地域で継承されてきた伝統的なものづくりの衰退が叫ばれて久しい。一方で伝統産業に新たな息吹を吹き込んでいる若き後継者がいる。彼らは伝統産業の良さを引き継ぎながらも現代の生活に合わせたものづくりで、新たな市場開拓に挑んでいる。コロナ禍に負けずに伝統産業を引き継いだ〝後継ぎ〟たちの柔軟な発想力と戦略に迫った。
事例1 果敢に独自技術を開発し新たな販路を開拓した発想力
吉澤 剛さん◆二唐刃物鍛造所(青森県弘前市)
津軽藩から作刀を命ぜられて以来、350年の歴史と伝統を受け継ぐ刀鍛冶の名門、二唐(にがら)刃物鍛造所。七代目で現社長・吉澤俊寿さんも、数々の賞を受賞した名匠だ。その技を継承する八代目の剛(ごう)さんは、「津軽打刃物(つがるうちはもの)」の伝統を持続発展させるために、優秀な職人の育成や観光資源としての活用を目指している。
刃物と鉄構の2枚看板で経営の安定化図る
日本一のリンゴの産地として知られる青森県で、意外にも古くから盛んだったのが製鉄だ。実際、この辺りでは製鉄遺跡が多数発掘され、奈良時代から平安時代初期に使われた鉄製の刀も発見されている。
「弘前には鍛冶町という名前の地域があり、江戸時代には100軒以上、昭和初期で60軒ほどの鍛冶屋があったと聞いています。ただ、今でも残っているのは5社だけで、鍛冶町も今では飲み屋街に様変わりしています」
そう説明するのは二唐刃物鍛造所の後継ぎで刃物事業部長の吉澤剛さんだ。二唐家は、津軽藩から作刀を命ぜられて以来、350年にわたって「津軽打刃物」の伝統を受け継いできた刀鍛冶の名門だ。代表者は刀匠の1人として、伝来の作刀技術を戦前は軍刀に、戦後は包丁を中心とした刃物づくりに発揮してきた。地鉄(じてつ)に鋼を付けてたたき抜く本打ち包丁は、2007年に青森県伝統工芸品にも認定されている。
一方、刃物製作で培った鍛造の技術を応用して、1963年から建築用鉄骨製造も行っている。弘前城本丸石垣修理における天守曳屋(ひきや)工事では、鉄骨構造物や曳屋後の本丸仮天守台の鉄骨製作を担当するなど、鉄構事業を2本目の柱に据え、経営の安定化を図ってきた。
「うちには刃物と鉄構という二つの事業部があり、先代のころは事業収益の約95%を鉄構事業が占め、刃物は技術継承のために残しているという位置づけでした。近年では3対7くらいの事業比率で推移してきましたが、あと1年もすると半々くらいになるかもしれません」
「暗紋」シリーズで津軽打刃物をブランド化
その理由は、ここ数年海外からの注文が急増し、売り上げが伸びているためだ。特に昨年は新型コロナウイルスの影響で、鉄構の方は予定していた仕事がほとんどなくなってしまったが、刃物の方は全く影響を受けず好調だった。同社ではオリジナルデザインの刃物を一つひとつ手打ちでつくっているが、中でも独自技術で生み出した「暗紋」シリーズは多くのメディアに取り上げられ、日本のみならず海外からも高く評価されている。
同社の包丁の製造工程は実に23にも上る。まずは、製造する刃物に合わせて地鉄と鋼を選定し、その二つを接着して火床(ほど)と呼ばれる炉に投入する。溶ける寸前まで熱して、ハンマーや手鎚でたたいて鉄と鋼を一体化し、刃物の形に打ち鍛える。さらに、グラインダーで削り、焼き入れ、焼き戻しなどの工程を経て、仕上げに柄を付けてようやく完成する。
「『暗紋』は、世界遺産の白神山地にある『暗門の滝』の波紋にヒントを得た、刃に無数の渦巻き模様が広がるデザインの包丁です。25層も重ねた地鉄と鋼の表面に、円すい状のくぼみを付けてからたたいて伸ばすのですが、たたき方や研ぎ方によって浮かび上がる渦巻き模様が変わるため、オンリーワンの刃物が仕上がります。つくるのが大変過ぎて誰もやろうとしないので、うち独自の紋様になりました」
暗紋が生まれたのは、2007年に弘前商工会議所が始めた「情張鍛人(じょっぱりかぬち)」プロジェクトがきっかけだ。情張とは津軽弁で頑固者という意味で、鍛人とは「金打(かねうち)」が転じて、金属を鍛えて加工することや鍛冶職人を指す。同プロジェクトは津軽打刃物をブランド化し、日本のみならず海外への販路拡大を目指す取り組みだ。その一環で出展したフランスで開催される国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」への出品作品として、俊寿さんが開発したのが「暗紋」だ。国内外の反響は当初今ひとつだったが、その後の地道なPR活動により徐々に認知されていった。
洋包丁をマスターし積極的に海外展開
