わが国の農林水産物・食品の輸出額は2021年に1兆円を超え、25年に2兆円とすることを目指す。今や食品の輸出に力を入れている企業は、日本産というだけではなく、輸出先となる各国の事情に合わせて独自の製法を生かし、細かな戦略で新たな需要を開拓している。そんな地域企業の取り組みを追った。
主力の吟醸酒を世界35カ国に輸出し日本の「国酒」の魅力を伝える
1892年の創業以来、130年の歴史を刻んできた出羽桜酒造。普通酒が一般的だった時代に、他社に先駆けて吟醸酒の製造販売に力を注ぎ、「出羽桜」の知名度を全国区に押し上げた。その後、海外市場にもいち早く着目。現在、世界35カ国に販売網を拡大し、低迷の続く酒造業界にあって着実に業績を上げている。
業界に先駆けて手頃な高級酒の生産に乗り出す
山形県天童市は、県内のほかの豪雪地と比べて積雪量は少ないが、雪解け水が地中に染み込んで湧き出す、立谷川の伏流水に恵まれている。また、米の一大産地であり酒造に適した米も多いことから、古来銘醸地として名高い。
出羽桜酒造は、同地で1892年に仲野酒造として創業した。1970年に出羽桜酒造に社名を変更後、同社は徐々に高付加価値商品に重きを置き始めた。
「当社は『挑戦と変革』『不易流行』を理念に掲げています。現状維持では時代の流れに取り残されるという思いが常にあり、新しいことにトライする気持ちが強い。そんな社風から、普通酒が最も飲まれていた時代に、吟醸酒づくりに乗り出しました」と同社四代目で社長の仲野益美さんは説明する。
吟醸酒とは、重量の4割以上(精米歩合60%以下)削った酒米を原料に、低温で長期間発酵させるなど特別に吟味してつくった酒だ。当時の日本酒は、一級酒や二級酒と呼ばれた普通酒がメインで、吟醸酒は品評会に出品するような高級酒と捉えられていた。そのような中で同社は80年に他社に先駆けて、一級酒よりも安い「桜花吟醸酒」を発売する。さらに、純米吟醸酒、純米大吟醸酒、生酒の製造にも取り組み、蔵全体の生産量における吟醸酒の比率を上げていった。
「おいしい日本酒を味わってほしいというのが一番ですが、日本酒業界の新たな飛躍のきっかけになればという思いがありました。ラベルの中央に商品名ではなく『吟醸酒』と書かれているのも、認知されるようになって普及につなげるためにデザインしたものです」
同商品はたちまち人気を博し、「出羽桜」ブランドを全国区へと押し上げ、同社の看板商品となった。
日本人の日本酒離れに危機感 いち早く海外に着目
同社が海外展開に乗り出したのは、97年のこと。日本酒業界全体として海外輸出に力を入れるようになったのは2008年頃のため、かなり早かった。海外進出の発端は日本人の日本酒離れだ。
「日本酒の消費量は1973年を境にずっと下り坂で、出荷量はピーク時の4分の1まで減少しています。アルコール全体の出荷量も減っていますが、このまま手をこまねいていたら、国酒である日本酒は廃れてしまいます。後継者に継いでもらい、地元の雇用を守るためにも、海外に活路を広げておきたいと思いました」
同社が最初に輸出したのはドイツ、フランス、オランダだが、本格的な取り組みは99年の米国だ。ハワイに移住して現地の酒造会社の技師を務めていた日本人の紹介で、大の日本酒好きだという米国人が設立した日本酒の輸入会社と出合った。その会社と取引を開始したことで、ニューヨーク、ワシントンDC、ロサンゼルス、サンフランシスコなど、米国の主要都市への販路が広がっていった。
「販促活動で海外展示会や日本酒販促イベントなどを行うと、必ず聞かれるのは『この日本酒は、どんな料理に合いますか?』という質問です。『このお酒をつくっている山形はどんなところですか?』も多いですね。海外では、日本酒が生まれた地域の風土や食とのマッチングについて説明が求められます。それを含め日本酒の魅力を説明して、現地の人に理解してもらうことが大切です」
その後も順調に輸出先を増やしていったが、国によって食習慣も商習慣も異なるため、それらを意識した戦略を立てたという。例えば、中国では店への酒の持ち込みが可能なので、持ち込みしやすいように300mlなどの小瓶を充実させた。辛い料理の多い国向けにアジアンテイストにも合う日本酒もラインアップした。また、中華なら海鮮料理、フレンチなら和風食材を使った料理というように、料理とのマッチングを意識したPRを心掛けると反応がいいと言う。
