中屋本店
埼玉県所沢市
地域に根差した商社として
埼玉県南部にあり、東京のベッドタウンとして開発が進んだ所沢市。江戸時代には江戸街道や秩父道など大きな道が集まり、物資の集積地として繁栄していた。米穀の卸・小売りなどを営む中屋本店は、周囲に農地が広がるこの地で宝永2(1705)年に創業した。
「初代の伝兵衛が、ここで物と物を動かす商売をしたのが始まりです。昭和29年に起きた火事で家が全焼してしまい、過去を知る資料が何も残っていないのですが、一枚だけ、祖父が商工会議所に出す資料として書いた社歴がたまたま残っていて、それを元に創業年を特定しました」と、十一代目の中保憲(なかやすのり)社長は言う。「中」という名字は珍しいが、近所にはほかにも代々続く中さんがいるという。
現在は米の卸・小売りが商売の中心だが、以前はそれ以外にもさまざまなものを取り扱っていた。 「昭和30〜40年代、このあたりでは養鶏や養豚が盛んになり、その当時いちばん多く扱っていたのが飼料です。それから徐々にこのあたりも人口が増えてきて、家畜を飼うのが難しくなってきた。それにより、少しずつお米を扱う量が増えていきました。お米の扱い自体はそれほど古い歴史があるわけではないんです」
現在でも米だけでなく、所沢の地場産業である狭山茶や野菜をつくる農家のための肥料や農薬、農業用資材、プロパンガスや灯油などの燃料、地域の住民向けの日用品などさまざまな商品を取り扱っている。「うちはいわゆる地元の何でも屋ですね。地域に根差した商社みたいなものです」
情報を付加価値として提供
地域の需要の変化に応じて、取り扱う商品も変化させていく。これが商売を続けられた理由の一つだと中社長は言う。米の販売も、最初は小売りが中心だったが、今ではスーパーなども米を販売するようになった。そのため、そういった店舗への卸業務が大部分を占めるようになっているという。
「商売をする上で特に重要なのが情報です。農業をしているお客さまは商品以外にいろいろな情報も必要としています。そのため、防除(※1)や肥料のやり方など、農作物をつくる上で必要な最新の管理方法をお客さまにいち早く提供していくことも商売の一つだと思っています」と中社長は語る。
そのために中屋本店では、営農事業部の社員が農業に関する勉強会などに参加。そこで得た情報を付加価値として顧客に提供しているという。「地元で商売をさせていただいているので、信用と信頼は重要です。こちらはお客さまの顔が分かりますし、お客さまもこちらの顔を知っていますので、いい加減なことはできません。だから、本業を大事にして、お客さまはどういうものを求めているのか、常にアンテナを張ってきたことも、今まで続けられた大きな理由かなと思います」
火事によって昔の物はほとんどなくなってしまった。しかし、店の精神は代々受け継がれているという。先々代や先代が生前、中社長に語っていたことを思い返して文字に記し、それを書き換えたものが、今の会社の経営理念になっている。
※1農業害虫や病害の予防および駆除
老舗として米食普及に努力
10年ほど前から地域にコイン精米機が増えてきたため、玄米の販売も始めた。しかも、売り始めたのはただの玄米ではない。厳選した生産者から直接仕入れた玄米を、通常より安い価格で一般消費者へ提供している。
「10年前から月に1回、精米工場で『玄米蔵出しの市』をやっています。その際、お米の生産者にも来ていただき、お米をどのようにつくっているのかを説明しながら販売しています。昨年11月には島根産コシヒカリである仁多米の生産者に来ていただきました。普通のお米に比べて値段は高いのですが、生産者に直接説明してもらうと、お客さまにとって真実味があるんです。15㎏と30㎏単位で販売しており、始めた当初は1回の開催で30㎏が20本くらいしか売れませんでした。でも今ではその10倍の200本は売れるようになりました」
その一方で、最近は日本人の米離れも進んでいる。年間一人あたりの米消費量は、50年前に比べて約半分というデータ(※2)もあるほどだ。
「炭水化物抜きダイエットなど、お米を避ける人も増えている問題もあります。でも、日本人が全くお米を食べなくなるということはないでしょうから、おいしいお米の良さを知っていただき、もっと食べていただけるように努力していかなければなりません」
地元の何でも屋として、時代の流れに合わせて販売する商品を変えている中屋本店。しかし、日本人の食生活の根本であるお米にはこだわって商売を続けていく。
※2農林水産省「食料需給表」の米の年間1人あたり消費量の推移参照
プロフィール
社名:株式会社中屋本店
所在地:埼玉県所沢市三ヶ島5-1587
電話:04-2948-0251
HP:http://www.nakayahonten.co.jp/
代表者:代表取締役社長 中保憲
創 業:宝永2(1705)年
従業員:約40名(パート含む)
※月刊石垣2017年2月号に掲載された記事です。
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