今年3月に米国による中国製品への追加関税措置と中国の報復措置から始まった「米中貿易戦争」が、拡大の様相を見せている。またここ数年、中国は経済に関して「一帯一路」や「AIIB」(アジアインフラ投資銀行)などを通して周辺国への影響力を強めており、日本にとって見過ごせない問題となっている。中国は何を考え、日本はどう対応していくべきなのか? アジアの経済動向に詳しく、本誌の連載『アジアの風』でもおなじみの後藤康浩氏に解説していただく。
後藤康浩
亜細亜大学 都市創造学部教授
今回の米中貿易戦争には二つの大きな要素がある
─米国が中国製品に対する追加関税措置を行うと、すぐに中国側も報復措置を行うなど、米中貿易戦争は一向に収まる気配がありません。今後の展開についてどのように予測されていますか。
後藤康浩さん(以下、後藤) 今回の米中貿易戦争には二つの大きな要素があり、今後の展開はその二つがどうなるかで変わってきます。一つは米国の対中貿易赤字が膨らみ続ける貿易不均衡の問題。もう一つは産業構造的な問題で、米国の多くの工場が中国やほかの新興国に移転したことで米国の製造業が空洞化したため、トランプ大統領が以前の状態に戻そうとしていることです。
貿易不均衡の問題に関しては、お互いに妥協の余地があり、近いうちに落とし所が見つかる可能性は十分にあるでしょう。しかし、産業構造的な問題については妥協の余地がありません。実際にある程度の数の工場が中国から米国に戻ってくる実績が積み上がらない限り、この問題は収まらないものと思われます。
─それに伴い、これからどのようなことが起こると予想されるでしょうか。
後藤 今回のケースによく似ているのが、1985年9月のプラザ合意(主要5カ国の財務相・中央銀行総裁による為替レート安定化についての合意)です。これで円高が進み、多くの日本企業が海外の工場で生産を始めました。つまりプラザ合意が日本の工場を海外に押し出したわけですが、今回も米国側の圧力で中国の工場が海外に流出するという流れが起こるわけです。これによりアジアにおける製造業の再配置が急激に進むと私は考えます。これが本質的なポイントだと思います。
─それは日本の産業にとってどのような影響があるでしょうか。
後藤 中国にある日本企業の生産拠点が日本に回帰する流れは部分的には起きると思いますが、大部分は東南アジアや南アジアの国々に移転します。それに伴い日本企業は新たな戦略を考えなければなりませんし、人的な面や経済的な面でも新しい投資を迫られます。もちろん中国に留まる工場もあれば、これから中国に進出していく製造業もあるでしょう。全体的には中国の競争力が弱まり、東南アジアと南アジアへの追い風は非常に強まります。日本企業はその追い風をうまく利用していくことが重要になります。
─話は中国からそれますが、新たな進出先として有望な東南アジアの国はどこになりますか。
後藤 ASEAN(東南アジア諸国連合)各国はそれぞれ発展段階やコスト構造、安定性が異なりますが、その中で有望なのはMVPだと私はよく言っています。Mはミャンマー、Vはベトナム、Pはフィリピン。この3カ国は人口規模も大きいし、近年の発展が著しく、工業用地などさまざまな面でもまだ余裕があります。特にベトナムは海に面していて外洋に出やすいので物流面で有利で、今、米中貿易戦争の追い風を受けています。
中国はできるだけ早く結論を出す必要がある
─貿易不均衡の問題に関しては妥協の余地があるということでしたが、その妥協点はどこにあると考えていますか。
後藤 米中貿易戦争には二つの要素があると最初に言いましたが、実は三点目の要素があります。それはハイテク、特に半導体を巡る米中摩擦です。半導体生産の主導権を誰が握るかが、米中のもう一つの対立構造なのです。
中国は半導体の自国生産を推進したため、米国製半導体をあまり買わなくなりました。半導体はスパコンや軍事技術にも関係してくるため、中国が国家戦略で自国の半導体産業を育成していることに米国は警戒しており、それを阻止するために貿易戦争を仕掛けている面もあります。
そのため、この貿易戦争の終結策として一番可能性があるのが、中国側が譲歩して米国製半導体に一定のシェアを渡し、過去に技術移転したものには技術特許料を支払うこと。それが米国の考え方にマッチするのです。
