寺の近くで和菓子を販売
大阪府南部、泉州地域の泉佐野市に、和洋菓子の製造・販売を行うむか新はある。創業したのは1892(明治25)年で、初代・向井新與門(しんよもん)が寺の隣に生菓子店を開いたのが始まりである。後に代々の長男の名前に「新」の字がつけられるようになり、経営者として店の後を継いでいる。
「初代は、隣町で雑穀商を営んでいましたが、人が多い泉佐野に出てきて和菓子屋を始めました。昔は寺や神社に人が集まったので、その近くに店を出す和菓子屋が多かったんです。当時は“むらさめ”や“しぐれ”と呼ばれる泉州の伝統的な蒸し菓子を“村時雨(むらしぐれ)”という名称で販売していました。このお菓子は、今も“むらしぐれ”という名でつくり続けています」と、五代目で現在は会長を務める向井新(あらた)さんは語る。
その後は、開通して間もない南海鉄道の佐野駅(現・南海電鉄の泉佐野駅)の近くに移転。大阪から菓子職人を迎え、「御菓子司 向新本店」として店を続けていった。そして四代目・新重郎さんの時代には、1953年に株式会社向新として法人化し、その2年後には泉佐野駅の駅前商店街に「駅前通り店」を開店した。
「四代目は私の父で、私が5歳のときに事故で亡くなりました。残された母は、3人の子どもを抱えており、店を畳んでも責める人はいなかったはずです。それでも母は、私たちを育てながら店を続けていく道を選びました。当時の社員5人とともに母が必死の思いで店を続けたおかげで、むか新はのれんを守ることができたのです」
店のオープン前に客をつくる
こうして四代目の妻・房栄さんが社長を引き継いだが、当時は女性名義の小切手は信用されず、四代目の弟である啓次郎さんを代表者にした。父の死から18年後の1974年、向井さんは大学を卒業して結婚。その1カ月後に南海電鉄沿線の駅ビルに支店を出した。
「学生時代から店を手伝っていて、卒業したら南海の駅全部に店を出そうと夢見ていました。ところが、店のオープン初日に母は倒れ、3日後に亡くなってしまいました。それでもなんとか営業を続けましたが、お客さんが来ない。1日の売り上げが2千円なんていう日もありました」
そこで向井さんは、経営コンサルティング会社の勉強会に参加し、出店前から宣伝することを学んだ。出店場所を決めたら、店舗の完成前から近所を回り、「むか新です。あそこに店を開きます」と自社の菓子を配る。そうすることで開店前から客をつくるのだ。
