加古川中流域に広がる東播磨の中心都市
小野市は、兵庫県東播磨地域のほぼ中央に位置する人口約5万人のまち。現在の兵庫県域は、摂津・丹波・但馬・播磨・淡路の五つの旧国を中心に構成されている。同市は神戸市の西側にあたる播磨国(神戸市西部の垂水区・西区・北区から西となる県西部の瀬戸内海沿岸部)に属し、その内陸部のやや東寄りに位置している。
同市西側には、県下最大の流域面積を誇る1級河川「加古川」が南に流下。同市は、その中流域に広がる、いまなお豊かな自然が残る田園都市である。
交通面を見ると、同市は東西を結ぶ交通の大動脈である2本の高速道路(同市北側の中国自動車道と南側の山陽自動車道)に挟まれている。同市中心市街地から両自動車道のそれぞれのインターチェンジ(IC)には車で15分から20分程度で行くことができ、大阪までは約1時間。また、鉄道はJR加古川線と神戸電鉄粟生(あお)線の2路線が走り、神戸市中心部まで、こちらも約1時間と、交通利便性が高い。
小野商工会議所の柳田吉亮会頭は、こうした小野市を「全国的なメジャー都市に隠れた地方都市です。ただ、当市周辺の三木市、加西市、加東市などを合わせた面積は、神戸市とほぼ同じです。したがって、当市だけでなく周辺市も含んで広域的に物事を捉え、お互いに補完し合うような関係を各行政および近隣商工会議所などとつくっていければと思います。それぞれがバラバラの方向に進むのは地域の発展にとってマイナスですから。その中で当市は地理的にもおおよそ真ん中にあり、自動車や鉄道で、大阪(梅田)、神戸、さらに姫路にも1時間ほどで行けますので、大都市の扇の要に位置しているといえます」と説明する。
伝統の技「播州そろばん」と「小野金物」
小野商工会館の向かいに世界一大きいそろばんといわれるモニュメントがある。そこには「そろばんのまち 播州小野」と書かれているほか、そろばんの珠(たま)で西暦年が表現されている。また、同会館に隣接している小野市伝統産業会館の1階には「そろばん博物館」が設置され、同市におけるそろばん製造の歴史やその製造工程などが紹介されている。
昭和51(1976)年に国の伝統的工芸品の指定を受けた「播州そろばん」。その歴史は、戦国時代までさかのぼる。
天正6(1578)年から同8(1580)年の豊臣秀吉の三木城攻めの際に、周辺の播磨国美嚢(みのう)郡の住民たちが、近江国(現・滋賀県)に逃れた。当時、近江国では「大津そろばん」がつくられており、逃れた住民たちはそこでその製造技術を習得。その後、故郷に戻り、そろばんの生産を始めたことが「播州そろばん」の原点だ。
現在のそろばん年間出荷高は、全国ベースで約1億円といわれる。そのうち同市で生産している「播州そろばん」のシェアは約70%。残りの約30%は「雲州そろばん」、主に島根県奥出雲町で生産されているそろばんだ。 「今はまったく別の仕事をしていますが、わが家も祖父の代は、そろばん製造業でした。自宅の横にそろばん工場があったことを覚えています。近所にもたくさんありました」と語る柳田会頭。それほどそろばん製造業は、同市では一般的だったようである。最盛期の昭和35(1960)年には、年間360万丁のそろばんが生産された。「播州そろばん」は、そのなめらかな珠の運びや磨きあげられた美しさが特徴で、その上、使いやすいそろばんとして高い評価を得ていた。しかし、時代の変化とともに事業者数は減少。現在は11事業者となっている。 この「播州そろばん」と並ぶ同市の地場産品が「小野金物」。今から270年ほど前、江戸時代中期からの歴史を誇るハサミ、鎌、包丁、カミソリの「家庭刃物」は、全国的にも知られる逸品だ。当初は、農家が閑散期の家内工業として生産していたが、明治時代に入るとそれを本業とする人も現れた。素材の開発(播州鐡(てつ))や製法の改良などが行われ、そこで誕生した切れ味鋭い「播州鎌」(通称:カミソリ鎌)が評判を呼び、全国シェアの7割ほどを占めるに至った。なお「播州鎌」は、平成9(1997)年に兵庫県の伝統的工芸品の指定を受けた。
インフラを生かし産業構造の転換に成功
前述のそろばん製造業が時代の変化とともに徐々に縮小していったことは、同時に小野市経済の縮小を意味する。本来なら、その道をたどっていたはずであるが、同市の地理的特性やインフラが、それを(縮小させることなく)むしろ拡大する方向に動いた。同市の産業構造が時代の変化(入れ替わり)に対応し、経済の縮小は生じなかった。
同市は新たな産業拠点として、平成元(1989)年4月に「小野工業団地」(94・6ha)を、同4(1993)年4月に「小野流通等業務団地」(32・0ha)をそれぞれ造成し、合わせて約130haにも及ぶ巨大な工業団地を整備した。その背景には、前述の同市北側を走る「中国自動車道」と南側を走る「山陽自動車道」の各々のICが至近距離にあるという恵まれた立地が影響している。
