瀬立 モニカ (せりゅう・もにか)
1997年11月17日東京都生まれ。江東区カヌー協会所属
筑波大学体育専門学群3年。リオパラリンピック8位入賞
「水の上は、究極のバリアフリーなんです!」―カヌーの魅力を尋ねると、弾けるような笑顔で、瀬立モニカはそう答えた。「陸では階段や段差があって、車いすの私には通れないところもある。でも、カヌーなら、どこへだって自由に進めるんです」
中学2年でカヌーと出会った。出身の東京・江東区は河川や東京湾に面し、「水彩都市」をうたう。昔からカヌーが盛んな地域で、彼女も区が運営するクラブで、楽しく漕ぎ始めた。
だが、高校1年のとき、人生は一変する。体育の授業中の事故で脊髄を損傷、胸から下が動かなくなり、車いす生活になった。腹筋も背筋も利かず、背もたれなしでは姿勢も維持できない。スポーツ万能だった少女には受け入れがたい現実だった。
それでも懸命にリハビリに励む中、カヌーがまた、希望をくれた。事故後、思い切って乗ってみると、水上を滑るように移動する開放感が思い出された。以前は、腕だけでなく脚も使って上半身を回転させるように漕いでいたので、障がいを負った彼女には大変な挑戦だったが、楽しさが勝った。
2016年のリオパラリンピックからカヌーが正式競技になることも背中を押した。区内の旧中川で一心に練習に励む姿を、自治体も住民も熱く応援。期待も支えに、試行錯誤とストイックな努力を重ねながら、持ち前のセンスで実力を伸ばす。
念願のリオ大会出場も果たし、初出場ながら予選を突破し、決勝へ。だが、勢いよくスタートしたものの、小柄な体は横風にあおられ、結果は8人中の最下位。入賞はしたが、「うれしさより、悔しさのほうが大きかった」。
悔し涙がバネになった。しかも、次の東京大会では、江東区の海の森競技場がカヌーの競技会場に決まっていた。「メダルを獲って、地元に恩返し」を心に強く誓った。過酷なトレーニングにも立ち向かい、上半身は日に日にたくましさを増した。
19年夏、ハンガリーで開かれた世界選手権に出場すると、力強いパドリングで5位に食い込み、東京パラリンピック出場内定をつかんだ。
新型コロナの影響で東京パラリンピックは延期されたが、「強くなれる時間が増えた」と前を向く。いまはただ真っすぐに、大好きな水面を突き進もうと決めている。
カヌー
力強く巧みなパドリングが見どころ 驚きのスピードで競う水上の短距離走
競技用の艇をパドルで漕いで速さを競うカヌー。パラリンピックでは200mの直線コースで着順を競うスプリント種目が行われる。下肢に障がいのある選手を対象とし、程度によって3クラス(L1~3)に分かれる。舟の形と漕ぎ方の異なるカヤック(K)とヴァー(V)の2部門がある。障がいを感じさせないバランス感覚と、巧みなパドリングに注目!
競技紹介 https://tokyo2020.org/ja/paralympics/sports/canoe-sprint/
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