規模や場所のハンディキャップを逆手に取り他社がまねできない独自の製品を開発し、業績を上げ続けている企業がある。地域の原材料に一手間も二手間もかけてヒット商品に育てた“オンリーワン”企業の発想力に迫った。
事例1 ブナの木の有効利用で世界ブランドへ駆け上がる
ブナコ(青森県弘前市)
広大なブナの森を有する青森県は、ブナの木を有効活用するべく独自の技術を開発した。その技術を継承し、優れたデザイン力でモダンなプロダクトを生み出しているのが、地元木工メーカーのブナコだ。テーブルウエアや照明、スピーカーと、ジャンルレスな商品開発で、世界に名を轟(とどろ)かす自社ブランドを確立している。
ブナの有効活用に向けて生まれた独自の技術
大根のかつらむきのようにブナ材を厚さ1㎜にむき、細いテープ状にくるくると巻きつける。その独自の技法でつくられる特徴的な形状の工芸品が「ブナコ」であり、社名でもあり、「BUNACO」としてブランド名にもなっている。
「BUNACOの技術は、青森県工業試験場が開発したもので、うちじゃないんです」
そうさらりと語るのはブナコ代表取締役の倉田昌直さんだ。ブナはスギやヒノキに比べて保水力が高く、腐りやすい。割れや反りなどのねじれも生じやすく、建材にも家具材にも不向きとされてきた。そのブナを何とか活用できないかと、ブナの蓄積量日本一の青森県が1956年に考案、開発したのがBUNACOというわけだ。加工技術の特許も県が取得しており、民間企業は製造許可を得て初めて商品化できる。そこで、製品化するため県の経済界の有志らが会社を立ち上げ、製造・販売に乗り出した。
「でも3年で倒産。理由は分からないんですけどね。それで私の祖父が『地元で生まれた技術が途絶えるのはもったいない』と会社を買い取りました。それがブナコ漆器製造株式会社の始まりで、63年に父が設立しました」
厚さ約1㎜、長さ約2mの薄板を仕入れ、それを幅6〜12㎜のテープ状にカットするところから自社で行う。カットした材を芯材に巻きつけてコイル状にし、それを湯呑み茶碗を使って成形する「型上げ」、乾燥、パテ埋め、塗装を経て仕上げる。商品によって異なるが、細かな作業まで含めると約30工程にも及び、それらをすべて自社工場で担う。それも機械はほとんど使わず、分業制による職人一人一人の手仕事が、ブナコ・クオリティーを支えている。
入社1カ月で社長に就任営業力を経営力にシフト
BUNACOは、今でこそ国内外から高く評価されるブランドだが、創業当初はかなり伸び悩んでいたという。早期に海外輸出を試みるも失敗に終わっている。
「そんな状況が10年は続いたでしょうか。私が大学を出て、東京の取引先で営業マンをしていた頃のことです。入社から2年が過ぎたある日、父からブナコ入社を促されました。継ぐ気ではいましたが、早いなと正直思いましたね。営業の仕事も面白くなってきたところでしたから」
だが、事態は思わぬ方向へ転がる。倉田さんは80年5月に退職し、6月1日に入社するのだが、その1カ月後に先代が急逝してしまうのだ。
「経営も商品のことも知らない、分からない。そんな状態でいきなり経営者です」と苦笑する。弱冠26歳の倉田さんができたことは、都内有数の百貨店の営業担当だった経験を生かすこと。百貨店が求めるデザイン、価格帯を熟慮し、1年後に主力の食器で新商品を発表した。これが百貨店の有名バイヤーの目に留まる。漆器の常識を逸脱したワインカラーの器は、瞬く間に大ヒットした。また、当時、全国最年少で取得した販売士資格も役立ったという。
「当時、百貨店ではワインカラーの家具がはやっていました。デザインも民芸調ではなくモダンに仕上げ、厳密には漆器ではないのですが、『何これ?』と問われたら、『漆器です』と言い切りました。その分かりやすさと真新しさで売れに売れましたよ」と笑う。
「あかねのうつわ」と名付けられたこのシリーズは、その後16年間、前年比を落とさず売れ続ける。まさにマーケティングによる商品開発の好例だ。
だが、バブル崩壊をものともしなかった売り上げも、98年、突如10%、15%とジェットコースターのごとく急落していった。
急速な業績低迷を未知の分野で乗り切る
「飽きられたんです」と倉田さん。打開策が見いだせないまま2年が過ぎ、銀行も厳しい表情になっていく中、東京の知人からランプシェードをつくれないかと、ひょんな依頼が舞い込んだ。
