「文章がうまくなりたいんだけど……」仕事柄、こんな質問をいただくことがある。そんなとき、私は決まって自分への諫(いさ)めとして、「まずは良い文章を読むことです。そして、それを手本として書き続けることです」と答える。
おいしい料理をつくりたければ、おいしい料理を食べなければならない。美しい服を売りたければ、美しい服を着ることが必要だ。安全・安心な食を売りたければ、確かな食に親しむことは欠かせない。より良くなりたければ、はるか高みにある最良を知ることが大切だ。
単にぜいたくを勧めているわけではない。目指すべき頂上を理解していなければ、そこには行けないからである。自分が今いる場所よりも、ずっと先にいる〝最良〟を知り、そこへ向かって地道な努力を続ける。
結局、これこそが頂上への確実な早道であることを学んだ名言をお伝えしたい。
創意を尊びつつ良い事は真似よ
「創意を尊びつつ良い事は真似(まね)よ」
これは「昭和の石田梅岩」といわれた経営指導者、倉本長治の言葉の一つである。
「学ぶ」の語源が「真似る」と同じであり、「真似ぶ」ともいわれていたことをご存じだろうか。「真に似せる」の意味から「真似」や「真似ぶ」が生まれ、「学ぶ」という語が生じた。つまり、真似ることは学ぶことの基本であり、真に似せることから学びは始まる。
では、「良い事」とは何を意味するのだろうか。もうかることだろうか。簡単にできることだろうか。実は、これらの理由は全て「自分にとって」という前提に立っている。
真似るべき価値ある本当に良い事とは、そんなものではないと倉本はいう。ただ一つ、お客さまにとって良い事のみであり、その確信が持てるならば、勇敢に真似よ、と。
ただし、真似る上での心構えも大切である。目に見える事柄の物真似だけでは、良い事の本質を自分のものとすることはできない。良い事の中にある目に見えない心も理解し、同じように真似しなければならない。それができたとき、他店・他社の表層的な模倣を超えて、独自性創造への一歩を踏み出せる。
形だけを真似て、そこで学びをやめてしまうから、状況が変わった途端にうまくいかなくなる。形から入って心までを理解したとき、真似は学びにまで昇華する。
この一瞬の積み重ねが全生涯
真似することに加えて、創意工夫にも取り組まなければならない。創意というのは自分で考え、工夫とは自分でいろいろやってみて独自性を生み出そうとする営みをいう。
創意工夫するには、資本力も企業規模も必要はない。これまでイノベーションの多くが辺境から興ってきたといわれる。辺境とは素人であり、小さな存在のことである。そこには、他人の真似ごとを超えて、自分の頭で考えた工夫を大切にする姿勢がある。
このとき、創意工夫と真似は対立するものではなく、互いに補完する役割を担っている。真似の中から創意は生まれるし、創意があるから真似もできる。
武道や茶道、芸能の学びの段階を表す言葉に「守破離(しゅはり)」がある。「守」は、師や流派の教えや基本の型を確実に身に付ける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れる段階。最後の「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出して確立させる段階をいう。
真似とは「守」であり、創意工夫とは「離」。自分だけの独自性である「離」は、「守」「離」の積み重ねの末に得られる。
だから、初めは小さなことの真似からでもいい。実践なくして実現することは何もない。今を大切する。人生は「今」の積み重ねの連続である。倉本の遺した言葉である。
(商い未来研究所・笹井清範)