農家の副業を事業化
岡山県南西部にあり、古くから織物業や染色業が盛んな井原市は、日本有数のデニム生地の生産地で、「デニムの聖地」としても知られる。タカヤがこの地に誕生したのは、1894(明治27)年、創業者の大塚笹一氏が織物業の「大中(おおなか)屋」を創業したのが始まりである。現在は、電子関連機器の開発・製造を主に行っており、岡本龍二さんが社長を務めている。
「もともとこの辺りは綿の栽培が盛んで、農家が副業として機織り機でほそぼそと織物をつくっていました。それを初代が人を集めて事業として始めたのです。その後、井原全体の織物の品質向上を目指して同業組合を結成し、地域全体の織物業の発展に貢献しました」
1918(大正7)年、初代の出身地の名をとって高屋織物株式会社に改組。東京や神戸などに出張所を開設して国内外に販路を拡大し、オーストラリア、南米、アフリカなどにも進出した。
「デニム生地についても、戦後に進駐軍の着古しをほどいてつくり始めたというのが定説になっていますが、1930(昭和5)年に、天皇陛下が岡山県に行幸された際に、うちのデニム生地を購入されたという証書が残っています」
つまり、日本に初めてデニムが入ってきたのは終戦直後という通説を覆し、少なくとも昭和初期にはすでに井原地域でデニム生地が生産されていたことになる。この証書が発見されたのは2024年のことで、日本のデニムの歴史を見直すきっかけとなる出来事であり、当時の高屋織物の先進性を裏付ける結果ともいえる。
電子機器事業に参入
1956年には2カ月に及ぶ労働争議が起こり、翌年には第一工場が全焼するという大きな危機に見舞われた。経営陣の必死の努力でこれを乗り越えると、会社は大きな変革期を迎えた。66年に電子機器事業に参入し、工場内でトランジスタラジオの製造を開始したのだ。
「当時、工場の機械化で出た余剰人員を活用するため、織物業と同じく手を使う電子機器の組み立てを始めました。最初は、ほとんど仕事がなかったのですが、大手家電メーカーからの仕事が入り、事業が発展してきました。それが現在の事業の基礎となっています」
69年には高屋織物の社名をタカヤに変更すると、グループ会社もそれぞれタカヤ商事、タカヤ整染(後にタカヤ商事に統合)に改称した。そして、繊維部門をタカヤ商事に移し、電子機器部門はタカヤが担うことになった。さらに79年には、シャープと共同出資でシャープタカヤ電子工業(現・エスタカヤ電子工業)を設立して半導体にも参入し、事業は電子機器、繊維、半導体の三本柱となった。
