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100年経営に極意あり!長寿企業の秘密 「おもてなし」の精神を次代へつなぐ

佐久ホテル

長野県佐久市

室町から続く長野最古の企業

長野県佐久市岩村田。かつて中山道の宿場町として栄え、今なお古きよき情趣が感じられるこの場所に600年近く続く老舗旅館・佐久ホテルがある。

「当ホテルの創業は室町時代の正長元(1428)年です。当家の先祖・望月河内守が岩村田の東に城を構えていた大井家の客将としてこの地に招かれ、接待や食事の提供のお役目を頂戴したことが始まりのようです」と語るのは、佐久ホテル19代目の篠澤明剛社長。書庫には足利将軍家からの御礼状、武田信玄を御接待し、邸内の井戸水で沸かしたお風呂を提供したことを記載した古文書など、歴史を感じさせるものが数多く残っている。

「文献によると、江戸時代には岩村田藩主にお仕えし、中山道を通る参勤交代の大名や高僧、幕府の役人などへのおもてなしを任されていたようです」

近代に入ると歌人の若山牧水、作家の島崎藤村など文人たちが頻繁に宿泊するようになった。最近では皇室関係者、首相、大臣なども訪れている。

「今の佐久ホテルという名称になったのは明治18(1885)年です。宮内省の命を受け、天皇陛下の専用室をつくったのをきっかけに会社組織にしました。当時はまだ西洋文化が地方にまで浸透していなかったので、『ホテル』という名称に地元の方々もかなり驚かれたと聞いています」(明剛さん)

地元に愛されるホテルであり続ける

なぜ、これほどまでに佐久ホテルは長く続いてきたのか。その理由を明剛さんは「とにかくお客さまに喜んでもらうことを第一に考え、おいしい料理とおもてなしの心を大事にしてきたから」と分析する。創業当時からこだわっているのは料理の味だ。「天の恵み、地の恵みといった土地の素材をいかにおいしく提供するか。今でいう地産地消を大切にしてきました。実際、地元で捕れた鰻や鮎、ヤマメをお出しした記録も多いんです」。ちなみに佐久は鯉料理が有名。実は同ホテルが発祥だ。

「鯉の養殖を始めた後、小諸城主に鯉の刺身や汁物を献上した記録もあります。うま煮に使う秘伝のタレは、江戸時代から260年以上、継ぎ足しで今なお使い続けています。私自身も火事のときは、まずタレ壺を持ち出せと小さいころから教えられてきました。この宿ならではだと思います」(明剛さん)

そして、何より大事にしているのがおもてなしの心だ。大女将の篠澤千春さんは昭和38年、18代目に嫁いだ際、先代から「どんなお客さまも分け隔てせず、誰に対してもあらん限りのおもてなしをしなさい」と言われたそうだ。「『家名落とさず、親名失わず』。まずはお客さま優先。その気持ち、姿勢を片時も忘れてはいけないと教えられました」(千春さん)

さらに、明剛さんは「今、この場所でホテル業を続けていられるのは地域、地元の人々のおかげです」と断言する。実は同ホテルの経営も、決して順風満帆だったわけではない。特に昭和60年ころが大変だった。建築基準が厳しくなり、明治18年来の木造家屋のままでは営業できない状況に追い込まれたのだ。しかも、改築する資金はない。閉館するしかないと諦めそうになったそのときに株主となって助けてくれたのが他ならぬ地元の人たちだったという。

「歴史の火を絶やしてはいけないと言って、地域の商店街の方々が中心となって、資金協力してくださった。あのときのことを思い出すと胸が熱くなります。感謝しても感謝しきれません」と千春さん。明剛さんも「今も売上の9割が、地元の方々のご利用によるもの。だからこそ私たちは地域の方々に愛されるホテルであり続ける努力も惜しんではいけないと思っています」

過去の教えをどう生かすか

現在、主に接客や配膳、フロントを担当するのは明剛さんの妻であり、若女将の真理子さんだ。22歳の長男を筆頭に13歳まで計6人の子どもを育てながら、経理事務を担う明剛さんと二人三脚でホテルを切り盛りしている。

「お客さまにいかに気持ちよく過ごしていただくか、また来たいと思っていただくためにはどうすればいいのかを毎日考えています。それと、お客さまに自分から心を開くこと。笑顔を絶やさず、心でお話しすることで心も柔らかくほぐれ、リラックスしてくださると思うので」と若女将の真理子さんは笑う。

伝統に忠実に従い、経営を続ける佐久ホテルだが、現社長夫婦の代になり、大きく変えたことがある。それは外部への情報発信だ。

「宣伝や自慢めいたことを口外してはならぬといった家訓があり、先代も口コミで自らが鯉料理の発祥だとか言うことを嫌がっていました。でも、今の時代、積極的に外にアピールし、集客の努力をしなければ、存続すらも難しくなってしまう。古文書も含めて次代へ伝えていく者の責任として、当ホテル独自の魅力をより世間に広めていきたい」と明剛さんは力を込める。真理子さんも思いは同じだ。

「せっかく江戸時代のレシピが数多く残っているので、それらを少しずつ紐解きながら、お客さまに提供していきたい。歴史を生かすことから新たなサービスが生まれると思うのです」。

そして、20代目として家業を継ぐことになる長男には、家訓として残っている古文書をまずは読ませたいと明剛さんは言う。過去の教えをどう捉え、どう生かしていくのかが楽しみだという。

「明治に入った直後、先々代が、新事業として利根川の水路運搬事業に着手したのですが、これが大失敗でした。結局、多額の損失を出したことがあるのです。土地を切り売りして何とか経営をつないだようですが、そんな失敗談も詳細に記載されていて、〝他の事業には一切手を出すな〟とか、時代を超えて経営に必要なことがいろいろ書かれているので、彼がそのまま読んで感じたことを大切にして彼らしい経営をしていってくれたらなと。まあ、まだまだ先のことなのですが(笑)」

プロフィール

社名:株式会社 佐久ホテル

所在地:長野県佐久市岩村田今宿553

電話:0267-67-3003

代表者:代表取締役 篠澤 明剛

創 業:正長元(1428)年

従業員:30人

※月刊石垣2015年3月号に掲載された記事です。

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