「マジック」と「医学」に共通点を見いだし〝マジックドクター〟として活躍する志村祥瑚さん。精神科医としてトップアスリートのメンタルコーチを務め、マジックも世界大会で優勝した腕前を持つ。精神医学の高いエビデンスに裏打ちされた手法で数々の成果を上げ、思い込みやネガティブ思考の〝タネ明かし〟で、病める心を解きほぐす。
狭き門を通り続け勝ち続けた先にあった闇
精神科医でありマジシャンでもある志村祥瑚さんは、精神医療にマジックを取り入れた斬新な手法で注目を集め、テレビ出演や全国からの講演依頼も数多い。
「学生時代に、マジックを医学に取り入れたいと教授に相談したら『医者を10年やってから考えなさい』と一蹴されました。学友たちからも白い目で見られましたね」
マジックに医学を掛け合わせる。突飛(とっぴ)な発想は軽い思いつきではない。思い悩み抜いた末にたどり着き、切り開いた独自の進路だ。そもそも志村さんがマジックに興味を持ったのは7、8歳の頃で、マジックが趣味の父親の影響だという。
「父が初めて見せてくれたマジックは、コーヒーが入ったマグカップを逆さまにして、そこからネズミが出てくるというものでした。目にしたもの全てが真実じゃない面白さに、引き込まれました」
マジックを練習しては学校の休み時間に披露し、クラスメートらに「すごい!」と喜ばれた。その反応がうれしくて、また練習する。あだ名が〝マジシャン〟になるのに、そう時間はかからなかった。
また、マジックにのめり込むもう一つの理由があった。
「親戚の経営するクリニックに後継ぎがいなかったため、親の方針で医者の道を歩むべく勉強、勉強の日々でした。中学受験で高校、大学と内部進学したのですが、医学部へはクラスで成績トップじゃないと進学できない狭き門です。親もテストの出題範囲が決まっているのだから100点が取れて当然という考えで、習い事も週に10個をこなしていました。学校が終わると、門の前に停まっている母の車に飛び乗って習い事へ向かう毎日。マジックは隙間時間のいい気晴らしでした」
成績トップから転落 絶望の淵で見つけた独自路線
そして、志村さんは医学部入学を機に燃え尽きる。勉強に身が入らず、マジックに没頭するあまり留年してしまうのである。成績トップの栄光があるが故に「留年」の二文字は重い。「人生が終わった」と思えるほど落ち込む志村さんに、周囲はライバルが一人減ったとばかりに冷ややかだったという。それが逆にバネとなり、志村さんは国内のマジックコンテストで賞を取り続けては、海外のショービジネスに思いを馳(は)せ、周囲の反対を押し切って渡米。ハリウッドの〝マジックの殿堂〟といわれる「マジックキャッスル」に通って腕を磨くと、2012年、ラスベガスジュニアマジック世界大会での優勝を果たす。
だが、帰国して志村さんを待ち受けていたのは、マジシャンか医者かの二者択一を迫る現実と、大学卒業に向けた勉強だ。希望のない勉強に嫌気が差し再び留年。鬱(うつ)病も発症する。
「自分はどこを目指しているのか分からず、そんな自分を認めることもできない。精神科医に相談しても無意味だと思い込んで八方塞(ふさ)がりでした」
そんな中、ターニングポイントとなったのが知り合いを介して実現した有名マジシャン、Mr.マリックさんとのランチだった。
「医学とマジックのどちらかを選ぶのではなく、どちらも人を喜ばせる共通点がある。両方やるという選択肢もあるんじゃないかな」
この言葉で志村さんの行動が一変する。精神医学を本気で学び始めると同時に、白衣を着てマジックをするという独自のスタイルでマジックショーの舞台に立つようになった。その活動がメディアの目に留まり、17年には日本テレビ系列の朝の情報番組「スッキリ」の生出演が決まる。そして、その番組を見ていた新体操日本代表を指導する山崎浩子さんから、メンタルコーチにと声が掛かった。
実体験と科学的根拠に基づいて〝心〟にコミットする
「最初、いたずらメールかと思いました。当時、僕は医学部5年生でしたから」と笑いつつも、「迷わずお引き受けしました」と勝負師の顔をのぞかせる。
コーチ経験はなかったものの、マジックでメンタルトレーニングを担当。その意外さが「ミスしちゃいけない」「メダルを取らなければ」という緊張感と殺伐とした選手の雰囲気を解きほぐしていった。トレーニングを経る中で、選手たちはとらわれていた固定観念に気付き、気持ちが変わっていった。
「メダルを獲得したいというゴールの先にあったのは『もっと新体操の魅力を伝えたい』『鳥肌の立つような演技を届けたい』という思い。その意識に集中する方法を具体的に伝えていきました」
結果、2年後のW杯で史上初の種目別・金メダルを獲得。志村さん自身も「東京2020オリンピック」で新体操、カヌー・スラロームのメンタルコーチを務めた。
また、医療現場でも積極的にマジックを取り入れた。研修医だったときのこと、志村さんは鬱状態になった末期がん患者に、言葉を掛ける代わりにマジックを披露。すると患者さんは本来の明るい性格を取り戻して人生を生き切った。こうした実体験を重ねつつ、マインドフルネス(気付き)に行動科学を加えた精神医学ACT(アクト)を取り入れて体系立てていく。精神医学でもエビデンス(科学的根拠)がトップレベルのレベル5相当のデータや論文に基づいた、人間の思い込みのメカニズムをひも解くメンタルトレーニングを展開し、確かな成果を上げていった。
「マジックは、見ている人の予想とは違う現実を見せて驚かせます。でも、その現実は錯覚で、人生も何にフォーカスしているかで同じ物事でも見え方が違ってきます」
そう言い、手元のトランプの12を4に、4を12に瞬時に変える。
「トップアスリートにも経営者にも共通して大切なのが、ゴール重視よりバリュー重視で人生をつくること。「金メダル」「上場」「売り上げ10億」といった一つひとつのゴールはあくまで通過点。結果重視だと他社の業績と自分を比べて落ち込んだり焦ったりしてしまいメンタルコントロールが難しくなります。一方、自分のバリューを軸として生きると、充実感を日々感じながら達成力も上がります。僕自身も『人生にマジックを起こす』というバリューを設定して、日々の仕事や挑戦を楽しんでいます」
そう語る志村さんが、今春リリースするのが、固定観念を外す世界初のエンターテインメント型メンタルトレーニングプログラム「LIMITLESS(リミットレス)」だ。志村さんの人生の苦楽のそばにずっとあったマジック。そこから独自の道を切り開き、その途上にいる志村さんの表情は、明るく穏やかだった。
志村 祥瑚(しむら・しょうご)
マジックドクター
1991年生まれ。慶應義塾大学医学部卒業。在学中の2012年にラスベガスジュニアマジック世界大会で優勝する。17年新体操日本代表「フェアリージャパンPOLA」のメンタルコーチに抜擢(てき)され、同年W杯でチーム入賞、19年のW杯では史上初の種目別金メダル、44年ぶりの団体総合で銀メダル獲得に貢献。「日本認知科学研究所」の代表理事を務め、22年NewsPicksの「時代の変化を象徴する10人」に選出される。トップアスリートや企業経営者などのメンタルコーチを務める
photo by Shunichi Oda
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