─そう考えると、貿易戦争の解決は難しそうですが……。
後藤 それでも中国側は折れると思います。米国が中国から輸入しているのは半導体だけではなく、日用雑貨類、衣料品、家電製品など多岐にわたるので、貿易戦争が続けばそれらの産業が大打撃を受け、中国の庶民たちが苦しむことになりますから。それに、もしその間に東南アジアの製品が米国で中国のシェアを奪ってしまったら、取り戻すことは難しくなります。だからできるだけ早く結論を出す必要があるわけです。
─このところ中国は日本に接近を図っていますが、そこにはどのような意図があるのでしょう。
後藤 中国は現実的な外交に転じつつあり、態度を少し軟化しています。その理由の一つが、南シナ海問題で東南アジアの国々が中国の予想外な反発をしたことです。強硬策で外交は突破できず、アジアにおけるリーダーの地位にも就けなくなる。そこで、南シナ海と直接関係のない日本に近づくことで、日本が南シナ海問題でフィリピンやベトナムをたきつけたりしないようにしているのです。実際、日本と直接的な関係のある東シナ海では、中国は最近、あまり活発的な活動を見せていません。
もう一つの理由としては、習近平政権にとっての最重要外交政策である「一帯一路」構想に、このところ周辺各国から批判や疑問が出てきていることから、推進の追い風にするため日本を呼び込もうとしていることも挙げられます。
一帯一路は新しい意味での地域再生、活性化策である
─今お話に出てきた一帯一路についてご説明いただけますか。
後藤 一帯一路というのは、かつて東方と西方を結ぶ交易ルートであったシルクロードを、陸と海の両面で21世紀的に再生させようというものです。もちろん、すでにこの地域に物流網はありますが、それをさらに太いパイプにすることが目的の一つです。そのため、古代のシルクロードは起点から終点に向けて荷物を運ぶことが重要でしたが、一帯一路の場合は起点と終点の途中を通る国々に荷物を運ぶことも重要になっています。これにより、陸であれば中央アジア、そしてコーカサスの国々を抜けて東欧に入っていき、その沿線が経済的に活性化していきます。そうすればそれらの地域で需要や市場が拡大し、インフラ投資も発生し、中国に新たなビジネスチャンスが生まれます。一帯一路は単にサプライチェーンを伸ばすだけでなく、新しい意味での地域再生、活性化策といっていいと思います。
─一方で、これは中国による新たな植民地主義ではないかという声もあります。どういった部分が疑問視されているのでしょうか。
後藤 中国政府はこれがグローバルなプロジェクトで中立的なものだと言っていますが、計画の端々に中国のエゴ、中国に有利な政策が見え隠れしているのが明らかだからです。海の一帯一路に関しても、軍事的な意図があったのは確かでしょう。それが、対象国から反発を受ける原因になっているのだと思います。
─日本は一帯一路への参加を表明していませんが、もし参加した場合、日本にとってどのようなメリットがあるのでしょうか。
後藤 一帯一路はある意味ではプラットフォーム(ビジネスを展開する土台となる場)ともいえます。プラットフォームを否定しても意味がないので、日本はそれにうまく乗っかっていけば、中国でも日本企業は製品をたくさんつくっているわけですから、ビジネス上のメリットが生まれてきます。一帯一路に日本が戦略的に乗り込み、ASEAN各国も周辺の国々も同じような形で入ってくれば、国際化が進み、「中国の一帯一路」から「アジアの一帯一路」に変えていくことも可能だと思います。そして、先程申し上げた製造業の再配置が進み、一帯一路と組み合わせれば、さらなる相乗効果が出てくるでしょう。また、一帯一路を日本全体で考えるのではなく、各自治体が地方対外経済政策としてうまく利用していくという方法もあり得ると思います。
AIIBは成り立ちが不透明日本は参加しなくてもいい
─一帯一路と不可分な関係と見られているのが、中国主導で発足したAIIB(アジアインフラ投資銀行)ですが、こちらについてはどのように見ていますか。
