市名の由来は“アイヌ語”
「恵庭(えにわ)って、地名がいいよね。“恵”まれた“庭”だし」と話す恵庭商工会議所の中泉澄男会頭。
北海道の地名は、アイヌ語由来のものが多いが、“恵庭”市も、例外ではない。中泉会頭は、市名の由来を「アイヌ語の『エエンイワ』(鋭くとがった山という意、現在の恵庭岳を指すという)から転訛(てんか)されてきたと言われている」と教えてくれる。
市名にそのような由来を持つ恵庭市は、札幌市と新千歳空港の間にある。JR快速で札幌駅まで約24分、新千歳空港駅までは約14分の距離だ。加えて国際拠点港湾・苫小牧港にも近く、交通アクセスに恵まれている。
JR恵庭駅の周辺など、同市中心市街地は平たんであるが、西南方面に向かって車で10分程度走ると、ほどなく緩やかな坂道となる。目の前には、市名の由来にもなった恵庭岳に代表される山々が見えてくる。さらにその坂道を、もうしばらく進むと支笏洞爺(しこつとうや)国立公園を後背地とした恵庭渓谷が現れる。そこには「白扇(はくせん)の滝」や「ラルマナイの滝」などが点在し、新緑の季節や夏休み、紅葉シーズンには、同市のみならず市外からも多くの観光客が訪れる人気の観光スポットとなっている。
同市は、その地理的な位置(太平洋と日本海の間にあり、ともに車で1時間半程度の距離)から、両方の気象の影響を受けやすい地域だという。夏の平均気温は20℃程度と涼しく、梅雨や台風の影響も少ない。さらに湿度も低いことから快適に過ごせるのが魅力だ。一方、冬は、道内の他の地域に比べると降雪量、積雪量ともに少ないという特徴がある。
全国の多くの都市が人口減少に悩んでいる中、前述の交通アクセスや自然環境、過ごしやすい気候などを背景として、同市の人口は、昭和45(1970)年11月の市制施行時の3万4500人から、平成25(2013)年1月の6万9197人まで増加し続けた。同年2月に初めて人口減少(6万9121人、前月比76人減少)を経験したものの、その後、再び増加に転じた。本年(2018年)7月時点の人口は6万9718人で過去最多を更新。7万人が目前に迫っている。
市民が語る恵庭の魅力
「恵庭を知らない人にその特色や魅力、また恵庭商工会議所が取り組んでいる事業を伝えるとしたら、どのようなことが挙げられますか」と、恵庭で生まれ育ち、同市を基盤に住宅建設やリフォーム事業などを手掛けている会社を経営している同市民である中泉会頭にストレートに尋ねた。
「長く住んでいるから、改めて特色や魅力と言われても……」とためらいながらも、次のように多くの魅力や特色などをうれしそうに語った。
「恵庭は、もともと農業と林業(木材産業)のまちでした。そこに当時の人々が熱心に誘致活動を行った結果、北海道で初めて自衛隊の駐屯地ができました。それが昭和20年代のことです。当時、全国各地から隊員が赴任してきました。その数は家族も合わせて1万人以上だったと思います。こうしたことから次第に人口が増え始め、まちににぎわいをもたらしました。現在、自衛隊員とその家族の数は1万人を切っているようですが、中には市内駐屯地への転属(全国に転勤しない形)を選択して、当市に住居を構え、退職後、定住する人も出てきています。四季がはっきりしていて住みやすいからというのが、その主な理由のようです。九州方面の出身者が比較的多いですね。また、当所では市と協力して「職・住」のバランスの良いまちづくりに取り組んでいます。市内恵み野地区では、土地の整備を進め、優良宅地として分譲販売しています。その主な購入者は、札幌市内または当市内に勤務する方などです。地価の高い札幌市内で宅地を見つけ住宅を建設するよりも、地価が安い当市で住宅を建てた方がコストを低く抑えられるので注目されています。さらにこれからは、北海道への移住者もこのターゲットになると思います。実際、当市に移住する人も出てきていますので」
「こうした定住人口増加に向けた取り組みのほか、交流人口を増やすための事業も以前から実施しています。その一つが、当所も関わっている「道の駅 花ロードえにわ」の運営です。12年前の平成18(2006)年の夏にオープンした同施設は、オープンから10年3カ月を迎えた2年前の28(2016)年9月に、累計来場者数が1000万人に達しました。その後も一日の交通量が3万3000台を誇る国道36号沿いという立地の良さから、平日・休日問わず多くの来場者があり、年間100万人規模を維持し人気を博しています。同施設で販売される産直野菜や果物などの中には、開店後早々に完売するものもあります。当所が地元産の「えびすかぼちゃ」を使用して開発した“かぼちゃパイ”の販売も行っています。また、この施設の裏手には、今後、優良宅地として整備して分譲販売するところもあります」
