1冊のビジネス書が反響を呼んでいる。1日100食限定の飲食店「佰食屋(ひゃくしょくや)」を運営する中村朱美さんによる『売上を、減らそう。』だ。
2012年、京都市内に開店した同店は、1食1000円の国産牛ステーキ丼を1日100食限定で提供する飲食店。そのおいしさとお値打ち感から人気を得て、以後「佰食屋すき焼き専科」「佰食屋肉寿司専科」「佰食屋1/2」など新業態を展開。そのビジネスモデルの時代性と公益性、そして革新性から注目を集めている。
100食売り切り早く家に帰ろう
「夫がつくるステーキ丼がおいしくて、もっと多くの人に食べてもらいたいと思い立って開業しました。その中で大切にしたかったのは〝どんな風に働きたいか〟です。私たちは、お金がたくさん欲しいわけではありません。早く家に帰って、暮らしを楽しみたい。頑張って働いたら、その分給料も上がれば最高だな、そういう働き方を自分たちで構築していきたいと思いました」(中村さん)
席数は14席、営業時間は11時から100食売り切った時点で閉店という営業スタイル。しかも、飲食業界において店舗経営の指標となるFLコスト(食材費と人件費のコスト)は、なんと85~90%という〝超危険水域〟にある。
「税理士には猛反対されました。ですが、この商品がお客さまに支持されると信じていたし、ランチは1000円までという主婦としての金銭感覚を大切にしたかったのです。開業当初は20~30人ほどのご来店で、夫と夫の母との3人で、夜まで営業を続けていた時、〝やめておいたほうがよかったかな〟と思ったこともありました……」(中村さん)
ところが、1人の利用客が投稿したブログをきっかけに事態は好転。来店客が増え始め、女性1人でも入店しやすい雰囲気づくりに注力し、写真映えのする盛り付けなどにも工夫を凝らしてSNSで発信すると、客足は順調に伸びていった。 「SNSによる情報発信の効果は絶大なものでした。ですが、その他にも、大きな力となったことがあります。それが従業員らによるお客さまへの対応でした」(中村さん)
店の近くには韓国人向けの学校があったことから、お客の一部に韓国の人たちがいた。そこで、従業員たちは自発的に韓国語の勉強を始め、あいさつやメニューの説明を丁寧に行った。ブログで紹介してくれたお客も、その中の1人だった。 「お客さまの来店数が伸び悩んでいるときに、従業員の努力によって救われたのです。私たちにとって最重要な顧客は従業員です。従業員がお客さまにきちんと対応してくれることで、お客さまが満足してくれていると思っています」(中村さん)
全ての判断基準は〝楽しい〟かどうか
こうした経験から、経営者として新たな目標が生まれた。それは、従業員の働きやすい環境を整えることだった。中村さんは、個別に希望する出勤時間や勤務日数、勤務曜日を面談で聞き取り、勤務に反映するように調整することをはじめ、短時間正社員の採用、有給休暇の完全消化制度、分割制度の導入など、従業員のライフスタイルに対応する各種の制度を設けていった。
「あくまでも利益は結果です。お金は夢をかなえるための道具に過ぎません」と中村さんは断言する。その夢とは、自分たちが楽しく生きること。顧客においしいと喜んでもらえるメニューを提供し、従業員が生き生きと働ける店をつくることを事業の目的としている。
本来、売上とは事業の目的を実現するための手段。しかし、多くの事業者が手段と目的を履き違え、本来の目的を見失って苦しんでいる。「それはそうだが……」と反論する事業者が多い中、彼女はやり続けている。だからこそ、『売上を、減らそう。』は共感を呼び、多くの読者を獲得しているのだろう。
(商業界・笹井清範)
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