九重本舗玉澤
宮城県仙台市
店の名前が横丁の名称に
「独眼竜」の異名でも知られる伊達政宗公が開府し、城下町を築いた仙台に、延宝3(1675)年、第四代仙台藩藩主・伊達綱村公から招きに応じて玉澤伝蔵が近江国(現在の滋賀県)から来府した。そして、伝蔵が城下町の商業の中心地である国分町で仙台藩の「御用御菓子司」として開業したのが、九重本舗玉澤の始まりである。以来、350年近くにわたり、仙台で菓子づくりを続けている。
「伊達家は代々、茶の湯に力を入れており、そこで、京都に近い近江から伝蔵が呼ばれたものと思われます。伝蔵が近江で何をしていたかは分かっていませんが、おそらくはお菓子づくりをしていたものと思われます」と、第十四代当主を務める近江貴生さんは語る。
伝蔵については、代々伝わっている『こんこんぎつねの恩返し』という逸話がある。菓子づくりに励んでいた伝蔵が墓参りの途中、道端で苦しむキツネを見つけ、薬を与えて介抱したところ、キツネは元気になって去っていった。すると、伝蔵の足元に小さな分銅金が落ちており、これはキツネの恩返しに違いないと思った伝蔵はこれを持ち帰り、屋敷内に神社を建立して祭った。
「玉澤で今も商標に使っている屋号は、この分銅金の形がモチーフになっています」(近江さん)
それ以来、玉澤は菓子づくりの技を極めていき、商売はますます繁盛したという。
江戸時代、玉澤の店がある通りはいつしか「玉澤横丁」と呼ばれるようになり、玉澤の菓子は仙台の城下町の人たちに親しまれるようになっていた。
常に新しい銘菓を生み出す
「明治20(1887)年には、八代目伝蔵がまだ東京でも珍しかったビスケットをつくって販売したという記録も残っています。常に新しい菓子を生み出し、それをお客さまに愛される菓子に育ててきたことが、店を長く続けられてきた理由だと思います」と近江さんは熱く語る。
八代目伝蔵が明治34(1901)年、明治天皇が仙台に行幸された際に新たにつくった菓子を献上すると、お供として来ていた東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)公により百人一首にもある古歌にちなんで「九重」と命名された。この菓子は今も九重本舗玉澤の代表的な銘菓であり、その名前が商号にもなっている。
大正初めに仙台駅近くの名掛丁に店舗を設けたが、戦時中は休業していた。先々代の近江逸郎氏が戦後、駅前の南町通りに店を再開し、昭和25(1950)年に法人化して株式会社九重本舗玉澤となった。現在は仙台市内の住宅地に本社・工場を設け、製造・販売を行っている。
「十二代目の逸郎が40年ほど前に新たにつくり上げたのが、九重本舗玉澤のもう一つの代表的銘菓である『霜ばしら』です。これは見た目が霜ばしらのような形をしたあめで、口に入れると溶けてなくなります。私は現場でこれをつくっていて、よくこのようなものを思いついたなと感心するほどです」
この「霜ばしら」は、2017年に開催された第27回全国菓子大博覧会において、最高賞となる名誉総裁賞を受賞している。
地元企業とのコラボ商品も
「玉澤は玉澤家と近江家の両方で店を経営していて、代によっては近江家が伝蔵を名乗っていたこともあり、今は近江家が後を継いでいます」という近江さん。18歳で自社の製造工場に入り、菓子づくりに携わってきたが、6年前に父である先代が急に亡くなり、39歳で急きょ後を継ぐことになった。
「突然のことだったので、長男である私が何も分からないまま社長を継ぎ、これまで手探りでやってきました。私が製造現場を見て、弟が外に出て営業に回るという役割分担ができているので、なんとかやっています」
近江さんがいま力を入れているのが地元企業とのコラボ商品だという。塩竈市の老舗酒蔵の日本酒を使ったゼリーや、仙台市内にある紅茶専門店の紅茶を使ったゼリーやババロアが話題となっている。さらに、九重と霜ばしらに続き三本目の柱となる、新たなお菓子をつくることを目指す。
「代表銘菓の九重や霜ばしらのように、これからも手づくりでしか生み出せない温かさのあるお菓子をつくっていきたいと思っています。コロナの影響で、これまでメインにしてきた対面販売での売り上げが落ちるのは避けられません。今後はオンライン販売に加え、ツイッターをはじめとするSNSを通じた広報活動を強化していきたいと考えています」
江戸時代から続く伝統を守るだけではなく、SNSという21世紀のテクノロジーで、九重本舗玉澤は菓子づくりに新たな息吹を吹き込んでいく。
プロフィール
社名:株式会社九重本舗玉澤(ここのえほんぽたまざわ)
所在地:宮城県仙台市太白区郡山4-2-1
電話:022-246-3211
代表者:近江貴生 代表取締役
創業:延宝3(1675)年
従業員:約20人
※月刊石垣2020年9月号に掲載された記事です。
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