事例3 空き店舗を再活用した体験型観光で息を吹き返した赤瓦・白壁土蔵群
倉吉商工会議所(鳥取県倉吉市)
赤い石州瓦に、焼き杉板と白い漆喰(しっくい)壁の土蔵が、風情あるまち並みを形成する倉吉市打吹(うつぶき)地区。古代は伯耆(ほうき)国の中心地、南北朝時代には城下町、陣屋として栄えた、当時の面影を今に残す。一時は廃れ、忘れ去られようとしていたが、「古いまち並みは、観光資源にまだ生かせる」と立ち上がったのが、倉吉商工会議所青年部だった。
時代に取り残され衰退する中心市街地
「バブルが来なかったんです。寂れた通りをシャッター通りと呼ぶそうですが、もともとシャッターがないから、シャッター通りにさえなれないという状況でした」
倉吉商工会議所の専務理事の佐々木敬宗さんは、観光客でにぎわう赤瓦・白壁土蔵群エリアの低迷期を振り返り、苦笑する。
鳥取県の中心部に位置する倉吉市の中でも、一大観光地として注目を集め、平日でも家族や友人グループ、ツアー客が行き交う姿を見ないことはない。だが、昭和から平成にかけて廃れた時期があったという。
歴史をさかのぼればこの辺り一帯は、古代は伯耆国の中心地として栄え、南北朝時代には近くの打吹山に城が築かれ、城下町、陣屋町として栄華を極めた。江戸から大正時代は農機具の中でも千歯扱きの産地として全国に名を轟かせたものの、足踏み脱穀機の登場で衰退。戦中は紡績業で活気が戻るが、すぐに化学繊維に取って代わられる。時代の荒波に乗ってはのまれるを繰り返し、それでも市の中心市街地としてあり続けた。
だが、昭和40年代後半から陰りを見せ始める。50年には市内の広範囲に大型店が進出し、大型店への本店移設が増えてまち並みは歯抜け状態になっていった。
「明治45年から昭和60年まで、中心市街地に倉吉線倉吉駅があったのですが、倉吉線が廃止になって離れた場所にあった上井駅が今の倉吉駅になり、市の中心部が移ってしまったのです」
事務局長の柴田耕志さんも肩を落とす。59年には「倉吉古い町並み保存会」が発足して土蔵修復が行われ、観光を軸にしたまちづくり計画も、再三持ち上がる。
「総論では賛成ですが、具体的な各論に話が進むと住民から反対意見が出て廃案になる。それを何度も繰り返してきました。まちを良くしたい、けれど負担や犠牲は避けたいということなんです」と佐々木さんは語る。
蔵巡りで観光客の滞在時間を延ばす
その状況を打破すべく、立ち上がったのが当時の倉吉商工会議所青年部の主要メンバーだ。平成9年に第三セクター「株式会社 赤瓦」を設立。倉吉市や商工会議所、地元金融機関の出資を資本金とし、それを元手に土蔵の修繕費に充てようと試みる。集まった額は3000万円だが、足が出てしまい、後日株主を募って9000万円まで増資にこぎつける。さらに県、市の「先駆的商店街にぎわい創出モデル事業」の助成金を用いて改修工事を実現した。
「資金集めや、自ら投資したことで、関わってくれた人たちのまちに対する意識が変わりました」と佐々木さんは語る。翌年に文化庁より重要伝統的建造物群保存地区に指定されると、行政の対応も積極的になっていったという。同年には赤瓦1号館〜3号館とナンバリングした、しょうゆの仕込み蔵や造り酒屋の蔵を改装した観光施設がオープンした。建物の外観を楽しむだけではなく、中を体感できる観光地へとシフトしていく。欠番があるものの、空き家や空き店舗を活用して現在16号館まで増えている。飲食店やギャラリー、土産物店など建物ごとに趣向を凝らし、蔵巡りが観光客の滞在時間の延長に大いに貢献した。
次の一手はレトロ&クールツーリズム
こうして9年は観光入込客数が約13万人だったのに対し、17年には約30万人以上に増加し、25年には37万人を超えた。赤瓦の施設だけではなく、赤瓦・白壁土蔵群エリアの商店の収益アップにもつながった。そして、地元商店街から成る協同組合もさまざまなイベントを主催、協賛し、まちの気運も高まっていく。31年の目標値を約42万人に定め、歴史的・文化資源を生かした回遊型観光のまちづくりに向けた官民が一丸となって取り組む態勢も整いつつある。
だが、28年秋に鳥取県中部を襲った地震や台風による、土蔵群のダメージは大きく、古い建物の修復には費用も時間も莫大にかかり、まちづくりへの勢いは減速するかに見えた。だが、「どこまでが被害で、どこまでが老朽か分かりません。少しずつ修復するだけです」と、佐々木さんも柴田さんと同様、前向きに受け止めている。「むしろ、赤瓦を設立して20年を迎えようとする今、新たな展開を考える時期に来ている」と口を添える。
36年には赤瓦・白壁土蔵群から東へ1㎞ほどのラグビー場跡地に県立美術館が開設される予定だ。西側には旧小学校の円形校舎を利用したフィギュアミュージアム建設構想も進められている。美術館は倉吉駅から赤瓦・白壁土蔵群へ向かう途中、文化交流複合施設「パークスクエア」のあるバス通り沿線地域に属し、立ち寄り観光も大いに期待できるという。
「アートとうまく連携して、レトロ&クールツーリズムで、活性化できないか糸口を探っているところです」(佐々木さん)
古いまち並みに、時代とともに常に新しい風を送り続ける。それは爆発的に脚光を浴びる突風でも、マンネリ化という無風でもない。家は風を通した方が長持ちするというが、赤瓦・白壁土蔵群には常に心地よい風が吹いている。
※月刊石垣2017年5月号に掲載された記事です。
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