日商 Assist Biz

更新

渋沢栄一の軌跡 第6回 内山峡

コスモス街道から屏風岩を望む 交通 JR小海線中込駅からバスで15分

栄一の「第二の故郷」佐久の巨岩が連なる景勝地

内山峡(うちやまきょう)は千曲川の支流滑津(なめづ)川によって形成された渓谷で、迫力ある無数の奇岩が見られることから、「信州耶馬渓」と呼ばれて親しまれてきました。栄一は、家業の藍玉を売るため信州を旅した際にこの地で漢詩を詠み、19歳のときに従兄(いとこ)の尾高惇忠(じゅんちゅう)と合作した『巡信紀詩』に納めています。青空を衝き、白雲をも穿(うが)つ気持ちで突き進む、という思いを表したこの詩は、栄一の生涯を描く2021年NHK大河ドラマ『青天を衝け』のタイトルの元にもなっています。

秋には内山峡を通るコスモス街道と呼ばれる国道254号線沿いのコスモスが見ごろを迎え、花の向こうに奇岩がそびえる美しくも力強い景色を楽しめます。

次の記事

奈良県

日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は、教育や公益事業などの社会貢献活動にも精力的に取り組んでいました。その一つに、聖徳太子1300年御忌法要の準備会として発足した聖徳太…

前の記事

静岡県

料亭・浮月楼(ふげつろう)は、かつて徳川幕府の代官屋敷があり、15代将軍徳川慶喜が大政奉還の後に20年間過ごした地に建てられた、静岡市の〝迎賓館〟です。ここは幕臣であった…

関連記事

宮城県

七十七銀行の前身にあたる第七十七国立銀行は、1878(明治11)年に地元・仙台に基盤を置く銀行の必要性を感じていた元仙台藩士の氏家厚時らを中心に設立されました。その際、日…

埼玉県

渋沢栄一は天保11(1840)年に、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)で生を受け、10代のころから家業である養蚕や藍玉の製造販売を手伝って、藍の販売や原料の仕…

京都府

江戸で蘭学を学び、米国でさらに見聞を広めた新島襄(じょう)は、日本における教育の必要性を強く訴え、私学同志社の設立への協力を呼び掛けていました。新島を支援する会合に出…