事例2 昭和時代にタイムトリップ!「レトロマルシェ」が古くて新しい
岡山商工会議所 西大寺支所(岡山県岡山市)
日本商工会議所 平成28年度「全国商工会議所きらり輝き観光振興大賞」奨励賞受賞
日本三大奇祭のひとつ、岡山県の西大寺会陽(さいだいじえよう)は、毎年2月にまわし姿の男性約1万人が、宝木(しんぎ)を取り合う壮絶な光景で有名だ。その熱気とは一味違うにぎわいが、今、西大寺観音院近くの五福通りで起きつつある。昭和時代にタイムトリップしたかのようなストリートは、映画のロケ地に、マルシェにと人を引き寄せている。
映画のロケ地に抜擢され「古さ」の価値を再発見
JR赤穂線「西大寺駅」から南へ歩くこと約15分。幹線道路から西大寺観音院へ向かう途中に、昭和時代に迷い込んだかのようなレトロなストリートがある。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のロケ地になった場所で、南北にS字に走る約300mの通りには約40軒の旧商家が軒を連ねる。
ここ「西大寺五福通り」(以下、五福通り)は、江戸時代に西大寺観音院の門前町として栄えたまちのメインストリートで、問屋や商店でにぎわっていた。その隆盛は昭和まで続き、交通手段が船から電車、そして自動車へ移り変わる時代を読んで、昭和5年から11年にかけてバスやトラックが通りやすいように、道路拡幅工事を進めていた。
だが、ここで時が止まった。
「門前町、貿易の拠点としての勢いが衰え、あまり改築されることもなく現在までそのままにされていました」
そう語るのは岡山商工会議所西大寺支所長の吉田陽一さんだ。古いまち並みを「残した」のではなく「残った」のだという。そして、たまたま映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のロケ地として白羽の矢が立ち、映画の大ヒットとともにまちも注目を集める。だが、そもそもロケ地の誘致をしたわけではなく、映画会社がホームページなどを調べてオファーが入ったにすぎない。この棚からぼた餅的な展開に「一番驚いたのは住民です」と苦笑するのは、西大寺で生まれ育った、岡山商工会議所西大寺地域活性化特別委員会の委員長、米田光雄さんだ。米田さんは言う。
「小さいころからずっと見てきた、ただ古いとしか思っていない見慣れた風景です。それがいいと言われてもピンときませんでした。それでも撮影スタッフが何百人もやってきて、まちが活気づく。私だけでなく、多くの住民の気持ちに変化を起こすには十分でした」
重伝建への可能性まちがひとつに団結
なぜ五福通りがロケ地に選ばれたのか。いくつか理由はあるが、ひとつは昭和5年の道路拡幅工事と並行して進められた看板建築の多さにある。建物の正面の意匠性や希少性が、独特の味わいとなっており、五福通りには14軒が現存している。全国でも例がない密度の高さだが、このままでは後継者不足で建物が売却、取り壊しになる状況も免れない。
そこでピンチをチャンスにと発足したのが「岡山商工会議所西大寺地域活性化特別委員会」だ。平成19年、岡山商工会議所と西大寺商工会議所が合併した際に誕生し、①建物群調査、②ロケ誘致活動、③マルシェ開催を柱に、西大寺エリアの活性化に取り組んでいった。
「発足してから数年は委員会メンバーと話し合いを重ねてプランを練っていきました。各地のまち起こしやマルシェを視察し、模索し続けましたね」(米田さん)
24年に委員会から市へ建物群調査を提言し、市への助成で調査を実現した結果、国の重要文化財に造詣が深い岡山理科大学教授から、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の対象に十分なり得るという回答を得る。これを機に委員会の活動も勢いづく。観光客向けに五福通りを中心とした「たてものMAP」を作成し、26年10月には五福通り沿いで「レトロマルシェ」を開催する。マルシェの実行委員会には、委員会をはじめ岡山商工会議所青年部や女性会、西大寺観音院や岡山理科大学、市民団体も加わり、地域全体が主催者となって盛り上げていった。そして、委員会の取りまとめ役として奔走したのが西大寺支所だ。
人もモノも昭和スタイルで唯一無二のマルシェを展開
「マルシェは駅前広場など、全国各地で盛んです。視察を重ねましたが、ものを販売するだけでなく、マルシェを機に、五福通りの魅力を、特に地元の人に気付いてほしいと思いました」(吉田さん)
昭和初期の建築群と調和するように、出店者も昭和ファッションに身を包み、出品するものも特産品や手づくり品、昔ながらの良品などに絞り、仕入れ販売はNGとした。出店も〝数〟ではなく〝質〟を重視して約20店を選出する。
「創業支援した店や、カフェの起業計画がある方に出店を提案するなど、マルシェに見合うお店にこちらから声を掛けることもしました。なかにはマルシェ出店で人気に火がつき、実店舗で手一杯でマルシェを卒業したお店もあるほどです」と吉田さんは目を細める。
地元高校生による和太鼓演奏や書道パフォーマンスも繰り広げられ、大学生によるレトロ建物内部見学ツアーも好評を博した。けん玉やコマ回しなど、昔ながらの日本の遊びを子どもたちに伝える催しや、子どもが遊べる場所を設けてその間に親がゆっくり買い物できるようにするなど、幅広い客層が楽しめる工夫もした。これまで春と秋の年2回ペースで開催し、初回約2500人だった来場者数は回を重ねるごとに増え、出店者も40店を超えるまでに成長した。
マルシェは当日の盛り上がりだけではなく、地元商工業者や生産者の売上向上、創業者の掘り起こしと一定の成果をみせる。マルシェから派生して、住民主体の「西大寺五福通り町並み保存会」が発足し、現在、重伝建地区指定に向けた取り組みも始まっている。地元住民の世代を超えた結束力を育み、住民の自信と誇りから生じるまちの活力に、レトロマルシェは絶大な効果を発揮したようだ。
※月刊石垣2017年5月号に掲載された記事です。
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