現在、この工業団地では化学製品や食品、医薬品、印刷業など多岐にわたる企業31社が操業しており、その年間出荷額は、同市の総出荷額の約4割を占める。また、社員総数も約4500人規模となり、同市の財政および周辺地域も含んだ安定的な雇用創出に大きく貢献。すでにそろばん製造業の最盛期からの減少分を補って余りある存在となった。ただ、この事実や当該団地への進出企業名などは、関係者を除く多くの市民にはあまり知られていないという。
熱気あふれる小野まつり2日間で14万人来場
暑い夏をさらに熱くする小野まつり。今年で41回目を迎える同市最大のイベントだ。毎年8月のお盆明け、最初の土曜日と日曜日の2日間行われ、今年は8月19日、20日に開催される。大池総合公園や小野市うるおい交流館エクラなどを会場に大いに盛り上がる。来場者数は、同市人口(約5万人)の3倍近くの14万人(2015年実績)ほどで、増加傾向にある。ただ、ここに至るまでには、多くの市民や企業(経営者)などの努力と協力があったという。そのきっかけは、20世紀最後の年、2000年に発せられたあるひと言だったと柳田会頭は回想する。 「『小野まつりは面白くない。子どもとお年寄りが多くて10代から30代の人の姿が見えない』。このひと言は00年の第23回小野まつりで私が子どもたちを遊ばせるコーナーの責任者だった時、その開催3カ月ほど前の準備期間中に、若い人たちから言われたものです。その年は開催が目前に迫っていたため、例年どおりに開催しました。そしてまつり後の実行委員会で、そのひと言を他の委員に伝えると同時に、今後、このまつりを見直す検討委員会をつくってはどうかと提案しました。すると間もなく実行委員会から、検討委員会を立ち上げるので、その委員になってほしいと依頼されました」
そこから、現在の小野まつりにつながる見直しが始まった。
「小野まつりは、1978年に来場者3万人規模でスタートした盆踊りと花火が中心のお祭りです。確かに最近はマンネリ化していましたね。そこで検討委員会では『理想の祭りって何なん?』という問いから議論を始めました。われわれは全国のさまざまなお祭りを調べました。その中で最も注目したのが、札幌の『YOSAKOIソーラン』でした。当時、まだ始まって10年ほどしかたっていないこの祭りの盛り上がり方には、目を見張りました。さっそく資料を取り寄せて検討した結果、『これは魅力がある。老若男女関係ない祭りだ。ステージに上がっているチームには、女性だけや子ども中心のものから、中にはやや年配の方が参加しているものもある。これは、われわれが思う理想の祭りではないか。ただ、この熱気(エネルギー)は借りるにしても、YOSAKOIソーランの単なるコピーはやめよう』と意見がまとまりました。そこで、小野まつり独自のダンスイベントを企画し、『おの恋おどり』と命名しました。この名称には『小野(へ)来い』と『小野(に)恋(する)』の二つの意味を持たせ、ジャズダンスであれ、ヒップホップであれ、小野まつりに来て踊った踊りは全て『おの恋おどり』と呼ぶことにしました。あわせて、小野まつりの基本テーマ『郷土を愛する人たちの誇りとなるために!』と五つの基本方針(①市民参加型、②躍動感、③オリジナリティー、④広域性、⑤ストーリー性)を設定しました。これらは現在も『小野まつり』のパンフレットに記載され、揺るぎない理念となっています。こうして01年の第24回小野まつりから『おの恋おどり』をスタート。16チーム参加の下で、新たな一歩を印しました。5年後の06年(第29回)には102チームと、参加チーム数は3桁に達し、今年18年(第41回)は124チームのエントリーがありました。ありがたいことです。その多くは兵庫県内からですが、西は、岡山、広島、鳥取、東は、大阪、京都、福井、遠くは東京の大学チームも、最近は毎年参加するなど広域化しています」
「また、この祭りは基本方針にもあるように“市民参加型”です。もちろん行政からの支援もいただいていますが、基本は民主導です。地元の中高生(昼間のみ)をはじめ多くの市民ボランティアに支えられています。最近は(前述の)工業団地進出企業からの協賛や同社員のボランティア参画など、祭りを通じた地域貢献活動により、市民の間でも認知度が高まってきています。さらに周辺市などに所在の企業の協力もあり、こちらも広域化しています」 「今後の運営を考えると、ボランティアの高齢化などいくつか課題があります。それらをクリアして、市民参加型の地域事業モデルとなるように努めていきたいです。私は、すでに実行委員会メンバーを離れましたので、今後は側面からサポートしていくつもりです」と柳田会頭はバックアップを約束する。
この「おの恋おどり」という名称は「おの恋」の名称とともに2011年、同所とNPO法人北播磨市民活動支援センターなどの連携した取り組みにより商標登録された。その後、「おの恋」ブランド名の日本酒やホルモン焼きそば、タオル、縁結びや身体健康などの諸願成就のお守りなど「おの恋」を活用した製品やサービスが次々と誕生。土産品として評判も高く、売り上げも伸びている。
皆さま、ぜひ「小野(へ)来い」。
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