白壽殿
宮城県塩竈市
2度の大地震も乗り越えて
宮城県沿岸部のほぼ中央に位置する塩竈(しおがま)市。この地に本社を置き、葬儀社を営む白壽殿(はくじゅでん)は明治28(1895)年、菅原葬具店として創業した。 「塩竈市は伊達政宗公が愛された鹽竈(しおがま)神社の門前町として、そして漁港として栄えてきたまちです。そこで、私の曽祖父で初代当主となる菅原周右衛門が葬儀社を始めました。近年は宮城県沖地震と東日本大震災という2度の大地震に見舞われましたが、地元のみなさんと共に乗り越えてきました。現在の社長で五代目になりますが、これまで続けてこられたのは、地域に根ざし地に足を着けた経営を守ってきたことを、地元の方々に評価していただいているからだと思います」と、白壽殿の代表取締役会長を務める菅原周二さんは言う。
大正2(1913)年に後を継いだ二代目は、市役所に勤務するかたわら家業を行うという二足のわらじを履いていた。そのため、二代目の長男(後の三代目)は、不在がちな二代目の分を補うために15歳のころから家業の仕事を始め、ほかの兄弟たちと共に毎日遅くまで働く苦労の多い生活を続けていたという。そして昭和42(1967)年に三代目として社長に就任すると、今度はその息子の菅原さんと兄の周一さんの二人が家業に従事していった。
「私たち兄弟二人は店舗拡大を図っていきましたが、父はあまり口出しせず、すべて私たちに任せてくれました」と菅原さんは振り返る。そして、57年にオープンしたのが、東北初の本格的な葬祭会館となる「白寿殿塩釜」だった。
批判を理解に変えていく
「実は葬祭会館のオープン前には、いろいろと批判的なことを言われました。当時、この辺りでは葬儀はまだ自宅で行うのが普通で、このような会館で行うことに抵抗感がある人が多かった。お寺のお坊さんからも、そんな所に行ってお経を上げられないと言われたこともあります。しかし、実際にオープンしてみると、ご利用いただくお客さまは増えていきました」
自宅で葬儀を行うには家の中を片付けて整理しなければならず、大勢の参列者を迎える場所も駐車場もない。夏は暑く冬は寒い。ところが、葬祭会館で葬儀を行えば手間も少なく交通の便もいいため、遺族にとっても参列者にとっても便利なことが多いのだ。
「また、葬儀というのは、悲しみの中にも、しばらくぶりに会う人たちの交流の場という役割もあります。葬祭会館ならば参列者が何人でも来ることができますし、車を停める場所もあり、安心して葬儀を行うことができる。このことが認知されるようになり、だんだんと利用者が増えるようになりました」
今では普通となった葬祭会館での葬儀。しかし、始めた当初は人知れぬ苦労があったのだ。
このような白壽殿の葬祭会館も現在では塩竈市と周辺の地域に7カ所をオープン、各斎場を利用できる。これは、葬儀を会館でやるにしても自宅の近くを希望する人が多いことから、利用者のニーズや家族の期待に応えた結果だという。
常に先を読む営業スタイルを
白壽殿はすでに創業以来100年以上の歴史を持つ。安定した業種のように見える葬儀社だが、待ちの姿勢では生き残っていけないと菅原さんは言う。
「今のままでいいというのではなく、常に危機感を持ちながら、先を読んで次の手を打つ営業スタイルを取っていかなければいけない。葬儀社もサービス業なので、付加価値も大事です。お葬式が終わったらそれで終了ではなく、仏壇を買っていただけるかもしれないし、法要でまたご利用いただくかもしれない。そのためには、常にご遺族のお気持ちを考えて寄り添っていくことが重要です」
このように考える菅原さんが打つべき次の一手として意識しているのが、個人・法人の会員拡大と、多様化するニーズへの対応だ。 「昔のように生前に葬儀の話をすることを避ける考え方が変わり、やがては自分にも訪れることとして、堂々と事前にお話しできる風潮になりました。会員制度はいざというときにご家族が安心してサポートを受けられるためのものです。また葬儀の形についても、伝統的で盛大なものだけではなく、最近増えてきた少人数の家族葬や無宗教葬など、以前とは違った形式にも対応しています。そのような誠実な対応が、お客さまの口コミによる評判を呼び、大きな宣伝効果をもたらしてくれるのです」
近年は「終活」という言葉も生まれ、人生の終わりを迎える準備を生前から行う人も増えている。白壽殿はそんな新たな葬儀のあり方に寄り添うことで、新たな百年へ進んでいく。
プロフィール
社名:株式会社白壽殿
住所:宮城県塩竈市桜ヶ丘2-27
電話:022-366-4141
代表者:菅原周二 代表取締役会長
創業:明治28(1895)年
従業員:88名
※月刊石垣2017年8月号に掲載された記事です。
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