アメリカ出身のミュージシャン、マーティ・フリードマンさんは1990年代、伝説のメタルバンドの一員として世界中のファンを魅了したギタリストである。そんなマーティさんが日本に拠点を移して、はや10年。ギタリストとしてだけではなくプロデューサー、音楽評論家、そしてテレビ番組にも出演するなど、活躍の幅を大きく広げているマーティさんに、日本の魅力や自身のビジネスについて語ってもらった。
演歌に衝撃を受け単身日本へ移住
流暢な日本語と、屈託のない笑顔が印象的なマーティさん。アメリカを舞台に世界的ギタリストとして活躍した後、平成16年に単身日本に移住した。女性ロックシンガー・相川七瀬さんとの共演を皮切りに、国民的アイドルグループSMAPなど数々のアーティストと共演。J-POPカバーアルバム『TOKYO JUKEBOX』や、日本の音楽や文化について語った書籍も手掛けている。J-POPを愛してやまない世界的トップミュージシャン。独自の視点を生かしながら、日本の音楽シーンを盛り上げている。
「とにかく当時は日本の音楽に夢中で、邦楽の世界に入るには日本に行くしかないと思った」(マーティさん)という理由で日本への移住を決意したマーティさんが、最初に日本に興味を持ったのは10代のころ。たまたまラジオから流れてきた演歌に衝撃を受けたからだ。
「当時住んでいたハワイで、偶然ラジオから演歌が流れてきたんです。それが日本の演歌だということは後々知りました。独特な歌い方、こぶしとか、魂、力、ささやきから叫び、わずか1秒の中にあるメリハリ……それを聞いて、もし僕がギターで同じような表現ができたなら、素晴らしい武器になると思いました」
そこから、日本の関連商品が販売されている店を探し、日本の音楽テープやCDを購入。徹底的に分析した。
「自画自賛になっちゃうけど、当時の僕は、そこそこギターが上手でした。まだ若かったけれど、ある程度ギターはマスターしちゃったな、って思っていました。でも演歌を聞いて、まだまだこの楽器をマスターしてないじゃんって気が付いた。もっといっぱい、いろんな表現ができるじゃんって。そこからさらにギターの幅が広がったというか、むしろそこからギターが始まったって感じです」
そんな邦楽との出合いから日本の文化にも興味を持ち始め、日本語も独学で習得。日本に移住を決意したときには、すでに日常会話は問題なくこなせるレベルだった。しかし、住む場所も仕事も決まっていない状態で来日し、そのまま移住してしまったというから、かなりのチャレンジャーである。
「もちろん読めない字もあったけれど、とりあえず6畳の部屋が契約できたから、大丈夫じゃんって思いました。日本に来て、もし〝ダメだ〟と思ったらアメリカに帰ろうと思っていたけれど、びっくりするほど住みやすくて、僕の日本語でも十分足りると思いました」
それにしても、世界的ギタリストが異国の地で6畳一間の生活。辛くはなかったのだろうか?
「たしかに、その前にアメリカに住んでいたとき、僕はめちゃくちゃでかい家を持っていました(笑)。でも、楽しくて。いいじゃん狭くても、とりあえずこの狭い部屋で修業しようと思いました」
そうして日本に移住し、邦楽の世界に飛び込んだマーティさん。ギタリストとして世界的な実績はあっても、すぐに邦楽の世界で大きな仕事がスタートする、というわけではなかった。
誰も自分を知らない 生まれ変わったような新鮮さ
「僕が日本に来たとき、僕の知っている人たちはみんな洋楽関係者でした。邦楽の世界に入ろうとしても、僕のコネクションはそんなに意味がなかったのです。だから、ほぼゼロからスタートした感じでした」
それまでのスター扱いとは、全く異なる扱いだった。まさに修業の時期といえるのかもしれない。しかし、そこでマーティさんが感じたのはネガティブな感情ではなく、〝新鮮〟というポジティブな感情だったという。
「僕は邦楽の世界に知られていなかった。自分でも不思議だったけれど、それが意外と好きでした。お客さんが誰も僕のことを知らなくて、完全に新しい人として見て、その上で好きか嫌いか判断してくれた。それが良かったです。例えば、僕が相川七瀬さんのバックでギターを弾いたら、ただの新しい外人なんです。『誰あのロンゲの外人?』って言われる(笑)。それが新鮮で、生まれ変わったみたいでした」
