サタケ
広島県東広島市
初代が精米機をつくった理由
兵庫の灘、京都の伏見と並び、日本の三大酒処(どころ)の一つとして知られる広島県東広島市の西条に、精米機を中心とした食品加工機械と食品の製造販売を行っているサタケはある。創業者の佐竹利市が動力式精米機を考案し、明治29(1896)年に日本で最初に生産販売を開始したのが始まりである。
「初代は幼いころから神童と呼ばれるほど賢かったそうです。当時の酒蔵は水車や足踏みで精米していましたが、米の外側をもっと削れる方法はないだろうかという話を初代は耳にしていたようです。そうして、大人になってから精米の機械化に取り組み、動力式精米機を完成させたのです」と語るサタケ代表の佐竹利子さんは、初代の孫娘にあたる。
この精米機は発動機を備え、その動力できねを動かして臼の中の米をついて精米していく。完成した精米機は地元の酒蔵に納入され、酒造業の生産性向上に貢献しただけでなく、農民たちを重労働の精米作業から解放した。さらにその後、精白割合の高い精米ができる精米機を開発したことで、精米歩合60%以下となる吟醸酒の生産を可能にしていった。
「最初は精米機を動かす発動機も自分で開発していたのですが、電気モーターがアメリカから輸入されるようになり、こんなシンプルなもので動力を得られることに感心したようです。それからは、お米を白くする精米のほうに力を入れるようになり、お米一筋になっていきました」
新製品をアメリカに売り込む
初代利市はその後、人々を健康にする米の研究にも取り組み、息子で二代目の利彦とともに胚芽米精米機を開発した。これは、当時大きな問題となっていた脚気(かっけ)の撲滅に大きく貢献した。
「二代目も精米の研究に取り組んで、さまざまな新製品を開発していきました。昭和30(1955)年に発売した食糧用パールマスター精米機は、アメリカに売り込むために現物の機械を持ち込み、現地の機械と精米の競争をしました。すると、サタケの機械で精米されたお米はぬか切れが良くて割れが少なく、温度の上昇幅も低いということで大評判になり、2年間でアメリカの精米機の95%がサタケ(当時は佐竹製作所)のものに変わりました。今でも大型精米機では95%のシェアがあります」
そう言う利子さんも、学生時代にアメリカに留学し、現地の名門大学を卒業している。そして大学で出会った男性と結婚。その男性が、婿養子として後に三代目として社長となる覚さんである。
「私の夫は父親の仕事の都合で3歳からアメリカで育ったため、グローバルな感覚を身に付けていました。三代目として社長となってからは積極的に海外に事業を展開しました。そのおかげもあり、今では約150カ国に機械および技術を提供しています。サタケが1世紀以上続けてこられたのは、初代が種をまき、二代目が幹を育て、三代目がグローバル化という枝葉を付けてきたからです。夫が亡くなり私が四代目として後を継ぎましたが、そのような役割分担のバトンタッチがうまくいったことが、これまで長続きしてきた理由だと思います」
一次産業全体を元気にする
サタケは現在、精米機を開発・製造するだけではなく、食品全般に関わる加工機械や食品そのものの製造・販売も行っている。また、穀物の種子の品種選別やDNA鑑定といった、精米以前の米の分野でも研究開発を行っている。利子さん自身も女性としての視点から会社の商品開発を指導し、お湯や水を入れるだけで食べられる「マジックライス」などで食品の新たな事業分野を開拓した。また、発芽米に含まれる機能性成分「γ-アミノ酪酸(通称GABA)」の生成法の研究開発に取り組み、その生成装置を開発している。
「ただ単に会社を長く続けていくのではなく、常に革新を推し進めていく必要があると考えています。私たちの基本思想である『サタケ精神』は“不可能はない”“謙虚である”“気のつく人になる”の3点です。何事にもチャレンジし、謙虚に学び、改善・改革を行っていくという意味で、これらの姿勢を何よりも大切に考えています」
日本の農業は以前から曲がり角を迎えている。特に米作は、国内の米消費量の減少もあり、水稲の作付面積も減り続けている。
「農業地域は過疎化の問題を抱えています。農業は私たちがこれまで百年以上お世話になってきた分野なので、これを元気していくための大きなプロジェクトに今取り組んでいるところです。これを成功させ、一次産業全体を元気にしていきたいと考えています」
これからも世界の食のために、長寿企業という枠にとらわれず、サタケは常に革新を続けていく。
プロフィール
社名:株式会社サタケ
所在地:広島県東広島市西条西本町2-30
電話:082-420-0001
HP:https://satake-japan.co.jp/
代表者:佐竹利子 代表
創業:明治29(1896)年
従業員:約1000人(グループ総従業員2700人)
※月刊石垣2019年2月号に掲載された記事です。
最新号を紙面で読める!