史上最年少の記録を次々塗り替える棋士、藤井聡太さんの活躍で、今や将棋界一有名な師匠となった杉本昌隆さん。現役のプロ棋士としても活躍中で、2019年には50歳で順位戦B級2組に昇級し、史上4位の年長記録となる。棋士として、指導者として、将棋と真摯(しんし)に向き合いつつ、天才を育ててきた心境や教育術を聞いた。
「藤井聡太の師匠」の肩書きをバネに邁進
「対局の後、それも負けた後にマイクを向けられて、自分ではなく藤井に関するコメントを求められることも少なくないですね。こういうときは的確な言葉がうまく選べないことがあって、後々反省することがあります」
そう言って苦笑する棋士、杉本昌隆さんは、対局だけではなくテレビのトーク番組や講演会、エッセイの執筆など、将棋盤から離れた場での活躍も目立つ。弟子の藤井二冠が、史上最年少14歳2カ月でプロ入りとなる四段に昇段したのは16年10月。史上5人目の「中学生棋士」として脚光を浴びてから、杉本さんも「藤井聡太の師匠」として注目度が一気に増していった。
「谷川浩司九段、羽生善治九段も中学生棋士としてデビューされましたが、活躍されるご本人だけでなく、その師匠まで注目されているのは私が初めてかもしれません。中学生だった藤井が少しでも将棋に専念できるように、私がマスコミ対応したことが今の流れにつながっているのかもしれませんが、先輩方が積み上げてきた将棋ブームがあっての藤井フィーバーなのだと受け止めています。藤井に関するコメントを求められることが多いですが、弟子の活躍は単純にうれしいですし、誇りです。藤井の活躍で、私自身もさまざまな刺激をもらって頑張れています」
その一例として、50歳で順位戦B級2組の昇段を挙げる。将棋界に定年はないが、伸び盛りは30代で、40代でトップ棋士であり続けるのはごくわずか。その中での快挙は、藤井二冠をはじめとする弟子たちの存在が力になったという。
だが、杉本一門の師弟関係は一昔前の〝スポ根〟とは対極のフラットな関係性で知られている。将棋に関してはなんでも言い合える雰囲気を大切にし、「師匠に威厳はいらない」と言い切る。31歳で初めて弟子を取ったときからこのスタンスは変わらず、弟子の中でも異彩を放つ藤井二冠に関しては、あえて指導将棋を指さず、兄弟弟子と指す機会を増やしたという。
「私と将棋を指せば、私の将棋スタイルや考え方、感性を押し付けてしまう可能性があります。藤井の将棋を邪魔せずに伸ばすことに努めました」
突き放すのではなく一定の距離をとって見守る。自分の色を弟子に押し付けない。一見ドライな関係に思うかもしれないが、藤井二冠がプロ棋士デビューする前年、あるインタビューで「藤井がプロ棋士になれなかったら私の責任として引退を覚悟している」と胸中を語った。師匠としての気概を持ちつつもそれを前面に出さない。師匠然としないのが杉本スタイルだ。
弟子にかける言葉やタイミングは慎重に
そんな杉本さんの教え方はどうやって培われたのか。一端は杉本さんの将棋人生にある。将棋に出会ったのは小学2年生のときで、父親からトランプやオセロ、五目並べなどの卓上ゲームの一つとして教わったのが始まりだ。駒の一つひとつに個性があり、なかでも駒を飛び越えて進む桂馬に魅せられたという。好きな将棋にのめりこみ、多くの将棋大会に出場する中で、将棋を指すことを職業とする大人がいることを知り、小学6年生のときに地元、愛知県を代表する棋士、板谷進九段に弟子入りする。プロ棋士の登竜門である奨励会に当時最年少で入り「一門の中で一番上に行ける」と期待された。21歳で四段に昇段する前、杉本さんが19歳のときに師匠が急逝するが、晩年の弟子ということもあって、とてもかわいがられたと懐かしむ。
