今年の賃上げは例年以上に注目されている。賃金の上昇率が物価上昇率を上回り、消費者が安心してお金を使えるようになると、消費が拡大し景気の本格的な回復につながるとの期待があるからだ。
今年の賃上げは、昨年の実績を上回る可能性が高い。経済の専門家の予想以上に、大企業の賃上げ重視姿勢は強い。背景には、人手不足に加え、政府や経団連が大幅な賃上げを呼び掛けたことがある。競合他社と同等かそれを上回る賃上げによって、既存事業の運営に必要な人員数を確保しようとする企業は増えた。人員確保のために、従業員の生活の安心感を高めることは大切だ。足元、わが国の物価上昇率は、名目賃金の上昇を上回る状況が続く。経営者が賃上げをためらうと、従業員はより高い給料の企業に移ってしまう。賃上げによって従業員の満足感を高め、より長く勤めてもらう。賃上げの重要性は高まった。
専門性の高い人材獲得のためにも、賃上げは喫緊の課題だ。AIの急速な広がり、脱炭素などに対応するために、デジタル技術、プログラミング、財務などの専門人材を確保し、成長戦略を強化する必要性は高まった。企業が職務内容を明確化し、能力と実績ある人を採用する“ジョブ型”の雇用も増えた。人材確保、成長戦略の強化のため、労働組合の要求を上回る賃上げを行う大企業もある。また、初任給を10%以上引き上げる企業も出ている。わが国経済の状況は堅調とは言い難いものの、経営者の賃上げ重視の姿勢はより強まったといえる。
昨年と比較すると、事業環境が厳しい中で賃上げに取り組む中小企業も増えた。日本商工会議所は2月14日、2024年度に賃上げを実施予定の企業は、昨年度から3・1ポイント増加の61・3%だったと発表した。3%以上の賃上げを計画する割合は36・6%、昨年度より3・1ポイント上昇した。政府が経済界に、中小企業が適正な収益を確保して賃上げを継続できる環境を整備するよう、要請を強めたことは重要だった。一つの取り組みに、公正取引委員会は3月7日、大手自動車メーカーに勧告を出した。「下請事業者の責めに帰すべき理由がないのに、下請代金の額を減じない」よう求めたのだ。自動車産業は、わが国経済のけん引役である。下請け、孫請けと、自動車産業は重層的な取引関係を構築。完成車メーカーや主要部品メーカーは、下請けの中小企業に、コスト低減の取り組みを強化するよう要請してきた。中小企業の価格転嫁は難しくなり、賃上げは阻害されていた。
従来の商慣行を見直して中小企業に価格転嫁を促し、持続的な賃上げを実現してほしいという政府からの要請は強まったといえる。中小企業庁は、企業の成長と賃上げの両方を目指し、中小企業向け“賃上げ促進税制”を実施した。また、政府は非正規雇用者の賃金を引き上げるよう、中小企業にも要請を強めた。中小企業向けに“キャリアアップ助成金”を支給し、正社員化、処遇の改善を求めた。非正規雇用者に賞与や退職金を支払えるよう支援も強化した。政府の後押しもあり、大幅な賃上げを求める非正規雇用者も増えた。連合が掲げる賃上げ方針(5%以上)を上回る賃上げを求める合同労働組合もある。
最も重要なポイントは、今年、物価の上昇ペースと同じ、あるいはそれを上回る賃上げが経済全体として実現できるか否かだ。賃上げによって実質ベースでの収入が増えれば、多くの家計で生活の安心感は高まるだろう。日々の生活を安心して送ることができれば、余暇(旅行や外食など)や子どもの教育、自分自身の学び直しにお金を使う考えも高まりやすくなる。TSMCの対日進出を呼び水に、高い製造技術を持つ中小の素材メーカーなどの収益性が上向く可能性も増す。そうなると、わが国の需要全体は回復するはずだ。GDPの成長率が上昇する可能性も高まる。物価上昇ペースと同じ、あるいはそれ以上の賃上げ実現は、消費拡大と景気の本格的な回復の好循環実現に必要不可欠な要素と考えるべきだ。 (3月11日執筆)
最新号を紙面で読める!