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100年経営に極意あり!長寿企業の秘密 技術を伝承しつつ 新たなタオルを開発

おぼろタオル

三重県津市

図柄入りタオルをつくりたい

「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われたように、三重県津市は江戸時代、伊勢神宮の参拝客が立ち寄る宿場町として栄えた。他方で、明治時代に入って日本が産業化への道を歩む中、津には目立った産業がまだ誕生していなかった。そんな中、「おぼろタオル」の創業者、森田庄三郎さんがこの地でタオルの製造を決意したのは、明治37(1904)年のことだった。

「当時、どこのタオル製造業者もつくるのは無地のものばかり。森田はもともとは日本画家で、図柄を入れたタオルをつくりたいと思ったそうです」と語るのは、おぼろタオルの五代目社長・加藤勘次さん。「三重県に昔からある伊勢型紙は、着物などの生地に柄を染色するのに使われてきました。これを応用してタオルに図柄を入れられないかと考えたのです」

染色や製織についての知識がなかった森田さんは、日本画家としての本業の傍ら、専門家の協力と自身のたゆまぬ努力によって独自に研究を重ねていった。そして媒染染法(繊維を媒染剤で処理してから染める方法)を応用したおぼろ染タオル染色法によるタオルが出来上がった。すぐに特許を申請し、41年9月10日、「朧染タオル製造法」は特許を得た。

「タオル生地は縦糸と横糸を織りあげる際に縦糸の一部をループ状にすることでパイル地にしています。朧染は横糸だけに色をつけて柄にする技術で、そのためパイルの下に図柄がおぼろげに見えることから、この名前が付けられました。特許を得たこの日を当社の創業日としており、今年で創業107年目になります」(加藤さん)

創業時の商品が今でも主力

その後、製品の量産化、工場の設立などに苦労を重ねながらも、順調に事業を拡大していく。大正7(1918)年には株式会社朧浴巾商会を設立した(同15年におぼろタオル株式会社に改称)。

「次の転機は、昭和2(1927)年に実用新案を取得したガーゼタオルです。これは片面がガーゼ、もう片面がパイル地になっていて、日本全国で爆発的に売れたそうです。以来、ガーゼタオルは柔らかで繊細な肌触りと朧染の柔らかなデザインが受け、今でもおぼろタオルの主力商品となっています」

おぼろタオルは洗っても柔らかな肌触りが長く続き、薄いのに吸水性がよく、女性でも絞りやすいのが人気の理由。「一度使ったらもうこれしか使えない」というリピーターが多いのだという。

「当社は一般的なタオルに使う糸の約半分の細さの糸を用い、糸の打ち込みを粗くすることで、吸水性を高め、独特の風合いを持たせています。言葉で言うのは簡単ですが技術的には難しい。製造に携わる従業員たちの長年の経験と技術の伝承が、それを可能にしているのです」と加藤さんは胸を張る。

おぼろタオルの販売はデパートが中心だが、よく売れているのはギフト用ではなく普段遣いの製品だという。これもまた、リピーターが多いことの裏付けになっている。

「当社は長年続いてきた企業にしては珍しく、創業時の商品が今でも主力商品。しかも、会社の規模が大きくなることもなく、いまだに中小企業のまま」と加藤さんは笑う。しかしそれは、会社の規模は大きくなくとも、確かな技術に裏付けされた自信があるからこその言葉ともいえる。

必ず盛り返していける

そんなおぼろタオルに危機が訪れたのはバブル崩壊の直後。中国などから安価なタオルがなだれ込むようにやってきた。価格は日本製の約3分の1。平成3年にピークを迎えた売上高は、その後の7〜8年の間、下がり続け、3分の1以下にまで落ち込んだ。

「それまで三重県にはタオルメーカーが約70社ありましたが、徐々に減っていき、今残っているのは数えるほど。当社は何とか問屋さんとの取引を続け、乗り切ることができました」と加藤さんは当時を思い返して言う。おぼろタオルが生き残ることができた理由は主に二つ。一つは、商品に特徴があったため買い続けてくれる人がいたから。二つ目は、製品を自社で一貫生産していたからだという。

「当社は糸から生地を織り、プリントや染色を施し、乾燥させてミシンがけしてと、全ての工程を自社で行っています。こうすることでほかの業者さんがつぶれても生産がストップすることなく高い品質を保つことができたのです」

加藤さんが社長の座を受け継いだのは17年のこと。ずっと経理・総務畑を歩んできた加藤さんの手腕で難局を乗り越えることを期待されての就任だった。

「まだまだ厳しい状況でしたが、おぼろタオルは知名度もあり、お客さまからの評価も高かったので、必ず盛り返していくことができると信じてお引き受けしました」

転機はすぐに訪れる。社長に就任したその年、ビジネスマッチング会で岐阜県の浅野撚糸株式会社と出合い、共同で新たなタオル開発に挑戦。完成したタオルは「エアーかおる」と名付けられた。

「このコラボレーションは、19年12月20日に経済産業省の『新連携事業』の認定を受けました。それで得た補助金で試作品やパンフレットの作成、展示会への出展などを行っていくうちに、3年目にようやく製品が売れるようになってきました。今後が期待できる製品です」と加藤さんは目を輝かせながら話す。

技術と伝統を守りつつも新たな事業にも果敢に挑戦していく。そして未来を見据え、新たな人材への技術の伝承も忘れてはいない。

「当社に対する地元の人々のご理解もあり、一昨年と昨年は2人、今年は3人、地元の高校から新入社員が入ってきました。工場では、60代の従業員が孫ほど年下の新米従業員に技術指導をしています。年齢差が大きい方が、ぶつかり合うこともなく、うまく教えていくことができるようです」

おぼろタオルはこれからも、技術と経験、人の三本柱を持つ企業であり続けていく。

プロフィール

社名:おぼろタオル株式会社

所在地:三重県津市上浜町3-155

電話:059-227-328

代表者:加藤勘次 代表取締役社長 (津商工会議所常議員)

創業:明治41(1908)年

従業員:60人(うちパート16人)

※月刊石垣2015年4月号に掲載された記事です。

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