100年経営に極意あり!長寿企業の秘密 伝統的な手法を守り続け販売に新たな工夫を取り入れていく

奥井海生堂

福井県敦賀市

重厚感のあるモダンな外観が目を引く本社社屋

精進料理に使う昆布を提供

和食の味の基本となる出汁(だし)は、関東では主にかつお節だが、関西では昆布が主に使われる。江戸時代、この昆布は北前船で北海道から日本海を経て運ばれており、その中継港の一つだった敦賀は、古くから昆布の加工業が盛んだった。明治4(1871)年、士族だった奥井半吾は廃藩置県により禄(ろく)を失い、敦賀に大量に荷揚げされていた昆布を扱う問屋「奥井海生堂」を創業した。

「このころは北前船が隆盛を誇っていた時期で、敦賀の港もにぎわっていました。しかし、初代は士族の出でしたから、武士の商法で苦労したようです。明治中期に二代目の辰之助が社長になると、敦賀から60㎞ほどのところにある曹洞宗の大本山永平寺から昆布の御用をいただくようになり、それからは経営が安定していきました。以来、永平寺さんには120年ほど出入りさせていただいています」と、四代目社長の奥井隆さんは言う。殺生が許されていない仏教の精進料理に昆布は欠かせない食材で、永平寺では出汁を取るだけではなく、煮物や揚げ物などにも多く使われているという。

また、大正から昭和にかけては、芸術家であり美食家としても知られる北大路魯山人が運営していた美食倶楽部や京都の高級料亭にも昆布を納めるようになり、昆布問屋として発展していった。

「私の父である三代目の重雄の代には、永平寺と同じ曹洞宗の大本山で、横浜にある総持(そうじ)寺ともご縁ができて昆布を納めるようになりました。家業も安定しており、父のころは家にお手伝いさんが多くいて、裕福な生活をしていました」

消えゆく業界にはさせない

昭和20(1945)年、空襲で敦賀のまちは壊滅的な打撃を受けた。まちの中心部にある奥井海生堂の店も、昆布を保存する蔵も、全て焼かれて何も残らなかった。

「この空襲で天国から地獄へ落ちたと父は言っていました。それでも、まちの昆布問屋の方々と協力して、敦賀の復興のお手伝いをするとともに、昆布業界を立て直していきました。戦後の景気回復とともに商売も落ち着いてきましたが、今度は昆布業界にとって大きな問題が起こり、大変な苦労をしました」

日本が高度経済成長の時代に入ると人々の生活のリズムも変わり、家庭では料理に簡便さが求められるようになった。そのため、出汁を取るのに時間と手間がかかる昆布は使われなくなり、インスタント調味料がもてはやされるようになったのだ。その影響で全国の多くの昆布業者が廃業していった。奥井さんが東京の大学を卒業し、家業を継ぐため家に戻ってきたときには、こんなことがあった。

「うちに記録映画の取材が来たので、父に言われて案内をしたのですが、取材班の人に何の取材なのか聞いたところ、なんと、消えゆく業界を記録しているのだというのです。当時、昆布業界は消えゆくものと思われていたのです。それで私は、消えゆく業界にさせるものかと決心したのです。弊社は永平寺と総持寺、京都の料亭といったお得意さまがいたおかげで、生き延びてこられました」

海外の一流料理人たちも注目

時代は変わり、インスタントではない本物の味を求める人も増えてきた。東京の料理店でも、最近は京料理の影響を受け、出汁に昆布を使う店が増えているという。

「最近は海外の料理人も注目しています。2006年にパリで開催された日本の食文化セミナーで私が昆布を紹介する講演をしたところ、今ではミシュランの星を持つレストランのほぼ100%が、何らかの形で昆布や海藻を使っています。また、米国の有名料理学校でも講義をするようになり、授業で使う昆布も提供しています」

奥井海生堂は創業150年を迎えた今でも新たなことに挑戦し続けているが、これだけは変えてはいけないというものがある。それが「蔵囲(くらがこい)昆布」である。これは、昆布を1年以上、蔵で寝かせて熟成させる、敦賀の伝統的な手法である。奥井海生堂では平成4(1992)年に専用蔵をつくり、温度と湿度が厳密に管理された蔵の中で、何十トンという昆布を保存している。

「蔵囲昆布のすごさは、寝かせる年月が長くなるにつれ、取れる出汁の色がだんだん濃くなり、うま味が複雑になることです。仕入れた昆布を何年も寝かせておくことはお金を寝かせておくのと同じことで、経営効率は悪いですが、この伝統はこれからも守っていきます」と奥井さんは力を込める。

その一方で、昆布を詰め合わせるギフト箱は、明るいデザインの越前和紙を使用して、昆布を手軽で楽しい食材として若い人にもアピールしている。「古い伝統は守らないといけませんが、それを新しいやり方で販売していくことが非常に大事だと思います」

プロフィール

社名:株式会社奥井海生堂(おくいかいせいどう)

所在地:福井県敦賀市金ヶ崎町9-10

電話:0770-22-0493

HP:https://www.konbu.co.jp/

代表者:奥井 隆 代表取締役

創業:明治4(1871)年

従業員:60人

※月刊石垣2021年6月号に掲載された記事です。

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