山中煎餅本舗
福島県喜多方市
炭火の窯焼きを続ける
福島県会津地方、喜多方ラーメンで有名な喜多方市は、蔵の街として知られ、古くから日本酒やみそ、しょうゆなどの醸造業が盛んである。山中煎餅本舗は明治33(1900)年にここで創業し、地元の伝統米菓「たまりせんべい」をつくり続けている。
「たまりせんべいは今から100年以上も前に、米どころである会津の米と、蔵でつくるしょうゆが組み合わさってできたものです。昔は各家庭で焼いていましたが、そのうちに商売として始める家が出てきたようです。うちは創業についての情報が何も残っていなくて、昔の店のしおりに明治33年創業と書いてあったということくらいしか分かっていないんです。私の父である先代は60歳前で亡くなり、私ももともと家業を継ぐつもりがなかったので、昔の話を父から詳しく聞くこともありませんでした」と、五代目で店主の渡部ひとみさんは言う。
かつては店舗を持たず、工場でつくったせいべいを卸していた。ずっと炭火の窯場でせんべいを焼いていたが、50年ほど前に機械焼きをするようになり、大量に生産しては関東に卸していた。
「機械焼きにした最初の10年ほどは商売がうまくいっていたようですが、そのうちにうまくいかなくなり、工場の場所も移して、また炭火焼きに戻りました。ただ、その工場ではせんべいを焼く窯がなかったので、しちりんで1枚ずつ手焼きしていました。でも、やはりそれでは数が焼けないので、窯場を復活させて、それからはずっと炭火の窯焼きを続けています」
主婦と店主の二足のわらじ
今から26年前に、蔵が並ぶ商店街に今の店舗を構えた。もともとは造り酒屋の店蔵だった建物を改装した。渡部さんが子どもだった頃は、家と工場は別の場所にあったが、幼い頃から職人たちが工場でせんべいを焼くところをよく見ていたという。
「私は4人兄弟の3番目で、店を継ぐつもりもなかったんですが、4人の中でせんべいづくりに一番興味を持っていました。中学生のときは工場を手伝い、高校生になるとお店を手伝ったりして、継ぐつもりはなくても常に興味はあったんだと思います」と渡部さんは振り返る。
渡部さんは高校卒業後に喜多方を離れ、結婚してからは千葉県で夫と二人の子どもと暮らしていた。しかし、2009年に先代が亡くなり、2年ほど長男が家業を続けたがうまくいかず、渡部さんが店を継ぐことになった。「せんべいづくりは子どもの頃から好きだったし、主人も喜多方の人なので、いずれはこっちに戻ってくる考えもありました。それなら、私だけでも先に喜多方に帰ってきて店を継いでもいいかなと思ったんです」
とはいえ、下の子がまだ小学1年生だったことから、最初の6年間は千葉県から店に通う生活が続いた。普段の製造と販売は従業員に任せ、月に3回、下の子を寝かしつけてから車を夜通し走らせて喜多方に向かい、翌日は店で一日働き、その翌日にまた千葉県に戻るという生活だった。
主婦の経験を生かした改革
「車を運転している間は家事をする必要もなく、一人の時間が持てたので、店や新しい商品のことを考えたりして、けっこう充実していましたね。車の中で好きな歌も歌えましたし」と渡部さんは笑う。
渡部さんは店を継ぐと、商品をすべて見直し、パッケージのデザインを工夫したり、土産にちょうどいい新商品を開発したりするなど、「自分が買いたいと思えるものを」という、これまでの主婦の経験を生かした消費者の目線でマイナーチェンジを行っていった。
「店舗も、それまでは閉まっていた戸を全部開け、のれんの色を黒から白に変えて、予約制だったせんべい炭火焼き体験を予約なしでもできるようにして、気軽に入れるようにしました」
その努力が実り、「喜多方たまりせんべい」が全国推奨観光土産品審査会で3年連続入賞したり、せんべい炭火焼き体験が、日本の優れた商品やサービスを国内外に発信する「おもてなしセレクション2018」のサービス・体験部門で受賞したりと、数々の賞を受賞するまでになった。
そして17年、渡部さんは自身の拠点を喜多方に移し、今は店の経営に専念している。「将来的には、店はうちの子どもではなくても、継ぎたい人が継げばいい。そのためにも、誰かに継ぎたいと思ってもらえるような魅力ある店にしていかなければと思っています」
米、しょうゆ、炭火と、昔から変わらぬ製法でつくるたまりせんべいは、ラーメンと並んで、これからも喜多方の味であり続ける。
プロフィール
社名:山中煎餅本舗(やまなかせんべいほんぽ)
所在地:福島県喜多方市字1丁目4643
電話:0241-22-0004
HP:http://www.yamanaka-senbei.com/?mode=pc
代表者:渡部ひとみ 代表
創業:明治33(1900)年
従業員:6人
※月刊石垣2019年9月号に掲載された記事です。
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