関彰商事
茨城県筑西市
病を押して顧客のために奔走
茨城県を中心にグループ会社26社を展開する関彰商事は、同県の内陸部、下館(現・筑西市)で、関彰商店として明治41(1908)年に創業した。石油会社の特約店として小さな燃料販売店を開いたのが始まりである。
「創業者の関彰(せきあきら)は、若い頃に家族を亡くし、一人で生きていかなければならなくなり、燃料販売を始めました。下館には工場もなく、自動車が走っているわけでもない。そこで、茨城県や福島県の港を拠点とする漁船に燃料を買っていただくことをメインに事業を拡大していきました」と、会長の関正夫さんは言う。関さんは婿養子として昭和35(1960)年に入社し、39(1964)年に二代目社長に就任、現在は会長を務めている。
創業当時、漁業は発動機で動く船に移行しつつあり、燃料の需要が高まっていた。初代はそこに目を付け、下館から海まで一番近いところでも50㎞もある距離をものともせず、販売先を開拓していった。現地の燃料販売店との競争に打ち勝つため、初代は顧客第一のサービスに徹していった。その頃にこんなエピソードがある。
耳の病気で入院していた初代のところに福島の船主たちが訪れ、「油不足で船が出せない。なんとか油を回してくれないか」と訴えた。船主たちの窮状を放っておけなかった初代は、医師が止めるのも聞かずに治療を後回しにして、油田がある新潟の石油会社に交渉に向かった。これが元で初代は聴力のほとんどを失うことになったが、これにより船主たちの信頼を勝ち取ることができたという。
発想をビジネスにつなげる
戦後に入ると、時代の変化に対応しながら、新たな事業を展開していった。ガソリンスタンドに加え、昭和30(1955)年には、家庭に普及してきたプロパンガスの販売を開始。35(1960)年には全国で増えてきた自動車用のタイヤの販売を始め、燃料関連を中心に事業を広げていった。関さんが会社に入ったのもそのころだった。
「まだガソリンスタンドは全国に2000軒もない時代でした。しかし工場が増え、自動車も増加し、陸上輸送の燃料の需要も増していました。その流れに一生懸命についていっただけです。長寿企業になろうなどと考えながら社業に精を出す人はいません。そのときそのときに与えられた仕事を一生懸命やっていくうちに、10年、30年、50年、100年となっていったんです」と関さんは振り返る。その後も多くの事業を展開していく。昭和38(1963)年には冷暖房機の販売を開始し、47(1972)年には保険代理業、51(1976)年には情報事務機器(当時はコピー機)の販売も開始している。
変化に乗ることが大切
漁船用の燃料販売から始まり、ガソリンスタンドの展開で大きく発展していった関彰商事だが、現在エネルギー、モビリティー、ビジネス、ライフの4分野を軸に事業を行っている。エネルギーは燃料関連、モビリティーは自動車関連、ビジネスは設備や人材サービス関連、ライフは生活サポート関連である。そのどれもが、時代や事業の流れの中から生まれてきたと関さんは言う。
「とにかく朝昼晩、これから何をしていくべきかを考えてきました。商売というのはいい時期にそれにフィットしたものでないといけない。始めるのが早過ぎて失敗するケースもある。もちろん私も時機を逃したり、失敗したりしたものもあります。運に恵まれたこともあります。ただし、運に乗るにしても、やってみなければ運に乗れません。いずれにしても、変化に乗るということが大切なんです」
近年はライフ関連事業にも力を入れており、特別養護老人ホームや保育園の運営を行っている。ただしこちらは、地域への感謝の気持ちで始めたものだという。
「うちは下館の方々にお世話になってここまできました。そしてこれからもお世話になるのだから、一生懸命にお年寄りやお子さんたちのお世話をしていく。皆さんに喜ばれながら商売の方も盛んになっていけば、こんなにありがたいことはないと思っています」
関さんは昭和50(1975)年に下館商工会議所会頭に就任して以来、これまで16期46年にわたり会頭を務め、地域産業界でリーダーシップを発揮してきた。また令和元(2019)年には、優れた会社経営と関彰育英会の設立や社会福祉活動の支援などの社会貢献が認められ、「第18回渋沢栄一賞」を受賞している。時代の変化の中に活路を見いだしていく企業姿勢だけでなく、地域に密着し、その発展に貢献していることが、関彰商事の強みといえるだろう。
プロフィール
社名:関彰商事株式会社(せきしょうしょうじ)
所在地:茨城県筑西市一本松1755-2
電話:0296-24-3121
代表者:関 正夫 代表取締役会長
創業:明治41(1908)年
従業員:2350人(グループ全体)
【下館商工会議所】
※月刊石垣2021年7月号に掲載された記事です。
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