板谷一門といえば徹底した居飛車(いびしゃ)党(飛車を定位置に据え置く戦法)だが、杉本さんは、自分は長期戦に向く振り飛車党(飛車を中央から左に振る戦法)だと謀反のような行動に出るが、黙認される。17歳のときには負ければ二段から初段に降段してしまう大一番を前に、硬くなっている杉本さんに「おもしれえ勝負だな」と一笑し、杉本さんの緊張をほぐして勝利に導くなど、弟子の特性を見抜いての指導法だったようだ。
「師匠は豪快な性格で弟子の面倒見も良くて、気軽に声を掛けてくださいました。でも私は自分の意見を、まして師匠に言うなんてとてもできない子どもでしたね。私が弟子を持って感じるのは、師匠に意見できるのは10代後半ぐらいから。大人が掛ける言葉は思っている以上に子どもには重いものと受け止めて、掛ける言葉、タイミングには気を使っています」
自身の経験を踏まえつつ、師弟関係を〝子ども目線〟で捉え、弟子一人一人と向き合っている。
AIやインターネットでは磨けない学び合える関係性
「単に子どもを子どもとして扱うのが得意ではないんです」と謙遜するが、トップダウンで教えるのではなく、弟子自らが考え、答えを出す指導に力点を置く。
現在、弟子は藤井聡太二冠、女流棋士の室田伊緒さん、中澤沙耶さんを含む15人おり、弟子を持つプロ棋士の中でもかなりの〝子沢山〟だ。だが、とりわけ藤井二冠は「一番手の掛からなかった弟子」と言って笑う。少年期の藤井二冠は大の負けず嫌いで、悔しい負け方をすると将棋盤にすがりついて大泣きする話は有名だが、立ち直りも驚くほど早かった。伸び悩む弟子との時間はしっかりとる杉本さんだが、藤井二冠とはそういう時間がなかったと振り返る。
「それでもプロになれるかどうかが決まる三段リーグの最終日は緊張したみたいで、私が掛けた『心配していないから』という言葉がとてもうれしかったとインタビューで答えていましたね」
そんな杉本さんと藤井二冠の、微笑ましいやりとりとは裏腹に、将棋界の現実は厳しい。プロ棋士を目指しても実際になれるのはわずか2割。原則26歳までに四段に昇段できなければプロ棋士の道は閉ざされる。そのため杉本一門では18歳までに初段、20歳までに3段リーグ入りという独自の厳しいルールを設けている。だが、将棋から離れた弟子にも東大生や医学生など優秀な人材が多いのも杉本一門の特徴で、子沢山になるのも納得できる。とはいえ、実のところプロ棋士である杉本さんが弟子をとるメリットはあまりない。月謝や賞金の一部が入るわけではなく、弟子を連れて食事に行けば持ち出しにさえなる。
「今の時代、技術的なことならAIやインターネットを駆使して磨くことはかなりできます。私ができるのは将棋に向き合う姿勢を見せること。それが自分自身の挑戦する力にもなっています」。将棋への情熱を共感し、精神力を鍛え、学び合う。相乗効果を生み出す師弟関係は、しなやかで強固だ。
杉本 昌隆(すぎもと・まさたか)
棋士・八段
1968年生まれ。愛知県出身。80年に板谷進九段(故人)に入門。90年10月1日4段に昇段、2019年2月22日8段に昇段。第77期順位戦で勝利し、50歳でB級2組へ昇級し、史上4位の年長記録となる。本格派振り飛車党で、特に相振り飛車は棋界きっての研究家として知られる。地元の東海研修会では幹事を、杉本昌隆将棋研究室を主宰するなど、後進の育成にも力を注ぐ。将棋の戦術著書は15冊以上あり、他に『弟子・藤井聡太の学び方』『悔しがる力』(ともにPHP研究所)がある
写真・後藤さくら
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