「真岡(もおか)」という地名の由来は諸説あり、一つには「ツルが舞う丘」から「舞丘(まいおか)」と呼ばれ、いつしか「真岡」と書かれるようになったともいわれています。その読みは、全国でも難解な市名ではないかと思います。また、歴史資料の中には「まをか」「まうか」「もうか」などの表記がありますが、昭和45(1970)年4月の真岡市広報誌発行規程に、「もおか広報」と定められたことから「もおか」と呼称する統一見解が示され、現在に至っています。
江戸時代後期の文化・文政・天保時代の頃には、年間38万反もの真岡木綿を生産し、「真岡」といえば、そのまま木綿の代名詞として通用した時代もありました。その後、開国により安価な輸入綿糸が流入すると次第に衰退し、戦後、その生産は途絶えました。しかしながら、もう一度技術の復興を図るため、昭和61(1986)年から当所が中心となり復活事業に取り組み、機織り技術者を養成しながら伝統を‶今〟につないでいます。その製品は、本市を代表する特産品として、現在は観光振興の一翼を担っています。
この真岡木綿が隆盛を極めていた頃、道徳と経済の融和を図りながらの産業振興を説いたのが、二宮尊徳です。尊徳は、私の住まい近くを流れる五行川の大前堰(おおさきせま)の造成や、桜町(現真岡市の一部)の荒廃した田畑の開墾などのため、藩命により小田原から妻子とともに着任し立派に復興を果たしました。今では質・量ともに日本一といわれるいちごの生産地となっています。本市には、尊徳の居住地であった桜町陣屋(国指定文化財)があります。尊徳が自ら経験し編み出した至誠を基本とした、勤労・分度・推譲の四つの教えは、報徳仕法の実践とともに全国へ知れ渡りました。
私の職業は印刷広告業で、創業以来55年になります。この至誠を社訓とし、社員をはじめ全ての人を幸せにする「いい会社をつくりましょう」を社是として、地元に密着した堅実な成長を目指して日々努力の毎日です。
かつて本市は農業を産業の基盤とするまちでしたが、現在は89社にも及ぶ企業が操業する大規模な工業団地を有する栃木県南東部の地方都市(人口約8万人)として発展を続けています。
日本一のいちご、かつて隆盛を極めた真岡木綿、国内初の本格的な内陸型火力発電所(124・8万kw、令和2(2020)年3月よりフル稼働、見学可能)など、魅力がたくさんの「もおか」に、ぜひとも足をお運びください。
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