後藤 国際開発金融機関として、アジアにはすでに日本主導で設立したADB(アジア開発銀行)があり、インフラ整備やエネルギー開発などに利用されてきました。その後、アジアの国々の成長が拡大し、第二のインフラ銀行が必要だということで、中国がAIIBを提唱しました。その意味では必然性があるものといえますが、中国としては、自国が経済的に成長したことで、日本が主導するADBではなく、自分たち主導による国際金融機関を持ちたいというのが大きな理由だと思います。
─日本は今のところまだ参加せず、参加を検討している段階ですが、その理由は何でしょう。
後藤 まず、国際金融機関としての成り立ちが不透明です。出資比率や人事権、本部の設置場所など、すべて中国が決めている。総裁は中国人で、本部の場所も北京です。日本がADBを設立した際、総裁のボジションは日本が取りましたが、本部はフィリピンに置きました。中国にはそういう配慮がありませんでした。国際金融機関は高いコンプライアンスが求められるにもかかわらず、運営に透明性がなく、融資先や案件の選別も恣意的に行われ、環境破壊や人権問題がからんだような案件にも投資してしまうのではないかという懸念があるからです。
これに日本が参加すると、AIIBの不透明な資金調達や融資を日本が支援することになってしまいます。結論としては、日本はAIIBに参加しなくてもいいと私は考えます。日本にはADBがあるので、中国は中国でAIIBをやってくださいというスタンスです。AIIBと一帯一路は決して不可分ではなく、区別して考えればいい。日本は一帯一路には参加し、これをアジアの一帯一路プロジェクトと捉えていく。AIIBに関しては、その意思決定メカニズムの中に日本が影響力を発揮できる仕組みがなければ、参加しなくてもいいと思います。
─東南アジアなどでは一帯一路への拒否反応も出始めましたが、中国は今後どう対応していくと思われますか。
後藤 中国は今後、一帯一路で進められているプロジェクトにおいて中国のカラーを薄めていき、現地のニーズに合ったものに少し変更していくことで、各国の理解を得ようとすると思われます。そこに日本が参加することで、計画を中立化していくことも可能でしょう。その一方で、中国はその国の政治的な部分に影響力を広げ、流れを自分の方に引き戻すこともするのではないかと思います。
経済面において新たな中国との関係ができてくる
─米中貿易戦争はまだ結末が見えませんが、今後、日本の産業は中国との関わりにおいてどのような変化が起こりそうでしょうか。
後藤 これまで日中経済の柱だった自動車、電気・電子機器関連産業が安定期から徐々に低下していくかもしれませんが、新たな別のチャンスも開けています。今まで日本企業、特に中堅・中小企業が中国で製品を販売するのは非常に難しい部分がありましたが、アリババと京東(ジンドン)商城というeコマースの二つの勢力が出てきたことで、これをプラットフォームとして利用すれば、日本企業が中国で販売することが容易になりました。それはネット通販ではなく卸売のようなもので、ネットの仮想店舗と中国全土のリアル店舗の融合の可能性があるのです。これをうまく利用することで、日本の中堅・中小企業は大きなチャンスをつかむことができますし、実際に来年以降、そういう企業が増えると思います。
─今回の米中貿易戦争をきっかけにした製造業の再配置、一帯一路、そしてeコマースを利用した中国での製品販売など、経済面において新たな中国との関係ができてくるわけですね。
後藤 そうです。かつて中国はものをつくって世界に輸出する場所でしたが、今は世界のものを買ってくれる場所になりました。また、以前は日本の企業は大手だけが中国で販売するチャンスを握っていましたが、これからは中堅・中小企業でも自社製品を中国で売れる時代に入ってきています。今後も日中の外交関係が振り子のように揺れて、日中経済に影響を与えることがあるとは思いますが、以前のように振り子が極端に振り切れることはなく、振幅の幅が狭くなっていくと思います。
もう中国に対する古い見方から卒業しなければいけません。もちろん国に対する好き嫌いはあるかもしれませんが、日本の製品を販売していくことに関しては、需要は確実に伸びており、非常に有望なマーケットです。これまで中国進出を考えてこなかった企業も、これからもっと中国に注目していったらいいと思います。
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