日本初の女子プロサッカーリーグが2021年9月、ついに開幕した。その名は「WEリーグ」。初代チェアに就任した岡島喜久子さんは、日本女子サッカーの黎明(れいめい)期を選手として、運営側として支え、さらに長年、日米間の金融界で活躍し続けてきたキャリアも誇る。岡島さんを旗手に日本の女子プロサッカーの歴史が今、動き出す。
世界の潮流に乗って初の女子プロリーグ開幕
「なでしこリーグ」がトップリーグであり続けた日本の女子サッカー界に、待望の女子プロリーグ、WEリーグが誕生した。WEは「WOMEN EMPOWERMENT」の略で、リーグに関わる私たち(WE)みんなが主人公であるという思いが込められている。女子サッカー選手を「職業」とするリーグの幕開けだ。
「FIFA(国際サッカー連盟)がジェンダー平等を推進している中、近年、ヨーロッパ各国で次々と女子プロリーグが誕生しました。2019年のワールドカップフランス大会を見ても、ベスト8に入ったのは米国を除いて全てヨーロッパ勢。プロ化という時流に乗らないと力の差は広がるばかりです。JFA(日本サッカー協会)がWEリーグを設立したのも、世界情勢があっての決定です。日本もこれからが勝負です」
そう意気込むのはWEリーグ初代チェアの岡島喜久子さんだ。日本女子サッカーの歴史とともに人生を歩んできた一人である。
そもそも日本の女子サッカーの歴史は長くはない。大正時代にサッカーをする女子の写真が残るものの、日本初の女子クラブチーム「FCジンナン」が誕生したのは1972年だ。そしてそのジンナンメンバーに岡島さんの名がある。
「サッカーに興味を持ったのは中学2年生のとき。よくドッジボールを一緒にしていた男子たちのサッカーの様子を見て、あの子たちにできるなら私もできると思ってやってみたら、もう楽しくて。サッカーってなかなか点が入らないから、1点入るたびにチームみんなで喜ぶでしょ。パスを回してみんなで勝ち取ったゴール。1点の重み、喜びはどのスポーツより大きいのが醍醐味(だいごみ)です」
そう目を輝かせて語る岡島さんは、今以上に女子サッカー人口が少ない中、選手であり続けた。環境はほぼ〝未開拓〟といっていい。中学時代はマネージャーとしてサッカー部に入部して、男子と一緒に練習に参加するも、試合には出られない状況から、週刊サッカーマガジンで日本初の女子クラブチーム、FCジンナンのメンバー公募を見付け、選手の座をつかみ取る。
性別も環境も超えてひたむきに「好き」を貫く
当時、メディアで取り上げられることも多かったが、プレーの良しあしではなく女性であることの珍しさを紹介するものばかり。だが、岡島さんの表情は曇らない。
「興味を持ってもらえたこと、私たちのことを知ってサッカーを始める女子が増えることがうれしかったですね」
以前から女子サッカー界全体を見据えていた。その後も日本代表に選ばれるほどのプレーヤーとして頭角を表すのだが、活躍は一選手にとどまらない。所属チームにコーチがいなければ、自らJFA認定の指導者ライセンスを取りに行き、そこでコーチをスカウトし、日本代表チームをつくるには連盟が必要と分かると設立に向けて奔走する。79年、日本女子サッカー連盟が誕生して初代理事メンバーになったのは21歳、学生だったというから驚く。
その間も、交換留学で米国に渡って1年間スポーツ医学とコーチング学を学び、卒業後は外資系の金融機関に勤めるのだが、その理由もサッカーありきだ。
「試合も練習も土日にあるので、土曜出勤の企業は避けました」
当時はまだ週休2日制の企業が少なかった時代、岡島さんの選択は実に潔い。ビジネス面も持ち前のバイタリティーで、金融業界の花形、トレーダーとしてのキャリアを積んでいく。89年に足の故障や海外転勤を機に引退。結婚して渡米後は、仕事と子育てを両立させた日々を送るが、96年のアトランタオリンピックの日本女子代表のスカウティング業務をサポートするなど、日本サッカー界と関わり続けた。
サッカーを通じて社会貢献にも注力する
そんな岡島さんと日本女子サッカーの距離が急速に縮まったのは、2018年に開催されたメキシコオリンピック50周年記念パーティーがきっかけだ。元日本代表の金田喜稔さんからJリーグの村井満チェアマンらを紹介され、女子プロリーグ設立担当者と知り合う。04年から米国有数の総合証券会社、メリルリンチのファイナンシャルプランナーとして活躍してきた岡島さんのキャリアが導いた縁だ。それを機にパートナー企業探しに協力するようになり、チェアとして白羽の矢が立った。
「コロナ禍でオンライン会議が浸透し、米国在住の私も会議に参加しやすくなっていました。20年6月にチェアの話をいただいたときは驚きましたが、その場で心を決めました」
ビジネスとサッカーの両面のキャリアがあり、メリーランド・神奈川姉妹州委員会の委員長を務めるなど、非営利団体の役員や理事長の経験も豊富だ。何より金融界で鍛え上げたビジネスセンスと人脈がある。WEリーグの理念である「女子サッカー・スポーツを通じて、夢や生き方の多様性にあふれ、一人ひとりが輝く社会の実現・発展に貢献する」を初代チェアとして強く説いてきた。
また、理念に基づいた組織づくりで、各クラブを運営する役職員の50%以上を女性とし、意思決定にかかわる者のうち、最低一人は女性とする(取締役以上が望ましい)と定めた。選手のセカンドキャリアの場として、女性リーダー育成にもつながるようWEリーグの存在価値を高めていく。コロナ禍での船出ではあるが、ジェンダー平等の機運が追い風となり、タイトルスポンサーにソファブランド・Yogiboを展開するウェブシャークをはじめ、パートナー企業が次々と決まった。
「アフターコロナを見据えて、観戦だけではなく、グルメやショッピングを充実させ、託児所やキッズルームを整えてスタジアムをさまざまなことを楽しめる場にしたいと考えています。対戦チームのご当地マルシェも増やしたいですね」と岡島さん。21年12月からは公式YouTubeの配信を強化するなどSNSの積極的な活用や、各クラブ・選手の地域交流、サッカーを通して子どもたちのスポーツ全般に求められる基礎体力向上も図る。
日本の女子サッカーの収益アップ、選手の競技力・地位の向上、人材育成など構想は多岐にわたるが、目下の目標は「なでしこジャパンをもう一度世界一に」だ。23年W杯、24年のパリオリンピックに照準を定め、日本女子サッカーを盛り上げていく。
WEリーグ公式YouTubeチャンネル▶https://m.youtube.com/channel/UCCp4d48-EN9WQRmfX9YQjIA
岡島 喜久子(おかじま・きくこ)
WEリーグチェア
1958年生まれ。中学時代にサッカーを始め、72年に日本初の女性クラブチーム「FCジンナン」に加入する。77年第2回アジア女子選手権に参加。早稲田大学商学部を卒業後、外資系銀行に就職する。79年日本女子サッカー連盟の初代理事、84年には事務局長を歴任。89年に海外転勤を機に選手を引退し、三菱UFJモルガン・スタンレー証券やメリルリンチなど日米の金融業界で活躍する。2020年日本初の女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)の初代チェアに就任。21年日本サッカー協会副会長に選任される
写真・後藤さくら
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