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まちの解体新書 伝統産業で未来を描く焼きもののまち

400年以上の歴史を誇る有田焼

歴史と文化が香る日本磁器発祥の地

有田焼で知られる佐賀県西松浦郡有田町は、佐賀県西部に位置し、長崎県と接している。人口約2万人(2018年12月)の山あいの里で、06年3月に旧有田町と旧西有田町が合併し、現在の有田町としての歴史が始まった。東西に国見連山と黒髪連山が連なる。のどかな田園風景の合間に、窯元の煙突が連なり、焼きもののまちらしい風景が広がる。

なかでも内山地区と呼ばれるJR有田駅から上有田駅までの約3㎞のエリアは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、観光客も目立つ。通り沿いに有田焼のギャラリーが軒を連ねる。創業140年超の窯元、香蘭社の明治期に建てられた洋館や、アリタポーセリンラボのようなモダンな店舗、昔ながらのレトロな店構えなど新旧店舗が混在し、まち歩きが楽しいストリートになっている。

また、1本裏通りに入れば、登り窯の耐火レンガの廃材などでできた「トンバイ塀」という、有田町特有の趣ある路地裏が続く。

「内山地区はまちのメインスポットで、春と秋の年2回開催される陶器市では、同地区を中心に、地元の窯元や商社だけでなく、全国から陶磁器が集まります。トンバイ塀の通りにはオシャレなカフェの出店も増えてきました。昨年の春は、初日の来訪者数が26万人と過去最高記録を更新し、約124万人が詰めかけました。秋はNHKの人気番組『ブラタモリ』で紹介されたこともあって、多くのお客さまに来ていただきました」

そう笑顔で語るのは、有田商工会議所の深川祐次会頭だ。陶器市の開催期間はまち全体が〝市〟と化すほどのにぎわいで、最近は海外の観光客の姿も目立つという。

有田商工会議所 会頭 深川 祐次 氏

分業制で築き上げてきた400年超の伝統産業

有田焼の人気が衰え知らずの有田町も、少子高齢化の波やチェーン展開する大型店の進出など、他の市町村と同じ課題を抱えている。400年以上の歴史を誇る有田焼の歴史を紐解(ひもと)けば、幾多の試練があった。

1616年に朝鮮人陶工の金ヶ江三兵衛(通称:李参平)らが町内にある泉山磁石場で、磁器の原料となる陶石を発見したことに端を発し、日本初の産業としての磁器製造がスタートした。当時、伊万里港から出荷していたため「伊万里焼」と呼ばれ、古い有田焼を「古伊万里」と呼ぶのも、こうした経緯からきている。59年にヨーロッパへ大量輸出を開始した時も、各国の王侯貴族には「imari」としてもてはやされた。

だが、江戸時代末期にはまちが大火に飲まれ、他地域の磁器産業が台頭するなどして慢性的な不況が続いた。息を吹き返したのは明治時代に入ってからだ。1867年のパリ万国博覧会に出展するとジャポニズムブームを巻き起こし、ヨーロッパの名窯、マイセンに影響を与えるなど、再び海外から高く評価される。大正時代には工業用製品やガラス分野の生産も伸びていくが、昭和に入ると日本全土を襲った不景気の影響で失業者が出るほどに落ち込んでしまう。

戦後、生産量、売り上げともに勢いを取り戻し、有田焼を取り巻く文化そのものに熱い視線が注がれるようになっていった。有田焼の歴史は、紆余(うよ)曲折ありつつも隆盛を極めてきたのだ。

「有田焼は全て分業制です。作家がつくる伝統工芸ではなく、伝統産業としての歴史です。成型、素焼き、下絵付け、施釉、本焼成など各工程を究めた職人が一つの器に携わり、さらに土、生地、型、箱、そして物流など有田焼を支える産業も集積している。だからこそ、焼きものの一大産地として栄えてきました。長い歴史の中で培ってきた総合的な技術力とデザイン力が、有田の強みです」

有田陶器市では裏通りで軽食カフェも提供される

時流の追い風に乗って市場開拓、拡張を目指す

1990年ごろをピークに有田焼の出荷量は減少傾向だが、その状況に手をこまねいてはいない。

大きなターニングポイントは、96年7月19日〜10月13日まで開催された「ジャパンエキスポ佐賀96 世界・炎の博覧会」だ。見込み来場者数120万人を大きく上回り、約255万人が足を運んだ。三つの主要会場のうちの一つが有田町に設けられたことから、まちが一気に活気づいた。

「V字回復とはいきませんでしたが、これまでの有名ホテルや高級料亭に納める市場だけではなく、小売り、つまり一般ユーザーを意識した市場開拓への動きが生まれてきました」

地元の有志らによって「有田雛のやきものまつり」という新たな恒例行事が誕生。自治体の支援を受け、東京で開催されるテーブルウェア・フェスティバルや東京インターナショナルギフト・ショーにも積極的に出展して、国内外の新たな市場開拓にも乗り出す。老舗窯元の一つ、幸楽窯では2013年より国内、海外問わずアーティストや陶芸家を誘致し、一定期間滞在して作陶できる「アーティスト・イン・レジデンス」を提供するなど、新たな活動が広がっていった。

