6歳から書道を始め、2010年に「龍馬伝」の題字を手掛けた書家でアーティストの紫舟さん。書を立体的な彫刻やデジタル技術や照明を用いた光の作品に昇華させ、唯一無二の現代アートを確立した。常識にとらわれない感性はどこからくるのか。コロナ禍にあって、作品にかける思いを伺った。
世界で愛される理由
10月に行われた紫舟さんの展示会「ラブレタープロジェクト’20 行ってはいけない処~地獄~」でこんな一幕があった。講演の最後に書を披露することになった紫舟さんは、すぐには筆を取らず机に両手を付いたまま30秒ほど静止した。それまで穏やかな雰囲気だった会場はピタリと静まり返り、観客の緊張感が高まると、紫舟さんは毛の長さが通常の2倍はある特注の筆を手に取り、流れるように書を披露した。描いた言葉は「倚(よ)りかかる」。ほう……と観客のため息が漏れる中、紫舟さんは書に込めた思いを語り始めた。
「日本では人に迷惑を掛けてはならないと教えられます。今は、未知なるウイルスの影響を受け誰もが困難な時代です。助けてほしい、支えてほしい。そうした言葉を気負わず口にしてもいいんじゃないか。少なくとも私は身近な大切な誰かを失うくらいなら、倚りかかってほしいと思うのです」
紫舟さんは、書家でありアーティストだ。例えば、「ありがとう」を書にするなら、明朝体のような書体、ゴシックのような書体、丸みを帯びたポップな書体など、何百種もの書体を書き分けながら、世界に一つの「ありがとう」を模索する。納得いくまで書き続けるので、多いときは500〜600枚にも及ぶという。
紫舟さんの書の魅力は、誰も思いつかないような発想力と、イメージを具現化する表現力だ。本来、書家は平面に描く2次元の世界で活動するが、紫舟さんは鉄を使用して書を立体的に表現し、2012年には、デジタルコンテンツの開発を行うteamLab(チームラボ)と3D映像や音を組み合わせたメディアアートを生み出した。
紫舟さんの作品は海外でも評価が高い。14年にはフランス国民美術協会展で、書画で初めての金賞を、また彫刻でも最高位金賞を同時受賞した。
揺るがない思いが強み
日本語を使うのは、世界中でも日本だけだが、言葉の壁を超えて彼女の作品が世界で愛されるのは「文化の限界を芸術の力で乗り越える」という気概があるからだろう。しかしなぜ、それほどまでに己の道を信じられるのか。
紫舟さんが筆を手にしたのは6歳の頃だった。日本舞踊や書道などの文化に造詣の深い祖父母のすすめで習字を習い始めたという。高校を卒業するまで書道を続け、大学卒業後は、周囲に流されるままアパレル会社に就職した。宣伝担当として花形部署に配属され、世界を飛び回った。仕事は楽しく、同僚にも恵まれたが、「自分の居場所はここではない」という違和感を拭いきることができず3年で退職を決意。次の道は決まっていなかったが、まずは、「辞める」ことを優先させたのだ。
それから100日間、自分が進むべき道を考えた。あるとき、天命のようなものを感じたという。
「書家が天職だと分かりました。神様に与えられたお仕事。そう認識していることが私の武器かもしれません」と語る瞳はまっすぐで迷いがない。
しかし、何の後ろ盾もなく腕一本で生きていくのは容易ではなかっただろう。駆け出しの頃は、修業のため伝統工芸職人や人間国宝の人のもとで作品づくりを行い、表現力を鍛えた。
紫舟さんは、書のみならず絵を描くことでも知られる。「行ってはいけない処~地獄~」では全長15mのキャンバスに地獄絵を描いた。
現在は、信頼の置けるスタッフ4人とチームを組んで制作に当たっている。「事前に完璧な下図を描くため方向性のズレが生じることが少ない」のだとか。紫舟さんは日報でのコミュニケーションを欠かさないという。
チームの長として心掛けているのは妥協をしないことだ。
「表現において違うと感じると、一からやり直すこともあります。その過程でスタッフと共にどれだけ懸命に向き合えたかは、必ず糧となると信じています。そしてもう一度奮起し、どう違うのかを語り、伝え、やり直そうと声を掛けます。地獄絵図の1シーンも一度やり直しました」
プロセスと結果、両方にこだわることが正解なのかは分からない。葛藤もある。それでも、「世界で展示をし、数多くの失敗を繰り返してきた表現者として見える部分があります。そこはまだ若いスタッフには理解できなかったり、見えなかったりもします。そのため、感覚を言葉に置き換え、丁寧に説明し、チームで共有しています」と、アーティストとしての姿勢を見せた。
他者以上に、自分に厳しい。例えば、食事は精進料理に限り、肉、魚など、殺生したものは食べない。「感覚を研ぎ澄まし、異次元の集中力を手に入れたかったから」だという。「人の体は3週間で変わります」と紫舟さん。精進料理に切り替えてもうすぐ5年が経つそうだが、心と体のパフォーマンスは向上し、性格まで変わったという。
あえて夢や目標は設定しない
新型コロナウイルスにより、アート業界は展覧会の中止・延期や入場制限など大きな影響を受けた。芸術や文化の在り方が改めて問い直される中、紫舟さんは粛々と作品づくりに励み、9月には京都で初の個展を開催した。どんな状況でもブレない秘訣(ひけつ)は何なのか。
「コロナ禍では、心をいかに健全に保ち抜くかに注力しました。一度心が病んでしまうと元に戻すことが難しい。私にとっては経済的な問題よりも大きい」
自粛中は、朝と夜の2回の散歩とヨガで体力維持に努め、不安を助長する雑念を減らし「いま、ここ」に意識を持っていくために瞑想を学んだ。
「コロナ騒動が起こった当時、SNSで遠くの誰かを蔑(さげす)むことで浮かばれたような気持ちになる人がいたり、正論を掲げることで強くなったような気になったり、世の中で不安が暴走していましたよね。私自身も、自分の心の汚れに直面し、戸惑いました」
注意深く努めたのは、他人を見ず、他人を注意せず、他人を直そうとしないこと。意識は全て自分に向けて、自分を注意して自分を直したという。「月並みですが規則正しい暮らしが基本ですよね」と笑う姿には全く気負いがない。
将来の夢を聞くと、「ない」と即答した。
「2015年に夢が叶(かな)ったときに、夢を叶えることが人生ではなかったと分かりました。人生の大切なことを学ぶための手段が夢。今、夢や目標はありません。目標を設定すると自分の想像の範囲内のところには到達できますが、想像力を超えて遠くに辿(たど)り着くには、自分のこれまでの生き方を信じ、大いなる人生の流れにあらがわずに乗っていく方が遠くに行けると信じています」
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紫舟(シシュー)
書家・アーティスト
日本の伝統文化である「書」を、絵、彫刻、メディアアートへと昇華させ、文字に内包される感情や理を引き出す。2014年、フランス・ルーヴル美術館地下会場でのフランス国民美術協会展にて、書画で金賞、彫刻で最高位金賞を日本人初のダブル受賞。翌年同展の「主賓招待アーティスト」に選出され、日本人では横山大観以来の快挙となる。15年、イタリア・ミラノ国際博覧会にて日本館のエントランス展示を手掛け、同館は展示デザイン部門で金賞を受賞
写真・後藤さくら
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