中小企業の後継者不足は日本が喫緊に解決しなければならない課題の一つである。後継者がいない場合の事業承継にはM&Aや第三者承継があるが、それには社名の存続、従業員の雇用や待遇などさまざまな不安があることも事実だ。コロナ禍も追い打ちをかける。そこで、譲渡する企業も譲渡された企業も満足するwin-winの関係を築いた第三者承継の事例を紹介していきたい。
後継者不在の異業種をM&A 地域の雇用と創業者の思い引き継ぐ
東北6県に営業拠点を構え、車両600台以上を保有する青森県有数の運送会社であるサンライズ産業は、後継者不在の異業種をM&Aでグループ化している。それは単に自社の経営基盤を強化するだけでなく、地域の雇用と創業者の意思を引き継ぎたいという同社の強い思いがある。その思いは、公務員から家業を継いだ二代目である社長の経験に基づいている。
異なる業種をグループ化し経営の柱を複数に
「M&Aはよく結婚に例えられますが、会社を引き継ぐというのは、創業者の意思、社員の生活、お客さまを引き継ぐことなんです」
サンライズ産業代表取締役の工藤博文さんは親しみやすい笑顔で話す。青森県弘前市に本社を置き、東北6県に営業拠点を構え、主軸の運送業では車両600台以上を保有する。青森市浪岡には約5000坪の敷地に倉庫5棟の物流拠点を持ち、運送業のほかに不動産、ガソリンスタンド、尿素水製造なども展開し、グループ全体の売り上げは年間130億円、従業員は700人以上である。
同社は2年ほど前から後継者不在の異業種を合併買収しており、ガラス施工、建設資材卸売、住宅建設、仮設事務所のレンタル・管工機材卸売など青森県内外6社をグループ化した。
「運送屋だけのときは油代(燃料費)で苦しんだから、またそうなるのは嫌なんです。それに運送屋は従業員が事故に遭う危険もある。経営の柱はいくつもあった方がいいですから」
工藤さんは、異業種をM&Aする理由をこう語る。実際に、異業種をグループ化することによるシナジー効果もある。住宅建設会社がグループ内の建設資材会社から仕入れることによって、資材費は安価になり、資材会社にとっては売り上げになる。
しかし、工藤さんが後継者不在の会社をM&Aするのは、単に自社の経営のためだけではない。自身の経験による深い思いがある。
公務員退職後継いだ家業 従業員の要望に応じる
工藤さんは同社の二代目で社長である。専業農家だった父が運送業を始めたのは1986年。息子の工藤さんが学生時代に携わったアルバイトがきっかけだった。
工藤さんは高校卒業後、地元の弘前大学へ進学した。勉学に励みながら、NTT(当時の電電公社)の電話帳配達のアルバイトもした。数年後、電話帳の配達品質が高いと認められ、9万冊もの大仕事を任されることになった。
躊躇(ちゅうちょ)する工藤さんに父は「9万冊でも、1冊ずつ配れば必ず完了できる」と背中を押した。こうして父が農業と運送業の兼業となり、工藤さんは仕事を手伝った。貨物車5台からのスタートだった。
工藤さんは大学卒業後、弘前市役所に就職。生活保護などの社会福祉、商工業振興、労働問題など地域社会を担う現場を担当し、25年間勤めたが、2001年、父が亡くなったのを機に退職した。
亡くなる前に父は農業と運送業のほかにアパートも経営しており、工藤さんは一時、運送業を畳もうかと考えた。しかし、従業員の運転手から「俺たちはわっぱ(ハンドル)しか握れない。会社を続けてほしい」と懇願された。工藤さんは運転手の生活を守るため、運送業を続けることを決意した。
倒産危機の同業者を引き継ぎ気付けば自社も……
48歳で会社を継いだ工藤さんは当初、自らもトラックのハンドルを握って朝から晩まで働いた。当時、運送業界は価格競争が激しく、下請けの小規模な会社はどこも経営が厳しかった。
工藤さんは倒産する同業者がいると聞けば、そこの経営者に「うちが引き継ぎましょうか?」と声を掛け、仕事と車両と従業員を引き継いだ。いわば自前のM&Aである。それは前職の仕事を通じ、地域のために雇用がいかに大事かを知っていたからだった。市役所時代には、倒産した会社の元従業員の就職活動を手伝い、収入が途絶えた人に生活保護申請の支援をしたこともあった。