そして現在、同社の刃物事業を担っているのが剛さんだ。もともと「家業にはあまり興味はなかった」そうで、地元の工業高校を卒業後は故郷を離れ、食品販売の仕事に従事していたという。しかし、六代目が亡くなる前に遺した「剛に跡を継がせなさい」という言葉を聞いて、家業に入る決心をする。
「子どものころから、プラモデルや工作などものづくりが好きだったので、大叔父はそういうところを見てくれていたのかもしれません」
11年に入社した剛さんは、ベテランの職人に基礎を教えてもらい、見よう見まねで技術を習得していく。数年で自らつくった包丁が商品として流通するまでになったが、まだその段階では形にすることに精いっぱいで、自分らしさを出すまでには至っていなかった。そこに転機が訪れる。
「津軽塗など地域の伝統技術を継承している若手職人が集まり、作品を展示するイベントに参加したんです。そのとき初めて、自由な発想でデザインしたペーパーナイフを出品しました。つくることが楽しかったし、出来栄えにも満足して、自信につながりました」
この体験が職人魂に火を付け、包丁づくりと本気で向き合う原動力となった。考え方にも変化が現れ、積極的に海外展開を意識するようになる。それには次なるハードルを乗り越える必要があった。一つは、今まで扱ったことのないステンレス素材を加工できるようになること。もう一つは、和包丁とは刃の構造や柄の形が異なる洋包丁をマスターすることだ。
「海外の人はすごく仕上げにこだわります。以前、英国のお客さんから注文を受けたとき、柄の仕上がりが悪いと返品されたことがあります。ほかにも、つば(刃と柄の間の部分)にも模様を入れてほしいと言われたり。そうした高い要求には意味がありますし、海外の人は良い悪いをはっきり言ってくれるので、かえってやりやすい面もあります」
当初は自分の技術とニーズがかみ合っていなかったというが、顧客の声や展示会での反響などをもとにブラッシュアップを重ねた。そうした努力のかいもあり、3年ほど前から海外からの注文が右肩上がりに増加。従来の方法では1日1丁が精いっぱいのところに、年間6000丁のオーダーが来るという。そこで製造工程を工夫し、工場のレイアウトをチェンジするなど業務効率の向上を図って、バックオーダーの解消に励んでいる。
地域で人材を育成する仕組みをつくりたい
俊寿さんが65歳を迎える23年、剛さんは八代目を継承する予定だ。それに向けて今、伝統技術を継承する人材の育成にも力を注いでいる。生産性向上のためでもあるが、理由はそれだけではない。
「市内にある鍛冶屋には、うち以外どこも後継者がいません。刃物組合のような組織もありませんし、このままでは津軽打刃物の技術が廃れてしまいます。会社ごとにではなく、地域の皆で人材を育成する仕組みづくりが急務です」
県でも、地域の伝統技術や地域ブランドの開発などに携わる地域おこし協力隊の募集を行っている。鍛冶に興味を抱いて県外から応募してきた2人の若者が、一定の実習などを終えて、この4月に同社への入社を果たした。こうした流れを加速させるには、「刃物の産地」としての拠点づくりが必要だと剛さんは考えている。
例えば、福井県越前市では地元の鍛冶職人が一つの施設で共同作業をしながら、連帯して弟子を育てているという。また、新潟県三条市には鍛冶道場があり、鍛冶に興味を持つ人が集まる拠点がある。そうした仕組みや拠点があれば人材が集まりやすく、観光資源としても活用できる。
「うちにも『鍛冶をやりたい』と門をたたいてくれた人がいましたが、刃物づくりに手いっぱいで断らざるを得ませんでした。もしかしたら優秀な職人に成長したかもしれないのに残念でなりません。そういうミスマッチをなくすためにも、人材育成プログラムをつくってマニュアル化し、地域で後継者を育てて、津軽打刃物の持続発展につなげたい」と、剛さんはずっと先の未来を見据えている。
コロナの影響で在宅時間が長くなり、自宅で料理する機会も増えた。そうした需要を見越して、大手ECサイトから国内向けに「ネット通販を始めませんか?」と打診されたという。とはいえ同社では、手ごろな値段の量産品は扱っていない。
「うちの製品は安くても4万~5万円はするので、家庭用に使うには少しハードルが高い。もう少し気軽に使ってもらえるものがあればとも思いましたが、今は難しい。やはり早く職人を育てて、生産性を上げたいですね」
会社データ
社名:有限会社二唐刃物鍛造所(にがらはものたんぞうじょ)
所在地:青森県弘前市金属町4-1
電話:0172-88-2881
代表者:吉澤俊寿 代表取締役
従業員:18人
※月刊石垣2021年5月号に掲載された記事です。
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