「恵庭の良いところといえば、自然が近いところでしょうか。市内を北西方面に車で5分ほど走ると大地が広がります。そこではえびすかぼちゃなどが栽培されています。一方、西南方面に10分ほど車で走ると、(前述の)恵庭岳などの山々が見えてきます。恵庭市域のおよそ半分近くが山林なので、当然といえば当然の景色かもしれませんね。この山々が源となりもたらされる水は、まさに自然が与えてくれた恵みの水です。当市内の「戸磯・恵南工業団地」には、サッポロビール北海道工場があります。ビールの製造には、美しい自然の中で育まれたおいしい水を使うことが欠かせません。同工場は、恵庭のこうした水を得るために立地されました。同工場のほかにも、同団地内に食品関係の工場が比較的多いのは、この恵庭のおいしい水が関係しているのかもしれません」
花のまち恵庭の誕生
同市内の歩道、店舗や事務所の軒先、個人宅の入り口や庭などが、多くの花々で彩られている。それもそのはず、恵庭は“花のまち”としての活動を長年続けているのである。同市は「えにわ花のまちづくりプラン」を、平成10(1998)年3月に策定・制定。その後、10年ごとに同プランを改定し、都度、次の10年間の取り組みを市民に提示している。そして、本年(2018年)が、その2度目の改定期にあたり、3月に同市経済部「花と緑・観光課」より、27年までの改定プランが示されたところだ。今回のプランの目標は、“美しいまちで暮らそう”。
このプランは「市民の願いを集約し形にしたもの」で、絶対でも強制でもなく、市民・行政・団体・企業が、それぞれの立場で行動することが重要であるとしている。そのため計画の期日は定められていない。ただ、同プランの策定・制定から20年経った今日、市内各所で花々が見られるということは、このプランがしっかり市民・企業などに根付いている証といえる。
それでは、なぜ恵庭が、“花のまち”と呼ばれるようになったのか、そのきっかけなどをみてみたい。それは恵庭市役所が発行している『広報えにわ』(2016年6月号)に記載があった。
「きっかけは、定時制課程農業科のある北海道恵庭高等学校(現・恵庭北高等学校)に昭和36年にできた小さな温室。ここで花の実験栽培が行われ、実習助手をしていた卒業生が藤井(哲夫)さんたちに花の生産を勧めたことが始まりです。恵庭ゆかりの中山久蔵が寒地稲作を普及させ、米づくりが長く農業生産の中心だった恵庭。当時、藤井さんと一緒に花の生産を始めた石田貢さんは教諭から『水田の真ん中で花はつくれない』と言われます。『園芸なんかでメシが食えるか』と反対された時代でした。それでも『冬から春にかけて生産できる』花苗に魅力を感じ、新たな挑戦に意欲を燃やす藤井さんたちはシクラメンを育て、札幌で鉢植えを売り歩きました。その後、藤井さんたちは春に出荷できる花壇苗の栽培も開始。次第に『恵庭の苗は寒さに強い・花が長持ちする』と評判になり、昭和40年代には花苗の生産が拡大しました。昭和59年には恵庭市花苗生産組合が設立され、恵庭は道内でも有数の花苗の生産地に。」(以上、同広報誌から抜粋。一部改)
現在、同市には花苗生産者が4社ある。そのうちの1社、株式会社サン・ガーデンは、広報誌に記載のあった藤井哲夫さんが創業した会社。現在、二代目社長を、恵庭商工会議所副会頭でもある土谷秀樹さんが務めている。
同社のビニールハウスの中は、黒いビニールポット(軟質プラスチック製の植木鉢)に入った花苗が長方形プラスチックケースに入って整然と並んでいる。その出荷先の一例を尋ねると「札幌市の中心部に位置し、大通西1丁目から大通西12丁目までの長さ約1・5㎞に及ぶ大通公園の花壇用として出荷しています。そのおよそ7割が、当社を中心とした恵庭で生産されたものです」と話す土谷社長。その割合の高さに驚く一方、それは恵庭産花苗の品質や評判の高さを表すものといえる。ここに至るには生産者の努力はもちろん、前述のプランを実行してきた市民の力も見逃せない。
「花」をキーワードに未来を開く
7月上旬、市内恵み野地区では「オープンガーデン」が開催されていた。オープンガーデンとは、個人や店舗などが自分で手入れしている庭を一定の期間公開すること。そのきっかけは、平成3(1991)年の夏、市民の有志がガーデンシティーとして有名なニュージーランドのクライスト・チャーチを視察したことによる。この視察で自宅の庭が美しい景観になることを知った市民が、ガーデニングを生かしたまちづくりを意識するようになり、同地区を中心にガーデナー同士のつながり(交流)が生まれたという。その動きは平成18(2006)年、「道の駅 花ロードえにわ」と花のテーマパーク「えこりん村」のオープンによって加速され、「花」をキーワードにした観光地への転換につながった。それまで年間40万~50万人程度だった観光客が倍以上の120万~130万人まで増加したことが、なによりの証拠だ。
行政がプランを示し、それを市民が主導し、さらに団体や企業が後押ししたことで、“花のまち”といわれるようになった恵庭市。自然環境の素晴らしさと抜群の住環境に裏打ちされて人口の増加が続く恵庭市の未来が“花”開くことは間違いないだろう。次回のプラン改定期となる10年後が楽しみなまちである。
最新号を紙面で読める!