商工会議所の始まりを伝える旧藤山家住宅日本家
渋沢栄一の推薦を受けて倒産寸前の大日本製糖(現・大日本明治製糖)をわずか2年で建て直す実業家として活躍した藤山雷太は、商業会議所連合会(後の日本商工会議所)の初代会頭を務めていたことでも知られています。
名古屋市の瑞雲山龍興寺(ずいうんざんりょうこうじ)には、藤山大邸宅の一部である日本家部分(書院と楼閣)が移築されています。醍醐寺三宝院など日本古来の建造物と昭和初期の伝統的な住宅様式とを融合させた独自の建築様式で、愛知県の指定文化財にもなっています。邸宅は、今なお龍興寺の本堂として丁寧に手入れされ、当時の姿を残しています。
商工会議所の歴史
1878(明治11)年、江戸時代に欧米列強と締結した「貿易に関する不平等条約」の撤廃を目的に、東京、大阪、神戸の3カ所に商法会議所として設立されたのが商工会議所の始まりです。92年には、15の商業会議所がその連合体として商業会議所連合会(現在の日本商工会議所)を結成。今日では商工会議所法に基づく認可法人の位置付けとなっています。
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