大髙園茶舗
千葉県香取市
たばこを独自にブレンド
利根川を利用した水運の中継地として古くから栄え、“小江戸”と呼ばれる古いまち並みが残る佐原(さわら)の地で、大髙園茶舗はお茶とたばこの販売を行っている。創業は明和2(1765)年で、同じころ、のちに日本全国を測量して日本地図を完成させた伊能忠敬が、佐原の有力な商家だった伊能家に婿養子として入っている。
「初代の与兵衛は水戸の下級武士で、伊能家の親戚に声を掛けられて佐原に来て、水戸屋を屋号に商売を始めました。当時は水戸藩から佐原にかけて葉タバコの畑が数多くあり、たばこの生産が盛んでした。そこで、きせるで吸う刻みたばこの製造販売を始めたのです」と、十一代目店主の大髙一悌(かずよし)さんは言う。創業から明治にかけては、たばこが主な商いで、お茶はそのついでに販売する扱いだった。
幕末、水戸の東部にある那珂湊(なかみなと)に雲井という名の遊女がおり、全国各地からたばこを取り寄せ、自分好みにブレンドした刻みたばこを客に贈っていた。その味が評判となったことから、水戸周辺でつくられるたばこには、雲井という名が付けられることが多かった。
「うちでも江戸時代から明治初めにかけて、水戸の葉タバコと薩摩から取り寄せた葉タバコを独自にブレンドしたたばこに『雲井』という名を付けて販売していました。丸に十の字は薩摩藩の島津家の家紋ですから、これで水戸と薩摩の葉タバコがブレンドされていることを表したのでしょう」
明治25(1892)年には佐原で大火が起こり、店舗が焼失してしまった。その際に建て直した建物が、現在の店舗となっている。
たばこの専売制により大転換
明治初めまでは、たばこといえば刻みたばこをきせるで吸うのが普通だった。しかし、海外から紙巻きたばこが輸入されるようになると、明治17(1884)年ごろには国産初の紙巻きたばこ『天狗煙草』が販売されるようになった。パッケージのデザインにこだわり、盛んに宣伝も行われたことから、そのハイカラなイメージが当時の人たちの間で大人気となっていった。
「天狗煙草は“明治のたばこ王”として知られる岩谷松平氏が創業した岩谷商会の製品です。うちも代理店としてこのたばこを扱い、海外にも輸出して大きく商いをするようになり、この辺りではトップの売り上げだったようです」
しかし、明治37(1904)年に日露戦争が起こると、その戦費を調達するために、政府は同年7月に「煙草専売法」を施行し、たばこの専売制を始めた。これにより水戸屋でも独自にたばこの製造販売を行うことができなくなり、それまでは副業だったお茶の販売をメインにするようになった。
「葉をブレンドして味をつくっていくという点では、たばこもお茶も同じです。その技術をお茶のブレンドに集中していったのです」
その後、六代目から八代目にかけては、後継ぎが若くして亡くなるということが続き、その母親や娘が商売を引き継いでいくこともあった。それも、婿養子を取ることで乗り切っていった。
80種類のお茶をつくり分ける
現在は大髙園茶舗と名を変え、80種類以上のお茶のほか、たばこやコーヒー豆などを販売している。
「北は埼玉の狭山から南は鹿児島の知覧まで、約100種類の茶葉を仕入れて、独自にブレンドしたお茶ばかりです。同じ産地でもつくり方によって味や風味が違うので、ブレンドすることで味をより良くしていくわけです。また、お客さまに試飲してもらって好みを聞いて、その場で別のお茶をブレンドしてつくったりもしています」
大髙さんが後を継ぐために店に入ったのは高校を卒業してから。ブレンドの技術は先代である父親から教わった。「何種類もあるお茶を全部見て、かいで、飲んで、これとこれはブレンドしてもいいとか、合わないとかを覚えていきました。うちのお茶は、かぐわしい甘い香りに、少し渋めで口に余韻が残る味が基本です。それは変えることなく、お客さまの好みに合わせて味を調整しています」
お客の中心は地元の人で、ほとんど買うお茶の種類が決まっているため、大髙さんは店に来たお客さまの顔を見ただけで、どのお茶を出せばいいかが分かるという。
「先のことはあまり考えていません。26歳の息子がいますが、別の仕事をしていて、後を継ぐ話もしていない。もし継がないとなったら、それまでですね。私は今までどおり、お客さまの好みに合った味をつくり続けるだけです」
代々伝わる80種類もの異なった味のお茶をつくり分けていく技術は老舗が持つ伝統の一つ。それを絶やさずに済むことを、地元の人たちも願っていることだろう。
プロフィール
社名:合資会社大髙園(おおたかえん)
所在地:千葉県香取市佐原イ3401
電話:0478-52-3965
代表者:大髙一悌 店主
創業:明和2(1765)年
従業員:なし(店主のみ)
※月刊石垣2019年12月号に掲載された記事です。
最新号を紙面で読める!