長期化する原油価格の高騰やロシアのウクライナ侵攻、まだ収束を見ないコロナ禍。2023年はどんな年になるのか。本紙コラム「石垣」執筆者に、今後の日本と世界の展望について聞いた。
デジタル時代のユートピアは何処に
宇津井 輝史/コラムニスト
ポール・ゴーギャンはタヒチに逃げたのではない。ヨーロッパを捨てたのである。ポリネシアで描いた大作「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」は、19世紀ヨーロッパ文明の陰画としてのユートピアである。
700万年前に誕生した初期人類の中から、現生人類(ホモ・サピエンス)が登場するのは20万年前。25種ほどいた人類種は私たち以外すべて絶滅した。
言語をつくり、高度で複雑な社会を形成したサピエンスは独自の進化を遂げ、世界人口は80億人を超えた。繁殖力は旺盛だが、二足歩行する私たちの身体はほぼ発生当時のままである。羽根を生やすなど生体改造にかかる時間を技術文明で省略した。
私たちは動物種の一つに過ぎない。生物として何ら特別の存在ではない人間を特異な存在にしたのは、科学的な発見の成果を技術と結び付けたお陰である。現時点でその象徴を人工知能(AI)としよう。AIは産業や生活の隅々に組み込まれ、私たちは日々その恩恵に浴している。では、AIなどデジタル技術によってユートピアを築く大きな思想、デジタル時代の人間のあり方を問う哲学が人類にあるだろうか。
米国は2040年に火星に人類を送る計画である。その足掛かりとして2025年に月面基地を建設する。宇宙フロンティアには内外の企業が続々参入する。宇宙空間での実証実験は地球上の課題解決に役立つが、宇宙に居住する欲望は不可能に挑戦する人類特有の本能に由来する。
いまデジタル・ユートピアを目指す人々は、生命もデジタルな形態であるべきと考える。脳を知能マシンに置き換えて人類が宇宙に広がる技術は可能だが、その前に、宇宙からふりかえる美しき地球こそユートピアにせねばなるまい。
新しい国際秩序の構築へ外交の布石を
神田 玲子/NIRA総合研究開発機構 理事
「日中両国民の間には共通点より相違点の方が多いから、相互理解は想像以上に難しく、『努力と忍耐』が求められる」。これが、約50年前に外務大臣として日中国交正常化に尽力した大平正芳元総理の認識であった。
その後、中国は市場経済化に成功し、世界は「一つの市場」に収れんするかと甘い期待が生まれた。しかし、所得格差の拡大、環境の悪化などの成長の負荷に先進国は対処できず、さらにロシアによるウクライナ侵攻が致命的な打撃となり「一つの市場」は幻になりつつある。
今や、中国にとって友好国であったロシアの国際的な信用は失墜し、西側からの圧力を最小限にとどめるために独自の経済圏の成立を急ぐ中国。これに対し、中国の覇権を阻止しようと、西側からの技術移転や情報漏えいを防ごうとする米国。次第に、世界は米国と中国という二つの国を軸にした経済圏に色分けされていく。
中国政治の専門家である益尾知佐子氏は、中国が狙う経済覇権以外の意図に注目する。中央アジア地域のテロ組織に関する情報を共有化し、社会監視インフラやデータ安全保障の分野で加盟国との協力を視野に入れていると。日本は、中国や中国が関心を持つ諸国と地理的・経済的に近い。また、自由や人間の尊重といったリベラリズム思想を基礎にしない国とも理解し合える文化的背景を持つ。こうした優位性を生かし、新しい国際秩序の構築のために積極的な外交を展開する布石を打つ必要がある。そのためには、むき出しのハードパワー一辺倒の議論ではなく、グローバルな安定と繁栄を目指して、途上国からも支持される魅力あるビジョンを掲げなければならない。
歴史的な視座を踏まえた新たな「努力と忍耐」に立つ日本の外交力が問われる一年が始まる。
「足るを知る」社会を
丁野 朗/観光未来プランナー 文化庁日本遺産審査評価委員
地球温暖化の深刻化とともに、2022年は、GXの用語をよく耳にするようになった。GX(グリーントランスフォーション)とは、一言で言えば、温室効果ガスの排出原因となっている化石燃料などから、脱炭素ガスや太陽光・風力発電といった再生可能エネルギーに転換して、経済社会システム全体の変革を目指すことを指している。
岸田総理が、新しい資本主義の実行計画案として示した四つの重点投資分野の一つとしてGXを挙げたことから、さらに注目を集めるようになった。
これに呼応して、経済産業省でもGXに積極的に取り組む「企業群」が、一体として経済社会システム全体の変革のための議論と新たな市場創造の実践を行う場として「GXリーグ」を設立、参加を呼び掛けている。
