十和田八幡平国立公園内の十和田湖を抱える十和田市は、本州の最北端、青森県南内陸部に位置しています。当市は四季を織りなす十和田湖・奥入瀬・八甲田の豊かな自然につつまれ、先人から受け継いだ開拓精神にはぐくまれた市(まち)です。
市内には176カ所の遺跡が存在し、その大多数が縄文時代のものです。また、農産物が豊富で、米をはじめ長いも・ニンニク・ごぼう・ねぎなどの代表的な産地です。
春には観桜会や桜流鏑馬(やぶさめ)、夏にはまちなかでの花火大会、全国高校相撲大会・全日本大学相撲大会、秋には自作山車や太鼓車の運行、冬には官庁街通りでのイルミネーションなど、四季を通してさまざまなイベントやまつりが数多く開催されます。中でも官庁街通りの「アートを通した新しい体験を提供する開かれた施設」である十和田市現代美術館は、週末になると多くの来訪者でにぎわっています。
このような特徴を持つ当市は、今から約160年前に南部藩の新渡戸傳(にとべつとう)・十次郎親子による開拓によってできた市(まち)です。それは不毛の大地に人口河川「稲生川(いなおいがわ)」(農林水産省「疎水100選」)の上水に成功した安政6(1859)年から始まり、そこで傳の長男十次郎が行った町割は、近代都市計画のルーツと呼ばれ、まちづくりの手本となっています。
その後、明治17(1884)年には陸軍の軍馬補充部(育成馬飼育頭数が日本一)が設置され飛躍的に発展しました。さらに昭和12(1937)年から始まった国営開墾は、昭和41(1966)年3月まで続き、基幹産業である農業・畜産業・建設業の発展に大きく貢献し、当市の礎となりました。平成17年1月には、お隣の十和田湖町と合併したことで、観光業が基幹産業に加わるとともに、自然災害の少ない、人柄のよい方の集まった住みよい市(まち)となりました。
そんな十和田市で生まれ育った私は昭和56年に故郷である当市に戻りました。そして大学で学んだことやその後の勤務で得た知識を生かして建築設計事務所を開設いたしました。現在は子会社も市内に抱え、さらに仙台市の建築設備設計事務所を100%出資の子会社として傘下に入れるなど、東北有数の設計事務所と評価されています。当社の開所以来の営業方針は、“常に顧客の立場に立って物事を考える”としており、資金を出す人・利用する人・近隣の人、それぞれの立場を尊重した経営を心掛けております。
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