はたけなか製麺
宮城県白石市
廃れていた伝統手法を復活
宮城県白石市は仙台藩伊達家の重臣片倉氏の下で栄えた城下町。その白石の人気食品である白石温麺(うーめん)には400年もの長い歴史がある。麺を延ばす際に油を使わないので酸化せず胃に優しいのが温麺の特長だ。はたけなか製麺は、明治23(1890)年の創業以来、ここ白石で温麺をつくり続けている。五代目当主の佐藤秀則さんはこう話す。「創業当初は昔ながらの手延(てのべ)で製造していました。創業者の名をとった『善六うーめん』は、業界でトップのAランクに位置付けられていました」
白石では県内でも早くから電力が供給された。この影響から温麺製造も早くから機械化が進んだ。はたけなか製麺も明治43年には、製造を機械化し、量産化を進めた。
「これがかえってアダとなりました。白石ではどの工場も生産を機械化して量産し、それを売るために価格を下げたのです。そのため、温麺には〝安物〟というイメージが付いてしまいました」
こうした事態に危機感を抱いた先々代は昭和58年、機械化に伴い廃れていた「手延」の復活を目指した。富山県で手延素麺(そうめん)「五箇山素麺」を製造していた五箇山(富山県南砺市)に職人を送り込み技術指導を受けることにしたのだ。
「思っていたより苦労しました。技術指導を受けても、思ったようにはなかなかできなかった。2年で製品化にこぎ着けたものの、軌道に乗るまでは2年どころではありませんでした。売れるようになるまで10年15年という歳月がかかりました」
より良いもののためにゼロベースで改革する
現社長の佐藤さんは若いころ、はたけなか製麺に入社したが、一時的に会社を離れ、戻ってきたのは10年前。社長に就任したのが、大震災直後の5年前だった。
「私が戻ってきたとき、会社は時代の流れに沿わない面が目立ちました。さまざまな面で現代の食品会社として整っていない。老舗ならではのサビとでもいいますか、機械は動いているけど人がうまく動いていないという状況でした」
建物が古く、耐震補強も必要なことから、設備を一新。そして、改革を進めていくため、これまでの会社のやり方にとらわれずにゼロベースで改革を進めた。
「もちろん社内からは反発もありました。今までのやり方を変えることに抵抗があったようです。歴史もありますし、それだけ自社製品に自信を持っていたわけですね。でも、試しに有名プライベートブランド商品5種類と自社製品の食べ比べをさせたところ、自社製品が一番ではなかった。このままではいけない、みんなでおいしいものをつくっていこうと社員を説得していきました」
同時に社内の凝り固まった考えを変えるために、ヘッドハンティングなどで、外部から社員を登用していった。「最初のうちは外人部隊などと社内で揶揄(やゆ)されていました。でも、彼らが業務改革委員会を立ち上げて、社員自ら改革を進めていけるような仕組みをつくってくれました。これで社内の空気は一変。うるさいほどにホウ・レン・ソウを徹底することなどを通じて風通しのいい職場づくりが進みました」
本物をつくり続ける
組織に関することだけでなく、技術的な面でも、〝外〟の考え方を積極的に導入していった。
「今は技術の進歩が速く、自分の考えだけで改革を進めていくのは難しい。分からないことは人に聞くのが一番と思い、製粉会社の技術者に来ていただき、工場内の製造方法や製品そのものについて改革してきました」
改革を着実に進めつつ、将来のために新商品の開発も進行中だ。そして、その中心軸には、代々受け継がれてきた「本物をつくる」という理念を据えている。
「少し値段が高かったにもかかわらず、昨年2月に発売した茶そばが、首都圏のスーパーなどで予想以上に売れました。この商品には世界緑茶コンテストで優勝した製造元の抹茶を使っています。多少高くても本物の原料を使って、おいしいものをつくれば売れると確信しました」
また伝統を守るだけでなく、厳しい市場の要求に応え、これまでにないチャレンジもしている。今年2月、東北大学農学部と共同開発した無塩の乾麺を発売。乾麺の製造には塩が必要という常識があるなか、減塩が叫ばれていることから開発に挑戦したのだという。
「伝統を守ることと市場の要求に応えていくことのバランスの取り方は難しい。でも、伝統的な食品産業は『本物』をつくっていくしかないと思うのです。茶そばのときのように、素材も本物にこだわりながら、新たな商品づくりをしていきたいと思います」
プロフィール
社名:はたけなか製麺株式会社
所在地:宮城県白石市大手町4-11
電話:0224-25-0111
代表者:佐藤秀則 代表取締役社長
創業:明治23(1890)年
従業員:約40人
※月刊石垣2016年3月号に掲載された記事です。
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