そして迎えた16年は、有田町で日本初の磁器焼成から400年の節目の年となり、佐賀県が有田焼創業400年事業として17のプロジェクトを立ち上げた。特に海外PRに力を入れ、イタリアのミラノサローネへの出展をはじめ、「オランダとの連携等によるプラットフォーム形成プロジェクト」では、世界8カ国16組のデザイナーとコラボレートして新ブランド「2016/」を生み出す。このブランドは、世界展開するデザイン誌「エルデコ」の、25カ国の編集長が選ぶインターナショナルデザインアワードのテーブルウエア部門でグランプリに輝くなど、有田焼の新たな可能性を開花させていった。

さらに、主要取引先であるホテルや高級旅館の販路のテコ入れにも着手している。国や県の補助金を活用して、有田町と有田商工会議所、有田まちづくり公社による画期的なプロジェクトが始動した。首都圏の有名ホテルの朝食を有田焼で提供するというもので、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに伴うインバウンド増加を念頭に入れた試みだ。

「首都圏の有名ホテル2カ所で約1カ月間実施しました。館内のレストランやラウンジでも使ってもらい、客室のいくつかを有田焼で演出しました。日本の和食やおもてなしの心を有田焼で表現したのです。これが好評で、今後も開催を予定しています」と目を細める。

国指定史跡の泉山磁石場

焼きもの以外のまちの魅力を掘り起こす

また、有田町は焼きもの以外の魅力も多い。旧西有田町時代に企業を誘致して誕生した工業団地があり、鉄鋼業に勢いがある。農業も、まちの北西部にある標高100〜400mの高地にある岳地区で盛んで、有田焼と同じく400年ほど前から棚田での米づくりが営まれてきた。その棚田の美しさから「日本の棚田百選」に選定され、これを機に1997年から「棚田米オーナー制」をスタート。田植えや稲刈りを通してオーナーとなった都市部の人たちとの交流、棚田の維持管理への取り組みも進んでいる。国見連山の天然水で育つ棚田米のほかにも、佐賀牛、ありたぶた、ありたどり、糖度の高いきんかんや伝統野菜の有田戸矢かぶなど、特産品も豊富だ。

なかでも有田商工会議所が注力しているのがありたどりの普及だ。現在町内の4店舗で提供している「有田焼五膳」という有田産の食材を使ったありたどり料理5品のプレミアムランチメニューは、新ご当地グルメとして定着しつつある。

ほかにも〝秘色の湖〟と呼ばれる神秘的な有田ダム、「名水百選」「水源の森百選」に選ばれた清流が流れる竜門峡、世界の陶磁器が一堂に会する器のテーマパーク、有田ポーセリンパークなど、有田町には見どころが満載だ。

2018年4月には、有田陶磁の里プラザ改め、「アリタセラ」にホテル&レストラン「arita huis」を開設し、魅力ある有田焼ショッピングリゾートが誕生した。

「有田焼は日本全国、そして世界へと広がっていますが、まちの観光化はまだこれからです。焼きものや景観、特産品やご当地グルメなどの魅力を積極的に発信して、観光産業にもっと力を入れていきたいと考えています」と深川会頭は熱く語る。

曲線美を織りなす棚田

インフラ整備や創業支援でまちに人を呼び込む

有田町は、大型観光バスが停まれる駐車場の整備や、電子決済の普及、公共トイレの確保など、インフラ整備が目下の課題だ。有田商工会議所でも、観光ガイドの養成や電子決済の勉強会の実施、旅行会社と連携したツアー企画、SNSの活用など、多角的に取り組む。最近は器を「買う」だけでなく、製造工程の見学や、窯焚き、絵付けなどを体験できる観光スタイルに注目が高まり、窯元が一体となった観光客のニーズをくみ取る流れが生まれつつある。

さらに空き店舗対策として、16年から年1回ペースで創業スクールを連続講座として開催している。焼きもの以外の業種を町外からも広く受け入れ、空き店舗を活用したチャレンジショップをバックアップしている。実際4〜5人の創業者を輩出するなど着実に成果を上げ、今後も継続して実施する予定だ。

17年4月には佐賀大学と佐賀県立有田窯業大学が統合し、佐賀大学の有田キャンパスが開校した。深刻化する人手不足に対しても、将来、学生らが有田町に定住する可能性もあると町民の期待も膨らみ、産学官連携による取り組みも一層活発になりそうだ。自治体も移住支援に積極的で、40代の若手町長が就任したことで、今まで以上に対外的な流れが生まれてきているという。

「深刻な課題を前に立ち止まって考えるのではなく、行動しながら考えていく。そういうスタンスで人を呼び込むまちづくりを推進していきます」と語る深川会頭の表情は明るい。

佐賀藩のもとで磁器生産が始まって400余年。培ってきた歴史と文化を鮮やかに描く有田焼は、器としての魅力だけではなく、「有田千軒」と称された美しいまち並みという財産をも生み出してきた。そして焼きものを基盤に、風光明媚(めいび)な景観や県内有数の畜産など、自然の恵みもあふれている。長い歴史の節目に、自らの魅力を再認識することで有田町は機運に乗って活気を取り戻している。まちそのものが今以上に国内外の人でにぎわい、華やぐ未来は、そう遠くないと感じさせる熱量は十分にある。

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