傭兵集団が茶屋に転身
「お伊勢参り」で知られる伊勢神宮には、鎌倉時代の中期にはすでに多くの参拝者が訪れていた。陸路に加え、海路から川をさかのぼって参拝する「舟参宮」も盛んで、その船着き場に角屋と湊屋という二軒の茶屋があったことから、「二軒茶屋」という地名の由来となった。そのうちの一軒が、今も続く二軒茶屋餅角屋本店である。創業は1575(天正3)年ごろで、臼でついた餅でこしあんを包み、きな粉をまぶした二軒茶屋餅を、参拝客に代々振る舞ってきた。現在は、二十一代目の鈴木成宗(なりひろ)さんが当主を務めている。
「1575年は長篠の合戦があった年で、戦国時代末期のころです。うちの初代の前が雑賀衆(さいかしゅう)(紀伊を拠点とした鉄砲傭兵(ようへい)集団)の最後の頭目だったと思われ、戦国の世の終わりを見据え、違う商売を求めて、伊勢神宮の近くの船着き場に拠点を移したのだと思います」
店の裏を流れる勢田川は地域の水運の大動脈で、船着き場で降りてきた参拝客たちが、そこから歩いて伊勢神宮に向かう前に、茶屋で一服した。そこで出されていた甘い餅が「二軒茶屋餅」と呼ばれるようになった。
「当時、米は庶民にとってぜいたく品でしたが、伊勢は藩領ではなく伊勢神宮の神領だったため、年貢の取り立てが比較的緩く、もち米が手に入りやすかったのではないでしょうか」
当時の参拝客たちは、お伊勢参りという一世一代のハレの日の楽しみの一つとして、参拝前と参拝後に、甘い二軒茶屋餅でぜいたくを味わっていたのだろう。
みそ・しょうゆの醸造も開始
「明治に入ると十七代目から養子が続き、十八代目は大阪の米問屋ででっち奉公をしていたところを、十七代目に見込まれて養子に入りました。この人は、いろいろな商売を始めて、中でも大正12年に始めたみそ・しょうゆの醸造は、戦時中に砂糖の供給が止まって餅がつくれなくなったときに、一家の家計を支える商売となりました」
十九代目は鈴木さんの祖父で、実直な人柄だった。体を動かして働くことこそ美徳と考え、設備投資や機械化に目を向けなかった。
「一方で私の父は起業家精神に富み、コカ・コーラという飲み物が海外ではやっていると知ると、それを日本で売りたいと、米国の本社に自分で連絡したほどです。また、スーパーマーケットもやりたかったようですが、祖父に反対されて諦めたそうです」
