日本だけではなく世界に信頼される製品を生み出す日本のものづくりは、スポーツの世界にも当てはまる。パイオニアとして道を切り開いてきた独自の技術や他分野で培われた技を応用し、アスリートを支える地域企業の卓越した戦略と技術力に迫った。
事例1 世界へ果敢に挑戦し続ける競技用車いすのパイオニア
オーエックスエンジニアリング(千葉県千葉市)
オートバイのテクノロジーを生かし、車いすの開発・製造へと転身したメーカーがある。日常の車いすのほか、競技用車いすでも国内有数のシェアを誇り、過去8回のパラリンピックにおいて合計122個のメダル獲得にも貢献した。斬新なデザインと優れた機能性で、スポーツ選手の才能を引き出し、車いすの常識を塗り替える。
不慮の事故と先見の明で車いすメーカーへシフト
江戸時代、徳川家康が鷹狩り目的につくらせたという「御成街道」は、千葉県船橋から東金までの約37㎞を結ぶ。真っすぐに造成された街道としても珍しく、今でも沿道には徳川家ゆかりの社寺や屋敷跡が点在し、歴史ある古街道として親しまれている。
その街道沿いに本社を構えるのが日本屈指の車いすメーカー「オーエックスエンジニアリング」だ。昭和63年に設立し、当初はオートバイのエンジン開発などに尽力していた。翌年には車いす事業部を設置し、平成7年には車いす・福祉機器専門会社への完全シフトを図る。オートバイと車いす、タイヤがついた乗り物としては同じだが、その用途はあまりにも異なる。
「オートバイ好きが集まってできた会社です。この転換で会社を去った人もいましたが、今の経営陣の多くは、この時期を支えてくれた人たちです」
そう語るのは創業者である父、石井重行さんの後を継ぎ、25年に代表取締役に就任した石井勝之さんだ。先代社長は、会社設立前からモーターサイクルレースのライダー兼ジャーナリストとして活躍。レースのプロデュース的役割も担いつつ、バイクショップも経営する根っからのバイク好きだった。ところが昭和59年、新車の試乗中に不慮の事故で脊髄を損傷し、車いす生活を余儀なくされたという。
「私が幼稚園に入るころのことです。車いすではない父の記憶はないですね。既存の車いす、それもオーダーメードのものを何台も試していたようですが、機能、デザインともに納得がいかず、それなら自分の会社でつくろうと。それが車いす事業の始まりです。いい意味でワンマンですね」と苦笑する。
世界トップモデルをつくり日常用もフルオーダー
さらに、不慮の事故だけが事業転換のきっかけではないと石井さんは続ける。
「高度経済成長が一段落し、移動手段もオートバイから自動車へと切り替わるころでした。レースで勝ったオートバイが売れるというビジネスモデルも成り立たなくなり、この先、オートバイの売れ行きはますます落ち込む。そう判断しての決断だったようです」
追い風もあった。ドイツで開催されたIFMA(世界最大の自動二輪車・自転車展)に自作の車いすで先代社長が赴いた際に、現地記者に車いすを称賛された。自信が確信となり、日常用車いすの販売にこぎ着ける。同時期に知人の車いすテニスプレーヤーからの依頼で、テニス用の車いす開発にも着手する。平成6年には国内初の3輪型を完成させ、国内トップシェアに躍り出ていたというから、先見の明だけではなく行動力、技術力もずば抜けている。
「車いすメーカーとしてスタートした翌年がアトランタ大会でした。そこで自社の陸上競技用車いすで出場した選手2人が、世界新記録を達成し、計4個のメダルを獲得したのです。開発から3年目にして世界トップに並び、これを機に事業も軌道に乗りました」
レースに勝ったら売れる。オートバイ業界では成り立たなくなったビジネスモデルが、車いす業界の突破口となった。国内だけではなく海外の選手からのオーダーも入り、競技用車いすの技術開発が、一般用車いすの品質向上にも生かされ、同社の知名度は高まっていった。
「長年培ったモーターサイクル・レーシング・テクノロジーがベースで、乗って楽しい、かっこいい車いすの追求が功を奏しました。医療用具としての開発・製造とは発想も製造プロセスも大きく異なります。常識を超えるというか、そもそも知らなかったのです」(石井さん)
こぎやすさや旋回性には定評があり、色も100種類以上から選べ、採寸、オーダーから約3週間で納品される。さらに競技用車いすでは1ミリ単位で緻密に設計されるが、それでも最短で6週間という早さ。だが、現在は注文が世界中から殺到し、競技用は仮受注が半年待ちという状況だ。
スポーツ人口拡大に向け手間暇を惜しまない
アトランタ大会を皮切りに過去8回開催されたパラリンピックで122個のメダル獲得に貢献するメーカーを、世界のトップアスリートらが放っておくわけがない。同社も、積極的に国内外の選手とサポート契約しており、選手の意見を取り入れたものづくりは、創業当初から今も変わらない。だが、競技用車いすの売り上げは全体の約10%だというから驚きだ。
「競技用車いすの需要が少ないのが実情です。日本は障がい者競技の環境整備もスポーツ人口も、先進国の中ではかなり低いといえます。同じアジアでも近年、韓国や台湾、タイ、シンガポールからのオファーが増えていますね。中東のアラブ首長国連邦は国を挙げてパラリンピックに力を入れています」
グローバルな視点で輸出もしている。低廉な保険料で利用できると、商工会議所の会員メリットの一つとして中小企業海外PL保険制度を活用しているという。
また、25年から子ども向け競技用車いすを開発。翌年には発売を開始し、次世代のトップアスリートの裾野を広げることにも着手する。車いすの製造技術を応用し、折りたたみ自転車や犬用車いすの開発など新規事業にも積極的だ。
「今、競技用車いすは大手メーカーも参入して買い手市場です。しかし、この状況に浮かれていては足元をすくわれます。競技用車いすは、薄利多売できるものではなく、一般の車いすもしかりです。単なる移動手段ではなく、乗って楽しい、つい乗りたくなる、機能美に富んだ、その人だけの一台を提供するのが、わが社における車いす開発の目指すところです」と石井さんは力を込める。
さらに地域貢献としてイベントに車いすを無償で提供したり、地元の小中学校を中心に社会科見学を受け入れたりしている。27年には天皇皇后両陛下が行幸啓され、地元でも一躍話題となった。
アスリートの活躍から車いすの可能性、魅力を引き出す。目前に迫る超高齢化社会に向けて車いすをファッション感覚で、仕方なくではなく、積極的に乗りたくなる-。そんな車いす生活の〝未来〟に向け、開発の手を緩めない。
プロフィール
社名:株式会社オーエックスエンジニアリング
所在地:千葉県千葉市若葉区中田町2186-1
電話:043-228-0777
代表者:石井勝之 代表取締役社長
従業員:38人
※月刊石垣2017年9月号に掲載された記事です。
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