化は避けて通れない課題となっている。市の人口は平成7年ごろがピークで7万人を超えていたが、以後減少傾向で29年度は約6万6000人だ。 だが、矢島会頭はこの状況を嘆くのではなく、強みを生かし、できることをやっていくとの姿勢だ。

「高速交通の結節点である藤岡市は交通の利便性に優れています。周辺の開発はもちろんですが、工業団地などによる企業誘致や観光面でも発展の可能性は大いにあると思います。基本的にはこの優位性を生かしたまちづくりが目指すべき方向と考えています」 あわせて現在計画されている工業団地への企業誘致の促進や、誘致のための周辺整備などを関係各所に引き続き要望していくという。

そして、地域資源を活用した観光開発にも取り組みたいとしている。例えば年間270万人の来場者を記録している道の駅「ららん藤岡」はここだけで抜群の集客力を誇るが、他の名所やサービスといかに組み合わせて滞在時間を延ばし購買意欲を高められるか。「ららん藤岡」で商工会議所が運営している観光物産館をはじめ、このエリア全体の魅力を一層向上させることも必要になってくる。

また、世界遺産構成資産の一つ、「高山社跡」も藤岡の誇れる地域資源だ。他の3資産や世界記憶遺産となった上野三碑(こうずけさんぴ)とも連携を図りながら「高山社跡」をPRしていくとしている。

住んでよしの藤岡は訪れてよしのまちだった。風情ある屋根瓦の蔵が残るまち並み、四季折々の花々、緑や清流に恵まれた山間部や古墳群など、多彩な表情を見せる。点在する地域資源を有機的に結びつけることで、さらに進化してくことだろう。

蚕や絹市といった歴史・文化が脈々と受け継がれている藤岡――。そんな歴史の足跡を探してみるのも悪くない。

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