事例3 工業・建築用れんがを見切り れんが製ピザ窯の生産に転換
増田煉瓦(群馬県前橋市)
群馬県には世界遺産登録された富岡製糸場をはじめ、れんがづくりの建造物が数多く存在する。増田煉瓦は、れんが需要が旺盛だった明治35年に前橋市で開業、大正6年に赤れんが製造工場を創業した。3代目(現会長)の増田邦雄さんの代まで製造を続けていたが、平成元年、需要減から工業・建築用の製造を中止。4代目社長に就任した増田晋一さんはれんがづくりのピザ窯の生産に乗り出した。
れんがの売上高は最盛期の10分の1にまで激減
工業・建築用れんが製造かられんがづくりのピザ窯生産への転換は、外部の目で見れば想定の範囲内に思うが、そこへたどり着くには紆余(うよ)曲折があった。
「れんががもうかったのは高度成長期のころでした」と増田さんは振り返る。渋川市に関東電化工業やデンカなど大手企業の工場が進出し、工業窯炉の発注が続々と舞い込んだ。「近辺で工業窯炉をつくれるのはうちだけでしたから」
ただ当時、増田さんはまだ10代で、会社がどのくらい利益を得ていたのかは知る由もなかったが、親の手伝いをして業界の実態は知っていた。「れんがは重いし泥だらけになるし、うちの会社には入りたくないと思ったほどです」。結局、家業を継がずに大学卒業後、電機メーカーへ入社した。そこでエアコンなどに使うコンプレッサーの技術者としての経験を積んで、平成6年に増田煉瓦へ入社した。「でも社内にやりたい仕事はありませんでした。そこで当時環境問題になりかけていたフロンガスを回収する装置を開発しました」。そのため増田煉瓦の「沿革」には「平成7年フロン回収装置のコンプレッサ供給開始」という異色の項目がある。しかし回収装置は普及してしまえば需要がなくなるため、会社の屋台骨にはならない。れんがが主力の会社の売上は「最盛期の10分の1程度」にまで激減し、残された時間はあまりなかった。
新規事業の3条件に当てはまったピザ窯
増田さんとピザ窯の出合いはフロン回収装置を製作していたころだ。青年会議所のまちづくり委員として「上州の夏祭り」に出すイベントを考えることになったのだ。れんがを使って何かをつくるというイメージはあった。「れんがで組んだバーベキュー炉でも良かったのですが当たり前過ぎる。参加者が喜ぶ付加価値を与えないと毎年続けることができないと考えて、ピザ窯にしたのです」。とはいえ未経験の仕事だったので、ピザ窯らしきものは完成したもののうまく焼けず、期限も迫っていたことから「アユの塩焼き炉につくり替えました(苦笑)」。
10年に社長に就任した増田さんはすぐに新規事業を模索する。本業のれんがの特性を生かした事業、コンパクトな事業、大手企業が進出しない事業という3条件を満たす事業とは何かと悩み続けた。
この時期、会社が手がけていたのはゴミの焼却炉の製作だった。「焼却炉は世の中に必要な商品ですが、お客さまに利益をもたらす商品ではない」。折しも有害なダイオキシン排出問題がクローズアップされ、撤退を決めた。
ここで再びピザ窯が登場する。地元のガス店からガス式ピザ窯を探している顧客がいるという相談を受けたのである。「技術屋のさが」でできないとは言えず、中華バーナーを入手して窯を試作したものの「手本にしていた窯の構造がパン焼き用だったため焼けませんでした。当時はそんなことも知らなかった」と振り返る。
そんなとき、運命的な出合いがあった。東京・晴海で開催されていた建材ショーに出展したとき、業務用ガスバーナー専門メーカーの藤村製作所(東京・足立区)からピザ窯をつくりたいと相談されたのだ。2社の技術を結集させて1号機を新前橋のイタリア料理店、2号機は渋川市のレストランへ納品した。2号機は今も現役で、18年間ピザを焼き続けている。
この成功を受けて増田さんはピザ窯を新規事業に決める。藤村製作所から厨房用機械器具の長岡製作所(埼玉・川口市)、北山厨房ガスメンテナンス(大阪・松原市)の紹介を受けた。
「メンテナンスが不要なピザ窯の開発を始めました。大手なら全国に支店を置いてメンテナンスでもうけるビジネスモデルを目指すのでしょうが、小規模な私たちには無理です。万が一壊れても、地元の業者にも直せる構造にしました。れんがの部分に独自のノウハウがあるため、簡単にはまねができないという自信もありました」
「協業」と「連携」により他社製品と差別化
国内で生産されている耐火れんがは建築用のため硬く、500度にもなる熱が窯の中に均一に広がりにくいため、ピザ窯には適さない。軟らかく蓄熱性に優れたれんがを求め、本場のイタリアまででかけてようやく手に入れることができた(現在は窯によっては国産品も使えるようになった)。イタリアでは窯のドーム部分のつくり方も習った。まずドームの砂型をつくり、れんがを載せて固める方法だが、砂を抜いた後もドームの内側に砂が残り、ピザの上に落ちることがある。「それは日本では許されないことなので、空洞のままれんがを積み上げてモルタルで固める独自工法を確立しました」
技術屋集団がつくったピザ窯らしい点は、窯の性能や特性を数値化したことだ。これで、顧客は店舗設計に合った大きさやタイプの窯が発注可能になった。窯には日本の規格がなく、他社は経験と勘で商談しているのかもしれない。
11年にガス式ピザ窯の受注生産、13年にナポリ風ガス式ピザ窯、15年にまき式ピザ窯の受注生産を開始。17年には、4社の共同出資でガンジョーネ社を設立して商品の範囲をパン窯や肉を焼く窯にまで広げ、ショールームや職人を育成するための研修施設、アンテナショップ「ラ・ピッツェリア」の運営も行っている。「大手企業の製造ラインが流れ作業なのは、難しい仕事を分業して完成させるため。うちの仕事も4社の技術を基本に、お客さまの地元の職人さんに得意分野を依頼します。その集大成が窯になるのです」
15年前の売上高構成はピザ窯3に対して建築・建材関係7だったが、5年前に7対3となり、現在は年商約2億円のうち90%が窯関連事業で占める主力事業に育った。
増田煉瓦は来年、創業100周年を迎える。顧客に利益をもたらす商品にこだわってピザ窯という新規事業に転換を決めた増田さんは、次の100周年に向けて新たな一歩を踏み出す。
会社データ
社名:増田煉瓦株式会社
所在地:群馬県前橋市石倉町四丁目18-11
電話:027-251-5824
HP:http://www.masudarenga.co.jp/
代表者:増田晋一 代表取締役
従業員:17人
※月刊石垣2016年8月号に掲載された記事です。
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