「立派な店やと言はれるよりも、親切で正直な店やと言はれるやうに心がけるべし」
「京の台所」といわれる京都市中京区の錦市場で、庶民の毎日の食卓を支え続けた「井上佃煮店」が守る創業者の遺訓である。同店が135年掲げたのれんを下ろそうとした2019年の暮れ、それを知って動いた商人がいた。
「ほんまもんをなくしてはならない」と理由を語るのは、同じく京都市内の左京区でスーパーマーケット「フレンドフーズ」を営む藤田俊さん。同店は、無数にある商品の中からプロとしての目利きで、お客さまのためにより良い商品を提供し、全国に「この店あり」と知られる存在だ。そんなフレンドフーズにとっても井上佃煮店の「ほんまもん」は、お節料理を飾る一品として欠かせないものだった。
愛されてきた味の危機
農林水産大臣賞を受賞した「イカみょうが酢」「万願寺とうがらし昆布」をはじめ、「ちりめん山椒」「葉わさび」など京野菜を使った惣菜は、京都のみならず他府県の生活者にも長年愛されてきた味。また近年では、「はりねずみドーナツ」「チョコレートコロッケ」など若者や観光客向けの商品も販売し、時代の変化に合わせつつ伝統の味を守り続けてきた井上佃煮店の閉店を惜しむ声は少なくなかった。
「ため息がでるほどしょうもない店ばっかりが増えて来てる錦市場の中で、庶民の暮らしをじかにささえる貴重なお店でした」とつづるのは、人気ブログ「京暮らし*ときどき古典*」の桜井諾子さん。営業最後の日に訪れたエピソードとともに、京都市民の声を代弁している。
廃業予告を受けると、藤田さんは親子ほど年の離れた井上佃煮店4代目店主、梅村猛さんに事業存続を直訴。惣菜ばかりではなく、梅村さんとお客さまとの人間くさいコミュニケーションの場を何とか継続するために、フレンドフーズでの事業継続を繰り返し、ときには声を大きくして説得したという。
「惣菜づくり、とりわけうちの味を守り続けていくのは、肉体的にもしんどい仕事だし、店を営むにはさまざまな苦労もある。娘にこんな苦労をさせられない」と廃業の理由を語る梅村さん。しかし藤田さんの熱意に動かされ、「他社からもお声掛けがありましたが、藤田さんほど親身に熱意を持って説得してくれた人はいませんでした。この人なら信用できると……」と要請に応じた。
こうして梅村さんは有限会社を存続させたままフレンドフーズに契約社員として在籍し、のれん利用契約を締結。売り上げをレベニューシェアで分け合うパートナーとして、以前と同じように惣菜づくりに腕を振るう。9月17日、井上佃煮店の味は再びフレンドフーズでよみがえった。
「ゆくゆくは、また独立して事業を営んでほしい」という藤田さんの言葉を裏付けるように、現在、梅村さんの長女・美都さんもパート・アルバイトとして共にフレンドフーズで働いている。
心を込めた仕事の確かさ
「『あんたんところのなら、間違いないさかい』と言って、わざわざここまで足を運んでくださる常連さんも少なくありません。売り場でお客さまにそんなお声をいただくたびに、涙が出てきます」と言う梅村さん。その味に引かれ、日を追うたびにその味に魅了される新規のお客さまも増え続けている。
10月30、31日に行われた「井上佃煮店復活祭」フェアには、近郊の府県はもちろん、遠くは東京からもファンが詰め掛けて大盛況。加えて、かつての井上佃煮店のスタッフたちも顔を見せ、復活した井上佃煮店の惣菜と梅村さんを見て涙する場面もあった。
技術ばかりではなく、惣菜に込める心の大切さも伝える梅村さんは、すでにフレンドフーズに欠かせない一員のようだ。「元気のないスタッフのことを気に留めてくださり、ずっと話を聞いてくれていました」と、スタッフの一人は教えてくれた。惣菜の「惣」の字に心があるように、梅村さんは心を込めて惣菜をつくり続けてきた。その心が関わる人たちを笑顔にしていることが分かる。
(商い未来研究所・笹井清範)
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