福島県福島市出身の古関裕而(こせきゆうじ)は、「オリンピックマーチ」や「六甲おろし」など誰もが一度は耳にしたことがある楽曲を数多く生み出した偉大な作曲家だ。全国の校歌など生涯5000に上る曲をつくり、今なお歌い継がれる名曲を数多く世に残している。福島YEGは、古関裕而に注目し、NHK朝の連続テレビ小説「エール」の誘致事業を行った発起人。この事業は、2019年度に日本商工会議所青年部主催の、全国で一番優れたYEGの事業を選出する「YEG大賞」で最優秀賞を受賞した。あれから5年。福島YEGのその後を追った。
オリンピックマーチをもう一度
古関裕而が作曲した「オリンピックマーチ」は、1964年の東京オリンピックで戦後の復興のシンボルとして開会式で鳴り響いた。福島YEGは、東京2020大会に地元福島の音楽団による演奏で、いま一度、国立競技場に響かせ、東日本大震災からの復興を世界にアピールしようと壮大なチャレンジを試みた。
チャレンジの成功には、古関裕而という人物を多くの人に知ってもらう必要がある。そこでNHK朝の連続テレビ小説に着目し、2014年から朝ドラ誘致活動をスタート。福島市全体の盛り上がりと理解と得るため、古関の楽曲に特化したイベントを開催した。署名活動では、諸団体と連携するだけでなく、古関の妻である金子(きんこ)の出身地である愛知県豊橋市のYEGとタッグを組み、延べ15万人以上の署名を集めた。相互のイベントに参加し合って機運を高めた結果、20年に念願であった朝ドラ「エール」が放送された。東京2020大会は、開催が延期となり地元音楽団の演奏はかなわなかったものの、閉会式で2度目のオリンピックマーチが奏でられ、チャレンジは達成された。
音楽のまちとして
福島YEGは、朝ドラ化の勢いを一過性のものとせず、古関メロディーという偉大な文化を継承して福島市の活性化につなげるため、音楽フェス「ユージックフェス」の開催を20年に開始。当初は、優勝者には賞金30万円と地元の音楽制作会社とタイアップしてデビューを約束した、アマチュアバンドがプロになれる「音楽のまち福島市」の構想を練っていたが、検討を重ねた結果、音楽フェスとしてスタートすることになった。ジャズやロック、ヒップホップなどさまざまなジャンルでアレンジした古関メロディーを演奏。プロのミュージシャンだけでなく、アマチュアバンドやマーチングバンドなど参加者の幅が広いのが特徴である。初開催以来、回数を重ねるごとに若者の参加も増え、当初の思いに近づきつつある。
23年は、人気アカペラグループ「ベイビーブー」、福島市出身の歌手「MANAMI」、市内を中心に活動する音楽グループ「DEFROCK」「Yochi YochiΩ」の出演だけでなく、地元高校のダンス部や書道部もライブパフォーマンスを繰り広げた。
常に進化を目指して
イベントに対する福島YEGのこだわりは飲食のジャンルにも及ぶ。
誰もが身近に感じられるようにお菓子をプロデュース。ゆずの北限産地である信夫山と古関メロディーをイメージしたオリジナルスイーツ「Yuzu no Ne」を、地元の有名パティシエと共に製作し、当日は大盛況で、即完売となった。
また、朝ドラ関連で交流が深まった県内外のYEGにも出店してもらい、一緒にフェスのスケールの拡大化を図った。JR福島駅東口駅前通りでは23年、愛知県豊橋市の「赤だし」や、岩手県久慈市の「まめぶ汁」など、5種類の郷土料理を無料で振る舞う「汁フェス」を同時開催。フカヒレを使った汁物を提供した気仙沼YEGのほか、豊橋YEG、久慈YEG、相馬YEG、米沢YEGが参加し盛り上げた。
未来に向かってエールを
2024年に控える福島YEG40周年に向けて、野地大輔会長は「時代は変わっていくが、古関裕而さんの音楽のように変わらないものは大切にして継承していきたい。その上で、われわれは、多角的な視点を取り入れるために、近隣組織と連携強化し交流を深めつつ活動して地域を盛り上げていくことが使命だと思う。イノベーションの本質である創造的破壊こそ、次の時代の地域経済の発展には欠かせないものと考え、新風を取り入れ組織を変えたい」と眼鏡の奥の瞳をキラリと輝かせながら語ってくれた。エールレガシーのさらなる発展が楽しみだ。
【福島商工会議所青年部】
会 長 : 野地大輔
設 立 : 1985年
会員数 : 86人
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