工業都市に突然訪れた転機
群馬県西部に位置し、三方を山に囲まれた富岡市。このまちの特徴を富岡商工会議所の小堀良夫会頭は、「豊かな自然に囲まれている上に首都圏にも近く、非常に住みやすい。穏やかで義理人情に厚く、新しもの好きな人が多いと思いますね」と説明する。
ここ富岡は明治5(1872)年、渋沢栄一らの尽力によって日本で最初の官営製糸工場、「富岡製糸場」が創業した地だ。その富岡製糸場は昨年6月に世界文化遺産に、12月に国宝に指定された。その影響もあり、来場者数はうなぎのぼり。今年度は3カ月を残し、110万人を超えている。昨年度は約31万人、平成17年度は約3万人だった来場者が一気に増加した。富岡商工会議所は、この観光客を迎え入れるため、市内および周辺の各種企業・団体で組織している「とみおか観光まちづくり推進協議会」と協力。「とみおかし おもてなし五カ条」を作成し、全市民に配布した。
「商店に限らず、市民一人ひとりに観光客を迎える心構えを持ってもらおうと企画しました。標語は、『(と)みおかにまた来たい、とおもってくれるまち』『(み)んな笑顔であいさつするまち』『(お)せっかいが大好きなまち』『(か)みくずも無いきれいなまち』『(市)民がみんなでおもてなし』。この頭文字をとっています。富岡製糸場が世界文化遺産に登録されたことで、交流人口は爆発的に増えました。もともと観光ではなく、農業や工業で栄えてきたまちですから、課題はたくさんあります。でも、商工会議所や市が中心となって〝世界遺産のあるまち〟に恥じないおもてなしができるように努力しています」(小堀会頭)
富岡は富岡製糸場があることからも分かるように養蚕で栄えたまちだ。しかし、養蚕農家は現在11軒と激減してしまった。富岡の養蚕を守るとともに、富岡産シルクを使った手軽なお土産をつくりたい。そんな思いから生まれたのが、「富岡製糸場あぶらとり紙」だ。開発に当たっては、より良い商品を目指し、何度も協議や視察を重ねた。「富岡製糸場のある富岡の商工会議所がつくるのであれば中途半端なものでは駄目。だから品質には徹底的にこだわりました。このあぶらとり紙には、富岡産の繭のみを使用した高濃度(30%)のシルクタンパク液を使っています。この濃度は異例だそうで、もしかしたら機械が壊れてしまうのではないかと言われました。1セット30枚入りなので、1セットに繭が1個半入っている計算になります」と小堀会頭は語る。
苦労の末、「富岡製糸場あぶらとり紙」が完成、昨年4月に販売を開始した。現在は富岡製糸場と富岡商工会議所の2カ所で限定販売している。担当の松岡ゆかりさんは、「個人向けには、30枚入りを一個400円で販売しています。1月末時点で、約1万3600個売れました。企業向けのノベルティ商品もあります。こちらは、1セット20枚と、枚数を減らして、その分価格を下げています。市内外の事業者さんや、金融機関さんに利用していただき、こちらは4万個以上売れています」と笑顔で話してくれた。
滞在時間を長くするには?
富岡製糸場が世界文化遺産に登録されたことがきっかけで、大型の観光バスに乗って、たくさんの人がやってきた。今の状況になって、初めて見えてきた課題もあるという。例えば、道路。車道の幅を広げるとともに、歩行者の安全を確保する歩道を確保するための再開発が進んでいる。また、富岡製糸場にやって来る観光客の滞在時間の短さも大きな問題だという。小堀会頭はこう話す。「滞在時間がとても短い。バスの駐車場から製糸場に向かい、見学が終わると、そのまま帰られてしまう人が多いわけです。駐車場から製糸場に向かう動線に当たる商店街には、まったく空き店舗がない状態ですが、そこから外れてしまうと以前と変わらない厳しい状況が続いている。まちの回遊性を高め、滞在時間を長くする。活性化のためにはこれが大切だと思っています」。
再開発の影響で、商工会議所も移転する予定だ。移転予定先は、製糸場と上信電鉄上州富岡駅の中間点にあるため、交流拠点とする計画だという。小堀会頭は、「取得予定先には、もともと老舗の呉服店がありました。しかし、平成10年に閉店した後は、空き店舗の状態が続いていた。ここには明治期に建てられた店舗や蔵が残っています。これらは市内屈指の歴史的な建造物。これを生かしながら、周遊拠点をつくることを検討しています」と説明する。
富岡市観光協会も滞在時間の短かさを課題として認識。その改善に取り組んでいる。富岡市観光協会の横尾繁雄専務理事は、取り組みをこう紹介する。「工女の羽織や袴の貸し出しや、〝まゆのお菓子箱〟といった取り組みをしています。『おかって市場』という、中心市街地の活性化や地産地消の推進などを目的にしてつくられたお店があるのですが、まず、そこで500円のお菓子箱を買っていただきます。そして、歩いて市内にある提携店で〝箱〟にお菓子を詰めてもらいます。こうすることでまちなかを歩いてもらい、少しでも長く富岡を楽しんでもらえたら」。
地域循環型社会をつくろう
