渋川市は、日本のほぼ中心に位置し、伊香保温泉、草津温泉などへの玄関口としての役割を併せ持つ交通の要衝として栄えたまちです。昭和初期には、利根川の水源を生かした発電所が建設され、関東の工業団地への電力供給を担いました。現在も鉄鋼・化学・電気などの工場が高速道や主要幹線道などの自動車交通の利便性を生かし稼働しています。
また、〝日本のまんなか 水と緑といで湯の街 渋川〟として、毎年7月下旬に開催される恒例の「へそ祭り」は、一日で6万人を超える観光客で賑わいます。独自色の強い楽しい祭りとして、香港政府観光局からも招待を受け「香港ニューイヤーパレード」に参加し好評を博しました。
株式会社寺島製材所は、昭和10年に祖父が創業しました。私が3代目として引き継いだ59年当時の日本経済は、好景気に沸いていた時代で、木材資材の販売と建売住宅の建築を中心に事業を営んでいました。その後、バブルがはじけ日本経済の停滞とともに住宅産業では価格競争が激化し、特に建売住宅は苦戦を強いられました。そうした中、木材製品の差別化を図るため、製材工場の機械化を進めました。高品質な木材製品の生産を根幹として、住宅建築を含めた木材資材の販路拡大に取り組みました。
また、群馬県は森林県でもあり県産材の利用を推奨する補助金事業を早くから行っていたことから、その利用促進のための会を結成、〝ぐんま県産材〟でつくる自由設計の本格木造注文住宅の請負建築を始めました。ただ、注文住宅には波があり、受注の安定的な確保には、マーケティングが欠かせないと考え、その方法を現在も模索し実施・検証を続けています。
私は職業柄、建築物を見ることが好きです。特に歴史的・文化的価値の高い建築物は、その施工技術やデザイン、質感に至るまで魅了されるものが多く、造形美に心を打たれます。こうした建築物からの影響は少なからず新しいモデルに反映し、家づくりを楽しんで行っています。
昨年創業80周年を迎えました。社内の世代交代も進み、現在は、私の息子が中心となって経営を担っており、住宅の施工、木材の品質に関しては、引き続き妥協は許さない職人的気質を持ってお客様の家づくりをお手伝いしています。「神は細部に宿る」、この言葉こそ建築の神髄と言えます。
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