こうして邦楽の世界でもマーティ・フリードマンはどんどん進化していった。雑誌やWebサイトではJ-POP評論を連載。さらに活躍の場を音楽以外にも広げ、タレントとしても活躍している。最近ではナレーションにも挑戦。現在、テレビ朝日の『アイドルお宝くじ』でナレーターを務めている。
「アメリカでミュージシャンをしていたときは、音楽以外のテレビ番組に出るなんて思ってなかった(笑)。もちろん、僕の本業は音楽。だけど、音楽以外の活動も非常に良い刺激になります。いろんな経験を重ねれば人間として飽きないし。ただミュージシャンしているだけよりも、もうちょっと面白い人間になっていると思います」
そして、テレビやナレーションの仕事は、日本語力の向上に一役も二役も買っている。
「すごく集中して聞いていないと、トークの内容が分からなくなっちゃうこともあるしね。でも、僕はプレッシャーが好き。何事もやっぱりプレッシャーがないと成長できないです」
日本の音楽や文化が好き、という気持ちも、当然日本語を勉強していくモチベーションである。しかし、成長のために、やらなければならない環境に身を置くということが、着実に力をつけることにつながっているのだ。
野望はないけれど常に最新の自分が最高!
20代でプロのミュージシャンとなり、30年近いキャリアを重ねてきたマーティさん。長く第一線で活躍し続ける、その原動力の一つが〝ハングリー〟な気持ちだという。
「僕は特に、『俺はすごいんだぜ!』って思っているタイプじゃない。でもすごいエゴイストというわけじゃないけれど、成功したいと思っている人です。そのためには、やっぱりある程度何かをうらやましがる気持ち、嫉妬や焼きもちがないと〝どうでもいい〟という態度になっちゃうと思う。なんであの人は人気があるんだろう、僕ももっと頑張らなくちゃって思う気持ちは、ほんのちょっと、ピリピリと少しだけ持ってないと、ダメだと思います」
音楽という競争の激しい世界に身を置きながら長く続けてこられたのは、才能もさることながら、ハングリーな気持ちがあったからなのだ。今後のビジネスビジョンに関しては「今は目の前のこと、最新アルバム『インフェルノ』のプロモーションの最中なので、それを成功させたい」と堅実な答えが返ってきた。
「僕は〝ちりも積もれば山となる〟というタイプなんです。大それた野望や、必要以上に大きな目標をつくったりはしません。これは子どものときからですね。小さいころから、昨日よりも今日、少しだけでも進んでいたらそれでいいというタイプです。でも、だからこそ一番新しい楽曲が一番良い。常に一番新しい楽曲に一番誇りを持っています」
『インフェルノ』は、マーティさん曰く「本当に僕っぽい音楽。僕臭すぎるといえる(笑)」という作品だそうだ。マーティさんが日本に拠点を移して以来、初めて世界市場に向けてリリースされた作品であり、かつてのヘビーメタル路線に回帰した作品でもある。アメリカのレコード会社からオファーが来たときは、本当にうれしかったという。
「『マーティ、アメリカではあなたに興味がある人がたくさんいる。だから新しいアルバムを考えてくれないか』というオファーがきたときは、すごく感動した。だから16カ月間、アホみたいにスタジオにこもって、頑張って自信作をつくりました。世界中の人に聞いてもらうことを意識しました。たくさんの人に聞いてほしいですね」
すでに南米、ヨーロッパでツアーを行っており、9月にはアメリカツアーも控えている。日本での仕事と忙しさも増していくが、マーティさんは〝ちりも積もれば山となる〟の精神で、コツコツとやり抜いていくのだろう。
マーティ・フリードマン
ギタリスト、音楽評論家、タレント
アメリカ出身。14歳からギターを始め、1990年代にはアメリカを舞台にヘビーメタルの分野で世界的に活躍。2004年、日本へ移住し、以来、日本の数々のミュージシャンと共演しながら、独自の視点と深い愛情を持ってJ-POPを評論している。音楽活動だけにとどまらずタレント、ナレーターとしても活躍中だ。最新アルバムは2014年5月、世界市場に向けてリリースされた『インフェルノ』
写真・後藤さくら
最新号を紙面で読める!