「『カキとシャブリ』は世界中で言われている定説ですが、カキのほのかな生臭さを消すなら日本酒の方がいいと思います。そういうことを知ってもらうためにも、私ができるだけ現地に行って消費者の声を聞いたり、レストランのシェフやソムリエに料理と日本酒の合わせ方などを伝えるようにしたりしています」
世界で支持されるにはまず日本で支持されること
地道な販促活動が実を結んで、現在、輸出先は35カ国を数えるまでになった。年間出荷量に対して輸出の占める割合は十数%まで伸びている。そのポイントは、情報発信力の高い地域に重点を置いたことだ。日本なら東京で「おいしい」と評価されると日本中に広がるように、米国ならニューヨーク、アジアなら香港、ヨーロッパなら英国で評価されると、その情報が広く拡散されていく。
とはいえ、まだ地域差は大きい。輸出全体の4割が米国、2割が中国、2割弱を香港が占めている。日本酒が世界のアルコール飲料として認知されるには、ヨーロッパで評価されることが必須だと仲野さんは言う。同社の商品はヨーロッパにも輸出されているが、フランス、イタリア、スペインでは苦戦している。いわゆるグルメの国には自慢の料理があり、それに合う自慢のワインがあるためだ。
「日本酒が海外に受け入れられるには、まず日本で受け入れられていないと難しい。地元に愛されて、山形の文化を代表して、それを海外に伝える努力が必要だと考えます。『山形の酒はおいしい』『日本酒を飲みに山形に行ってみたい』と言ってもらい、やがて山形が日本酒の聖地となれるように、海外の輸入業者、レストランの仕入れ担当やサーバー、消費者などに向けて地道に発信しています」
「SAKE」という言葉は世界に浸透しつつあるが、山形県産の日本酒には「山形」という地理的表示(GI)が、県単位の日本酒としては日本で初めて認定されている。これは地域ブランドを保護することを目的としたもので、ワインで言えば「ボルドー」「ブルゴーニュ」「シャンパン」などがそれに当たる。つまり、海外から見て「日本酒と言えば山形」と言ってもらえる品質を保証するものだ。
その背景には、山形には突出した酒蔵がないことが挙げられる。そのため古くから県内の蔵同士が連携し、各々の技術をオープンにして情報共有してきた。それでは蔵独自の技術や製法が盗まれるのではと考えてしまうが、むしろ情報を共有している方が技術習得も早く、互いに切磋琢磨して独自性を出そうと努力するため、いい酒づくりにつながるのだという。
「当社では以前より、将来酒蔵を背負って立つ後継者を育成するために、研修生を20人以上受け入れています。皆2~3年は在籍して基本をみっちり学ぶので、製法を隠しようもありません。酒づくりで大切なのは、水、米、技術、人。皆でまとまって国酒の日本酒を盛り上げたい」
仲野さんが酒造組合会長を務める山形県の酒蔵は実に8割が海外輸出を果たしている。
日本酒のあるライフスタイルを広く提案していきたい
コロナ禍にあったこの3年は、仲野さんにとって思うところがいろいろあったと言う。在宅時間の増加による家飲み習慣の定着に伴い、日本酒業界では紙パック酒の需要は伸びたが、瓶入り酒しか扱っていないところは軒並み売り上げを落とした。同社は海外輸出が好調だったため、全体の売り上げ減は少なかったが、こうした状況を機にますます日本酒離れが進む可能性があると危惧する。
「日本酒に戻ってきてもらうためにも、日本酒が苦手な人、アルコール自体に弱いという人が、『これなら飲める』という商品を提供したい。そこで当社では桃やラ・フランスといった山形の果実を生かした甘酒やリキュールなど、新ジャンルの開発にも力を入れています」
また、単に売るだけでなく、山形の酒蔵と地域をまるごと味わってもらう酒蔵ツーリズムにも乗り出している。
「国内外を問わず多くの人に山形に来てもらい、酒蔵巡りをしたり、美術館を鑑賞したり、お酒と料理の組み合わせを堪能してもらいたい。さらに今後はお酒とインテリア、お酒とファッションといった異業種とのコラボも積極的に展開して、日本酒のあるライフスタイルを広く世界に提案していこうと考えています」と語る仲野さんは、すでに次なる挑戦に目を向けている。
会社データ
社名 : 出羽桜酒造株式会社(でわざくらしゅぞう)
所在地 : 山形県天童市一日町1-4-6
電話 : 023-653-5121
HP : https://www.dewazakura.co.jp/
代表者 : 仲野益美 代表取締役社長
従業員 : 65人
【天童商工会議所】
※月刊石垣2023年1月号に掲載された記事です。
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