「価格競争」が経営を圧迫する中小企業に、今、求められているのが、自社の強みを可視化し、付加価値向上につなげる「知的財産(知財)を生かした経営」だ。なぜ今、中小企業に「知財経営」が求められているのか。その重要性と、経営者が踏み出すべき第一歩について、日本商工会議所知的財産専門委員会委員長の宗像直子さんに聞いた。
知的財産と知的財産権
知的財産(知財)とは、技術やデザイン、ブランド、現場で培われた工夫やノウハウなど、企業の中に蓄積された無形の資産を指す。知的財産権は、その知財の一部を法的に保護するための仕組みであり、特許権、実用新案権、意匠権、商標権などがある。例えばドラム式洗濯機では、洗浄技術は特許、フタの構造は実用新案、デザインは意匠、ロゴは商標といった多角的な権利で価値が支えられている。知財は、権利として「公開」して守る方法もあれば、あえて権利化せず、ノウハウとして「秘匿」する選択もある。この戦略的な使い分けこそが、知財活用、そして知財経営の要となる。
宗像 直子(むなかた・なおこ)
日本商工会議所 知的財産専門委員会委員長
価格競争から脱却し稼ぐ力を支える知財の役割
―日本商工会議所として、中小企業における知財経営の普及・支援に力を入れているのは、なぜでしょうか。
宗像直子さん(以下、宗像) 最大の理由は、全国の中小企業の経営現場において、従来のやり方だけではもはや立ち行かない局面に入っている、という強い危機感があるからです。日本企業総数の99・7%を占め、雇用の約7割、三大都市圏を除く地方部では約9割を支えているのが中小企業です。ここが元気を失えば、日本経済全体として持続的な成長は望めません。知財経営を推進できれば、個社の付加価値向上などにより地域経済成長の糸口が見えてくるでしょう。
―その背景として、中小企業を取り巻く経営環境は、いまどのような状況にあるのでしょうか。
宗像 日本商工会議所の「商工会議所LOBO(早期景気観測)調査」〈図1〉を見ると、中小企業の景況感は2023年5月をピークに、緩やかな下降傾向が続いています。円安や物価高、人手不足が重なり、賃上げや設備投資の原資を確保できず、「次の一手」を打てない企業が増えているのが実情です。
―コスト増の分を価格に転嫁することはできないのでしょうか。
宗像 それができれば良いのですが、独自の強みがなければ、取引先から値下げを求められたり、競合他社に切り替えられたりしてしまう恐れがあります。価格転嫁を成立させるためには、他社が簡単に真似できない付加価値を持っていることが必要です。その付加価値を明確にし、守り、生かす手段として、知財が重要になります。
知財を意識した経営を行うことで、価格競争から抜け出し、新たなビジネスモデルや安定的な収益力につなげることができます。私たちは、知財こそが中小企業の「稼ぐ力」を支える、実践的な経営ツールだと考えています。
―「知財」と聞くと、中小企業の経営者にとっては、どうしてもハードルが高く感じられます。
宗像 多くの中小企業では、日々の資金繰りや人材確保といった喫緊の課題への対応に追われ、知財の重要性にまで目を向ける余裕がないのが実情です。LOBO調査でも、知財に関する支援施策を「知らない」と答えた企業が4割を超えています。
最大の課題はこの「知らない」という状態そのものです。知財は、大手企業や専門家だけのものではなく、中小企業の経営判断の中で実際に使える「道具」であるべきです。中小企業では経営層が知財の責任者を兼ね、日々の業務に追われながら判断を担っているケースが多いと思います。そのような状況では、相談相手となる支援機関の役割が重要になります。制度面の説明にとどまらず、経営判断につなげるためには、企業側だけでなく、支援機関も含めて、知財経営リテラシーを底上げしていくことが不可欠です。
―「知財経営リテラシー」とは、具体的にどういうことを指すのでしょうか。
宗像 一言で言えば、知財を経営に生かすための基本的な知識を持ち、自社の経営の理解と知財の基礎知識を結びつけて考えられる能力のことです。単に法律に詳しいということではありません。 例えば、新しい事業を始める際に、企画の初期段階から「これは、どのような知財になるのか」を意識し、事業の展開と知財の整理、出願などを同じタイミングで進めていく。こうした判断ができることが、知財経営リテラシーが備わっている状態だと思います。
経営者の中には、「これまで培ってきた力をどう生かすかが、本当の意味での知財になる」と語る方もいました。経営判断の中に、知財を後付けではなく、最初から組み込んでいく感覚が重要なのです。
―リテラシーを高めるための第一歩として、経営者は何から始めるべきでしょうか。
宗像 まず取り組んでいただきたいのは、自社の強みや現場の工夫を洗い出す“棚卸し”です。これは、単に権利を取るための作業ではなく、自社の経営を見直すことにもつながります。「うちには特別な技術はない」という声はよく聞きますが、現場で日々行われている工程の中にこそ、知財の種が隠れていることが多いのです。例えば、後程ご紹介する当所事例集にも掲載していますが、頭がつぶれたネジを簡単に取り外せるペンチの発明では、つかむ部分に縦溝を施すという昔からある技術に少し工夫を加えただけで、新しい価値が生まれています。
―取引先から示された設計図面通りに製造している場合でも、当てはまりますか。
宗像 重要なのは、設計図面そのものではなく、製造の「過程」です。その中に独自の加工技術や工夫があれば、他社には簡単に真似できない強みになり得ます。専門家と対話しながら棚卸しを行うことで、「何が本当の付加価値なのか」を経営者自身が再発見する。これは、経営を振り返る上でも非常に有意義な機会になります。
業界業種を超えて問われる知財リスクへの備え
―業界や業種によって、知財との向き合い方に違いはありますか。
宗像 あります。例えば、お菓子の製造などBtoC企業では、商標を取ることが比較的当たり前になっています。一方で、同じBtoCであっても、地域に根差した小規模事業者の場合は、「これまで顔の見えるお客さんとやってきた」という感覚から、知財を強く意識しにくい面もあります。ただ、今の時代は何がきっかけで「バズる」かは分かりません。ある商品が突然注目を集めたときに、名前や技術を守る準備ができていないと、後から参入した企業に権利を取られてしまうといった事態も起こり得ます。チャンスは突然訪れるからこそ、事前の備えが重要です。