観光客の滞在時間を長くする取り組みとともに、おかって市場の目的の一つでもある〝地産地消〟と同様、富岡商工会議所はある事業を進めている。それは、「お互いさまプロジェクト」。会員企業同士が意識して仕事を地元の仲間に頼むことで地元を活性化させようというものだ。平成24年度に商業からスタートし、現在は、サービス業や建設業などにも拡大している。この取り組みは、地元企業を地域全体で支え、ひいては地域循環型社会を構築しようというものだ。
「急激に地域内での消費が増えたというわけではありません。まだ意識付けをしている段階ですが、こうしたメッセージを出し続けることが大切。継続的にアピールをするために会議所の会報にも掲載しています」と富岡商工会議所の小板橋敏通事務局長は話す。
富岡の技術力を発信したい
「現在の富岡経済を支えている基幹産業は工業です。人口一人あたりの出荷額は群馬県で2番目。でも工業界というのはなかなか目立ちにくいし、イベントも打ちにくい。そんなときに、富岡製糸場が世界文化遺産に登録されて、注目が集まっている。何かできないか? そんな思いから始めたのが、富岡製糸場で創業当時に動力源として使用されていた蒸気機関、通称〝ブリュナエンジン〟のレプリカの製作です」(小堀会頭)
ブリュナとは、富岡製糸場の創業当時に技術指導に当たっていたフランス人、ポール・ブリュナのこと。現在、ブリュナエンジンは、愛知県犬山市にある博物館「明治村」に保管されている。「実物が手元にない上、設計図もない。これまでも大変な苦労がありましたが、この作業を通じて業界の横のつながりができました。この事業を通じて富岡の工業界には技術力のある企業がたくさんあるというPRをしていきたい。ようやく、設計図が完成し、現在は5分の1の大きさの模型を作製しています。来年度は実物をつくるために、市内の事業所で部品をつくっていく予定です」(小板橋局長)。
小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」から持ち帰った物質の収納カプセルは、市内の事業所で製作された。これに象徴されるように高い技術力を持った富岡の工業。富岡商工会議所は、今後も富岡の工業をPRするとともに、富岡工業界のシンボルとすべく、ブリュナエンジンのレプリカ製作を推し進めていく。
若者が帰ってくるまちにするためにどうするか?
富岡市の人口は現在、約5万人。しかし、25年後に3万8400人になるという試算があるという。
「何よりも富岡に働く場所がないと、定住人口を増やすことはできません。そのためには、企業誘致が必要ですし、既存の企業も元気にならないといけない。そのためには、行政や周辺地域とも連携して、商工会議所が地域で存在感を高めていかなければ」と小堀会頭は力を込める。行政とは定期的に意見を交換しており、関係は良好だ。加えて商工会議所間の連携もすでに始まっている。
「きっかけはいろいろな会議後の会頭同士の懇談です。近隣の沼田・藤岡・渋川の会頭と私で各商工会議所の特徴ある事業運営やイベント、財政状況の公開や行政との連携、さらには観光振興などについて、それぞれ情報を交換しています。お互いにすぐ取り入れられる事業などについては、ノウハウの共有ができ、商工会議所の活性化が図れました。そうこうしているうちに、この関係を会頭間だけで終わらせるのはもったいないという話になってきたのです」(小堀会頭)
会頭間の懇談から始まった4商工会議所の連携は、事務局同士の連携につながった。現在では、短期間ながら職員の交流、連携した研修会の開催、定期的な管理職間の情報交換など、その動きは多岐にわたっている。「何より大きいのは、日頃から情報交換をしているので、お互いに何でも聞けるようになったことですね。それと、どうしても規模が小さい会議所だと、セミナーや研修会にしても、『あれも、これも』とはいきません。集客にしても市内からだけでは難しいこともある。4会議所が開催するセミナー・研修会では、その商工会議所会員と同じ特典、例えば無料で受講できるなどということもしています。会報に相互に情報を掲載できるようにしていますので、ある程度広域で集客したいときなどは助かりますね」(小板橋局長)。
これからの2~3年が勝負
「製糸場が世界遺産、国宝に認定されたことで、今はたくさんの人に富岡に来てもらっています。ただ、この効果が永遠に続くわけではない。必ず2~3年のうちに来場者は減っていく。この効果を持続させるには、富岡の魅力を高めていかなければ」(小堀会頭)
富岡商工会議所などは昨年8月、まちづくり会社「株式会社まちづくり富岡」を設立。現在は、まちなか観光の拠点である、「お富ちゃん家」にある観光物産館の経営などに携わっている。まちの魅力を高めるため、民間ならではのスピード感を生かしたいという。 「これからの2~3年は、富岡が総力を挙げるべきときです。商工会議所、行政、観光協会、まちづくり会社、そして市民一人ひとり……。周囲からの期待も感じますし、やってやろうという気持ちです」と小堀会頭は力強く語った。
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