アニメ映画『千と千尋の神隠し』の情景描写のモデルになったとされる台湾北部の観光地、九(きゅう)ふん。コロナ禍で長らく客足が遠のいていたが、3月初旬に訪れると九ふんの特徴の狭く急な階段には日本、韓国、米欧系など旅行客が殺到し、歩けないほどのにぎわいだった。台北に隣接する新北(しんほく)市にある名門私立大学、淡江(たんこう)大学を訪問すると、大学関係者は「海外からの留学希望者が殺到し、受け入れ対応に追われている」と語った。上海、大連など中国本土の大学で中国語を学ぶにはビザやコロナ対策など複雑で不透明なハードルがあり、台湾で中国の「普通話」を学ぼうという学生が増えているからだ。
ニュースで話題のTSMCなど台湾の半導体メーカーの話題を聞かない日はないほど台湾経済は好調といえる。TSMCは米アリゾナ州や日本の熊本県など海外での工場新設が話題になっているが、2ナノ、3ナノといった最先端プロセスでは新竹(しんちく)、台南、高雄など台湾内での工場建設がより活発だ。台南などでは、TSMCが大量採用するため「まったく人を採用できない」といったぼやきがほかの企業関係者から聞かれる。台湾にとって最大の取引先である中国の消費不振や中国本土からの観光客が途絶えていることは打撃だが、それを埋め合わせるエネルギーが今の台湾にはある。
かといって、台湾の知人と話をして感じるのはコロナ禍前にはなかった漠然とした将来への不安の高まりだ。習近平政権は台湾への軍事的圧力をますます高めており、日米のメディアでも頻繁に語られる武力による統一はもちろん不安材料に違いないし、中国による諜報(ちょうほう)活動や世論工作の激化で「周りに中国側に通じたスパイがいるように感じる」と指摘する人も少なくない。だが、それ以上に「台湾の未来」が米中冷戦の激化やロシアのウクライナ侵攻をきっかけとした世界の分断の加速で一段と不透明になってきたことに不安の根があるように見える。
「中国との統一」か、「台湾独立」かという存在を巡る二項対立ではなく、アイデンティティーが再び見えにくくなりつつあるからかもしれない。TSMCや電子製品の受託製造専業の鴻海精密工業(ホンハイ)、ペガトロンなどが生産拠点のグローバル展開を進めれば進めるほど、台湾という地理的存在から来るアイデンティティーは薄まりかねない。台湾の光と影のコントラストは一段と深まっている。その影の部分を打ち消す力は海外からの投資であり、台中のブリッジになる日本企業の役割は重要だ。
最新号を紙面で読める!