工藤さんが初めて運送会社を譲り受けたのは15年ほど前。その後ほぼ毎年、青森や秋田、岩手の運送会社を立て続けに吸収合併した。こうして経営を拡大し、04年の社長就任時に6億円だった売り上げが08年には23億円、13年には50億円になった。
しかし「地域雇用のために」と思ってやっていたことが、大きな負担になっていた。気付けば車両は800台を超え、その上に燃料価格が高騰し、赤字経営が続いた。「もう、ダメかもしれない……」。工藤さんは倒産を覚悟し、眠れない日々が続く。
工藤さんは「車両も仕事も減らすしかない」と考えた。採算が合わない仕事を断り、運転手は仕事上問題のある人から辞めてもらった。運転手は約140人減、車両は800台を630台に減らした。
それまではどんぶり勘定のワンマン社長で、社員に決算書を見せたこともなかった。しかし「一人で悩むより、皆で知恵を出し合った方が良い」と考え、社員にどうすればいいかを相談するようになった。中小機構のハンズオン支援(専門家派遣)に申し込み、コンサルタントにも来てもらった。新たなソフトウエアを導入し「数字の見える化」も図った。
こうして社長の独断経営から、経営計画書を作成して計画的に進める経営へと脱却した。倒産危機から約1年後、経営は持ち直した。
地域の雇用を守り創業者の思いをつなぐ
同社の経営が安定した2年前のある日、東京の日本M&Aセンターから「弘前のガラス施工業者に後継者がおらず、譲渡を希望している」と連絡が来た。
「弘前の会社ならばやらないといけない。雇用の問題も地域経済の問題もある」。工藤さんは市役所のときの経験を再び思い出した。これを皮切りに、2年間で異業種6社をグループ化した。
このうち、福島県郡山市の建設資材卸売「株式会社ワタヤス」は創業90年で、ビルや駐車場など資産がある上、創業者の名前を冠した「渡邉安衛育英会」も運営していた。工藤さんは創業者の思いを感じ、育英会事業も引き継いだ。同社について工藤さんは「若い社員が50人もいたから、将来性を感じた」という。
ところが当初、工藤さんがワタヤスの社員たちに「現在の売り上げ35億円を10年後には100億円にしよう」と目標を話すと、彼らから「できません」「自信がないです」という答えが返ってきた。工藤さんは「とにかくやってみよう。やり方が分からなければ教えるから」と、売り上げを伸ばす方法を具体的に話し合う会議を毎月開いた。数カ月後、社員たちは「100億円に向かって反撃だ!」という標語を掲げるほど前向きになった。
「合併買収される会社には、数字に表れない問題が必ずあって、どんなに社員が若くても希望を持っていないことが多い。だから動機付けをして、その会社の社員をいかに磨き上げていくかが重要だ。それは合併買収した人の責任です。私は自社が倒産の危機にあったとき、一人で悩まず社員と一緒に悩んで、みんなで良くしようと気付いた。合併買収された会社もそういう気持ちにならなければ」
工藤さんには次々にM&Aの案件が提案されており、現在も検討中だ。将来、グループ全体の売り上げ目標を1000億円にしたいという。目標額を聞いた人から「無理だ」と言われると、工藤さんは自社の創業時に父が言った「1冊ずつ配れば必ず完了できる」の言葉を思い出す。
「事業は元の資本で次の資本をつくり、積み上げていくことが大事です。そのために必要なのは一人の力ではなく、みんなの力です」
三代目となる長男が3年前に入社した。工藤さんは「自分の代で経済的な土台と人的な土台をつくり、息子に引き継ぎたい」と将来のビジョンを語った。
会社データ
社名:サンライズ産業株式会社
所在地:青森県弘前市大字賀田1丁目7-1
電話:0172-82-3316
HP:https://www.sunrisesangyo.com/
代表者:工藤博文 代表取締役
従業員:743人(グループ会社を含む)
【弘前商工会議所】
※月刊石垣2021年10月号に掲載された記事です。
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