大規模な水害や森林火災など、温暖化が原因とみられる自然災害による経済損失が無視できないレベルにまで拡大する中、こうした取り組みは喫緊の課題といえる。
他方、地球温暖化は、わずか20数カ国の先進国が、18世紀の産業革命以後、膨大な化石燃料を消費したことに起因している。従って、地球温暖化の阻止に取り組む責任は全ての国にあるが、その責任の重さは国によって差があるという「差異ある責任」論にも一理ある。
この問題を考えるとき、老子の「足るを知る(知足)」を思い浮かべる。
満足することを知っている者は精神的に豊かであり、それでいて努力する者にこそ本当の志は宿っている、という意味であろう。
冒頭のGXは、現下の経済社会活動にとって重要な課題であるが、先進国に住む私たちは、もう一つの「足るを知る」精神と足元からの暮らしの見直しが求められているのではないだろうか。
G7議長国の日本に期待
中村 恒夫/時事総合研究所 客員研究員
農林水産物・食品の輸出額が、2022年に2年続けて1兆円の大台を突破した。コロナ禍からの反動による需要増や円安効果があったとしても「日本産」が評価されたと素直に受け止めたい。一方で国内に輸入される飼料用穀物などは、価格上昇に円安の悪影響が加わり、食品産業だけでなく、家計にも打撃となっている。原油価格の高止まりを背景にエネルギー関連の費用も増えたままだ。
ロシアのウクライナ侵攻が一連の価格上昇の引き金になったのは確かだ。また、経済官庁幹部が指摘するように「コモディティが投資の対象になっている」という側面もあろう。一部の国際金融機関は商品価格が急反落すると予測しているが、乱高下は好ましくはない。しかし産出国を巡る政情不安が同じような価格変動をもたらす危険性は常にあると考えるべきだろう。
日本は今年、主要国首脳会議(G7サミット)の議長国になった。サミットはもともと、オイルショックがもたらした世界的な経済危機に取り組むために発足した経緯がある。1980年のベネチア・サミットでは「石油消費と経済成長のリンクを断つ」との宣言が打ち出され、代替エネルギーの開発が加速される契機になったとされる。
昨年開催のエルマウ・サミットは、世界的な食料不足を回避するため「食料安全保障に関する声明」を採択した。食料品だけでなく、1次産品の価格変動は、わが国のような消費国にも、生産する途上国にも予期せぬ結果をもたらしかねない。この変動が世界経済全体に与える影響を最小限にとどめられるよう、何らかの国際的な枠組みを構築できないだろうか。日本政府には、石油危機を克服した経験を踏まえ、G7議長国として、強い指導力を発揮してもらいたい。
世界の民主主義は専制主義に勝てるだろうか?
中山 文麿/政治経済社会研究所代表
民主主義の旗手であった米国は2年前の連邦議会襲撃事件やトランプ前大統領が大統領選の敗北を受け入れなかったことなどによってその評価を著しく棄損した。また、世界の民主主義国家の数は60カ国、非民主主義国家の数は119カ国と圧倒的に民主主義国家の数が少なく減少中である。
一方、専制主義国家の雄の中国は国家資本主義によって高い経済成長を実現・維持し、国中に張り巡らした監視カメラによって中国共産党に都合良く人民をコントロールしている。このような政治体制はアフリカなどの強権的な指導者にとって極めて魅力的に映っている。
民主主義というのは往々にして衆愚政治に陥りやすかったり、ナショナリズムや民族主義にあおられやすい一面がある。また、ハイパーインフレなどによって経済状況が著しく悪化した場合、国の基盤をなす中間層が疲弊し、デマゴーグに長けた権威主義者に付け入る隙を与えかねない。
戦前のドイツのヒトラー総統は第1次世界大戦の戦後賠償に苦しんだドイツ国民の怒りを巧みに利用して、ワイマール共和国の民主主義を破壊した。英国の元首相のチャーチル氏は「民主主義は最悪の政治形態である」と評した。ただ、それまで試されてきたどのような政治制度よりもましとも付け加えていた。
戦後の冷戦時代は資本主義対共産主義の間の戦いであった。これからの新冷戦時代の戦いは民主主義対独裁・専制主義との争いになる。この戦いに勝つためには、単に民主主義の理想とか理念を掲げるだけでなく、その政治の仕組みや手続きにおいて権力者が介入できないようにしておかなければならない。お任せ民主主義でなく、政治に関心を寄せ為政者を絶えず監視し続けることが肝要だ。
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