「つくったことはないですが、別々に2人から頼まれて。当時は時間だけはありましたからね。二つ返事で承諾しました。完成したシェードをことのほか喜んでもらえて、インテリア業界参入を考えるきっかけになりました」と振り返る。
新規事業を見積もるとざっと620万円はかかる。だが資金がない。そこで倉田さんが足を運んだのが県庁の新産業創造課だ。百貨店市場ではなくインテリア市場での新規事業であることを条件に、国と県から200万円ずつ補助金が下り、さらに青森銀行の支店長を訪ねるとエンジェル基金という新商品開発に向けた融資があるとのことで、残り220万円を工面する。
自己資金ゼロでランプシェードを製作し、2003年2月、東京のビッグサイトで開催されたギフトショーに約10点の斬新なブナ製ランプシェードを携えて挑んだ。これが起死回生となる。ブナは光を透過すると赤くなる特性があることから「BUNACO RED」と名付けたランプシェードは、高い評価を得た。同年4月にオープンした六本木ヒルズ内の「TORAYA CAFE」(17年1月閉店)に採用されると一躍脚光を浴び、デザイン感度の高いクリエーターや建築家、インテリアショップからの注文が舞い込むようになっていった。
「06年ごろから順調に売れるようになっていきました」と語る倉田さん。BUNACOは、青森県工業試験場から技術を受け継いだ当初は、純和風のデザインだったものの「あかねのうつわ」でモダンになり、さらに「BUNACO RED」でスタイリッシュなデザインへと進化していく。以降、独特なフォルムとブナの風合いがブランディングデザインとして確立し、今もブレはない。
だが、波乱はあった。社内からの猛反発だ。
チャレンジ精神を育み海外市場も手堅く開く
ランプシェードを何回かギフトショーに出展したあるとき、訪れた人から「ゴミ箱はつくれないか」と相談され、ゴミ箱を開発すると「ティッシュボックスがあったらいいのに」という声を耳にする。さりげないニーズを取りこぼさずキャッチするのだが、その度に従業員からは「つくれない」「無理」と突っぱねられた。
「『1万円もするゴミ箱に鼻をかんだティッシュを捨てられますか』と畳み掛けられたときは、さすがに心が揺れました」と倉田さんも苦笑するが、ギフトショーに出展して話題になると反対意見は消えた。 だが、懇意にしている大学教授のスピーカーの依頼は訳が違った。
「従業員全員がボイコットです。ゴミ箱、ティッシュボックス製作に協力してくれた従業員でさえ、首を縦に振ってくれませんでした」
そこで倉田さん自らがスピーカーづくりに挑む。だが営業経験はあっても製造に携わったことはない。素人レベルの作業を見かねた従業員が口を出す、またあるときは手を貸す、しびれを切らして試作品を取り上げて自らつくり出す。「職人の性(さが)を利用した作戦です」といたずらっ子のように笑う倉田さん。そうして完成したスピーカーは、従業員の意識を大きく変えた。やったことがない未知のジャンルも、やればできる。大きな自信となり、以来、ブナコでは「NO」と言わない、諦めない社風が形成されていった。
「オンリーワン=安泰は思い違い。独自の技術があっても、世の中は競合だらけ。自覚が大切です」 外部デザイナーの起用も有名無名を問わず活発で、07年の経済産業省の地域資源活用プログラム認定を受けたのを機に、海外市場開拓にも本腰を入れる。パリで開催される世界最大のインテリア見本市「メゾン・エ・オブジェ」に出展し続けて地元バイヤーとの信頼関係を築いていき、ノルマンディーにある金属加工メーカーと提携して輸出コストを抑えた照明器具の製造を実現させた。
「ディストリビューター(卸売業者)を使わず、販路開発は自社で。パリで評価されたブランドという箔をつけてから世界各国へ広げていく戦略です」
アイデア、チャンス、デザインセンスと技術力、そしてつくり手のモチベーション、それらの総合力でBUNACOの可能性は、ジャンルも国境も越えて拡大中だ。
会社データ
社名:ブナコ株式会社
所在地:青森県弘前市豊原1-5-4
電話:0172-34-8715
代表者:倉田昌直 代表取締役
従業員:約25人
※月刊石垣2018年12月号に掲載された記事です。
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